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 14. コーレン家

「魔王の遺産」

 俺はその言葉を、もう一度、口に出した。

 ベフは頷いた。

「五十年前、コーレン家が密貿易の罪を問われたとき、私の祖父は、王家にあるものを差し出して、家の存続を許されました」

「あるもの、というのは」

「魔王の遺産に関する、古文書の一部です。コーレン家は、その当時、すでにリードスゴートの探索を始めていました。ダンジョンの奥から、魔王の時代の文書を回収していたのです。それが、王家の目に止まり、密貿易の件と引き替えに、文書の一部を献上することになりました」

「献上した文書は、その後どうなったのですか」

「サーキニア王家の宝物庫に納められたと聞いています。ただし、その後の扱いは、私たちにもわかりません」

「コーレン家は、献上した文書以外にも、回収した文書を持っているのですか」

「持っています」ベフは静かに言った。「むしろ、献上したのは、最も重要度の低いものでした。本当に重要な文書は、家の中で守り続けています」

 俺はしばらく、ベフを見ていた。

 密貿易は、家の存続のための表向きの手段。本当の目的は、魔王の遺産の回収。そして、献上した文書は、より大きな目的を隠すための囮だった。

 五十年にわたる、長い計画だった。

「魔王の遺産を回収して、コーレン家は何をするつもりなのですか」

 ベフはしばらく黙った。

「それを、私はお答えできません。家の中でも、その目的を完全に知っているのは、ジェフール様と、ごく限られた者だけです。私のような末端の管理人には、知らされていません」

 石を取り出すべきか、と俺は一瞬考えた。

 しかし、出さなかった。

 ベフが嘘を言っているわけではない、と感じた。彼は、自分が知っていることと、知らないことを、正直に区別している。それは、長く文書を扱ってきた者の癖だった。

「ジェフールの、おおよその拠点は、わかりますか」

「リードスゴートの中央付近、と聞いています。具体的な場所は、年ごとに変わります。ダンジョンの探索拠点として、いくつかの集落を渡り歩いておられるはずです」

「八年前にイリア・オットー殿に依頼を出したのも、ジェフール本人ですか」

「はい。ジェフール様は、皇族の冒険者を、特に高く評価しておられます。皇族の魔法素養は、魔王領の文書を扱う上で、欠かせないものですから」

 俺は少し、表情を変えた。

「文書を扱うのに、魔法素養が必要なのですか」

「魔王の時代の文書には、特殊な封がかけられているものが多いのです。皇族の血を引く者の魔力でなければ、開けない封もある、と聞いています」

 俺は卓に手をつき、考えを整理した。

 なぜ皇族の魔法素養が、魔王の文書を開く鍵になるのか。

 一つの仮説が、頭の中に浮かんだ。

 不老長命の呪いは、初代皇帝が魔王から受けたものだ。その呪いの力が、皇族の魔法素養の中に組み込まれている。だから、魔王の時代の封を、皇族の魔力なら開けられる。

 もしそうなら、コーレン家が皇族の冒険者に依頼を出す理由は、明白だった。

 彼らが回収しようとしている文書は、皇族の魔力でしか開けられないものだ。

 そして、その文書には、魔王に関する重要な何かが書かれている。

「ベフ殿」俺は言った。「ジェフールは、何を探しておられるのですか」

 ベフは少し首を振った。

「私には、わかりません。ただ、ジェフール様は、文書の回収だけでなく、ある場所を探しておられる、と聞いたことがあります」

「ある場所、というのは」

「魔王が最後に、何かを残した場所、だそうです。それが何