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 18. ハルム・タレス

 書状は、夕刻前に届いた。

 封蝋にエルザ陛下の御印が押されていた。中身は簡潔だった。皇族ザックロード・シーク・レイフ・エルヴァルトおよびイリア・シーク・オットー・エルヴァルトに、リードスゴート全域への入域と、地域監視塔における物資・人員手配の権限を認める。

 短い文だったが、これがあれば旧魔王領のどこへ行くにも、表立った妨げはなくなる。

 俺はその夜、首都に取った宿で、地図を広げた。

 帝都から旧魔王領へ向かう三本の幹線街道のうち、北中央街道を選ぶことにした。理由は二つある。一つは、ヴァルクが「中央付近」と申告したジェフールの拠点に、最も近い経路であること。もう一つは、北中央街道沿いに位置する地域監視塔の塔長が、俺と面識のある男だったことだ。

 第一軍司令官の頃、街道警備の編制で何度か顔を合わせた。当時、彼はまだ若い隊長だった。今は塔長を務めている。

 名は、ハルム・タレス。

 帝国軍の出身で、皇族ではない。軍人として旧魔王領に長く関わり、退役後に文官として監視塔に転じた。実直な男で、口は固い。ザックロードの調査が表沙汰になることは、まずないだろう。

「ハルム・タレスという方を、ご存知ですか」イリアが地図を覗き込みながら聞いた。

「俺が第一軍にいた頃の隊長だ。今は北中央街道の中ほどにある、ガレダ町の地域監視塔の塔長を務めている」

「ガレダなら、私も何度か通りました。複数のダンジョンが近くにある、冒険者の多い町です。物資の集積地でもあって、補給と情報交換に都合がよい場所でした」

「お前が知っていれば、話は早い」俺は頷いた。「ジェフールがいるとされる中層から深層への移行域に、最も近い拠点の一つだ」

「では、まずはそこへ」

「そうなる。明日の朝、出立する」

 イリアは頷き、自分の地図帳に書き込んだ。

 俺は地図の上で、サーキニアの王都から、大公国を経由して、帝都、そしてガレダ町までの経路を、もう一度、目で追った。長い旅だった。しかし、終着点ではない。ガレダ町は、ジェフールに辿り着くための入口に過ぎない。

「伯父上」

「なんだ」

「ハルム殿は、私たちが向かう本当の理由を、ご存知になりますか」

 俺は少し考えた。

「全ては話さない」俺は答えた。「ジェフールという人物の動きを追っているとだけ伝える。コーレン家の事情、魔王の遺産の話は、ハルムが知る必要のない情報だ。彼を巻き込んでも、彼を危険に晒すだけだ」

「承知しました」

「ただ、ジェフールがリードスゴートを出入りしていた可能性については、塔の記録を確認する必要がある。それは、ハルムの協力が要る」

「記録の閲覧について、書状の権限が及びますか」

「及ぶ。ただし、ハルムが快く協力してくれるかどうかは、別だ」

 イリアは少し首を傾げた。

「快く、というのは」

「監視塔の記録は、皇帝の管轄下にある。皇族の印で閲覧できるのは制度上の話だ。実際の現場では、塔長の判断と、こちらの事情説明の受け取られ方で、滞ることもある」

「そういうものですか」

「そういうものだ」

 俺は地図を畳んだ。

 明日の朝、長い旅の最後の段が始まる。


 帝都を発って三日目の夕方、俺たちはガレダ町の城門に着いた。

 北中央街道は、帝都を出て北上するにつれて、次第に景色が変わった。緑の野が薄れ、灰色の岩肌と低い灌木が目立ちはじめた。空気が乾いてきた。風の匂いが変わった。旧魔王領の入口の、かつて知っていた匂いだった。

 俺は馬の背の上で、その匂いを久しぶりに吸った。

 第一軍司令官として、この匂いの中で長く過ごした時期があった。十年ほど前に着任し、五年前に退任した。当時の記憶が、肌を伝って戻ってくる。砂を含んだ風、夜の冷え、遠くで鳴くものの声。日常としてあった風景。

 イリアは黙って馬を進めていた。彼女もまた、冒険者として旧魔王領に潜っていた頃の記憶を呼び戻しているのだろう。それを口に出さない静けさが、彼女らしかった。

 ガレダ町は、想像していたより活気があった。

 町の中央に大きな広場があり、そこに冒険者ギルドの建物が建っている。広場の周りには宿屋、武具屋、薬草店、食堂が並ぶ。冒険者風の者たちが行き交っていた。武装した者が珍しくない町の空気。

 町の北の外れに、塔が見えた。

 石造りの塔だった。高さは四階分ほど。簡素だが、頑丈な造りだった。最上階に物見の張り出しがあり、そこから町と街道、そして北方の旧魔王領全体が見渡せるようになっていた。塔の周りに、低い壁で囲まれた区画があり、帝国軍の兵士が出入りしていた。

 地域監視塔。

 俺たちはまっすぐ、塔の門に向かった。

 門の警備兵が、俺たちを見て少し身構えた。長旅の傭兵風の男と、地味な装束の女。普通の旅人には見えない。しかし、危険人物にも見えない。判断に迷う様子だった。

「皇室傭兵団のザックロード・アモスと申します」俺は警備兵に言った。「塔長のハルム・タレス殿に取り次ぎを願います」

「お約束は、おありで」

「ありません。ただ、急ぎの用件です」

 警備兵は少し迷った。俺は懐から、皇族の印を取り出した。

 警備兵の目が、印に固定された。一拍置いて、彼は深く頭を下げた。

「失礼いたしました。すぐに、塔長にお取り次ぎいたします」

 警備兵が走って塔の中に入った。

「印は、効きますね」イリアが小声で言った。

「効きすぎる、というべきかもしれない」俺は答えた。「これがあれば、誰も俺たちを止められない。ただし、そのこと自体が、目立つ」

 イリアは少し頷いた。

 しばらくして、警備兵が戻ってきた。

「塔長が、お会いになります」

 俺たちは案内に従って、塔の中へ入った。

 石の階段を、二階分上がった。塔長の執務室は、北側に窓があり、旧魔王領の方角が見えるようになっていた。

 部屋に入ると、机に向かって書類を捌いていた男が、顔を上げた。

 ハルム・タレスだった。

 以前と比べて、髪に白いものが増え、目尻に皺が刻まれていた。しかし、目の鋭さは変わっていなかった。第一軍にいた頃の、若い隊長の眼差しが、そこにあった。

 ハルムは俺を見て、しばらく何も言わなかった。それから、ゆっくり立ち上がった。

「アモス殿」ハルムは静かに言った。「お久しぶりでございます」

「ハルム殿。突然の訪問、失礼いたします」

 ハルムは少し頷いた。それから、視線をイリアに移した。

「お連れの方は」

「姪のイリアです」俺はイリアを紹介した。「同行しております」

「皇族の方とお見受けいたします」

「はい」イリアは深く頭を下げた。「イリア・シーク・オットー・エルヴァルトでございます」

 ハルムは深く頭を下げ返した。それから、俺たちに椅子を勧めた。

 俺は懐から、エルザ陛下の書状を取り出し、ハルムに手渡した。

 ハルムは封蝋を確認し、書状を開いた。一字一句、丁寧に読んだ。読み終えると、書状を畳み、机の上に置いた。

「アモス殿」ハルムは俺を見た。「陛下の御名のもと、リードスゴート全域への入域を認める書状、確かに拝見いたしました。当塔の協力、惜しまずいたします」

「感謝いたします」

「で、何をお探しか」

 ハルムの問いは、まっすぐだった。前置きがない。それも、当時と変わっていない。

「ジェフールという名の人物の、ダンジョンへの入退場記録を、確認させていただきたい」

「ジェフール、と」

「家名は不明です。商人を装い、リードスゴートを出入りしていた可能性があります。八年前から、断続的に。最近の三年は、ほぼ常駐しているとの情報があります」

 ハルムはしばらく考えた。

「八年分の記録ですか」

「はい」

「当塔に集約されているダンジョン入退場記録は、五年で焼却する規定があります。それより古いものは、首都の中央監視塔に送られます」

「五年分でも構いません。あるなら、ご提示いただきたい」

「承知いたしました」ハルムは頷いた。「ただし、確認には時間がかかります。記録は冒険者ギルドの依頼番号と入場時刻順に並んでおりまして、名前で検索する仕組みは整っておりません」

「手伝います」

 ハルムは俺を、少し見た。

「アモス殿が、ですか」

「私と、姪と、二人で。記録を読むことには慣れています」

 ハルムは少し、笑った。

「相変わらずでございますね、アモス殿は」

 俺は何も言わなかった。

 ハルムは机の鈴を鳴らした。下から、若い記録係が上がってきた。

「過去五年分のダンジョン入退場記録を、応接室に運べ。アモス殿とイリア殿に、お見せする」

「はっ」

 記録係が走って降りた。

 ハルムは俺たちに、応接室を示した。

「私も、可能な限り、お手伝いいたします」ハルムは言った。「ただし、私は塔の運営も同時に進めなければなりません。一日中ご一緒できるわけではないことを、ご了承ください」

「もちろんです」

「ご滞在は、どれくらいになりますか」

 俺は少し考えた。

「最低で十日。最大で、ひと月になるかもしれません」

「では、塔の宿房を一室、お使いください。町の宿よりは、目立ちません」

「感謝いたします」

 ハルムは頷き、執務室を出ていった。

 残された俺とイリアは、しばらく無言で座っていた。

「ハルム殿は」イリアが小声で言った。「伯父上を、信頼されているのですね」

「信頼ではない」俺は答えた。「敬意だ。それは別のものだ」

「違いますか」

「違う。信頼は、相手が裏切らないと信じることだ。敬意は、相手を尊重することだ。ハルムは俺を尊重している。それは、俺が第一軍司令官として、彼の隊を無駄死にさせなかったからだ」

 イリアは静かに俺を見ていた。

「伯父上は、第一軍時代の話を、あまりされませんね」

「話す機会がない」俺は言った。「それに、話しても面白い話ではない」

「いつか、聞かせてください」

 俺は少し笑った。

「いつか、な」

 扉が叩かれた。

 記録係の若い男が、両手に大きな帳簿を抱えていた。

「お持ちいたしました」

 俺たちは応接室に移った。

 卓の上に、五年分のダンジョン入退場記録が、重ねられていた。

 長い夜が、始まろうとしていた。


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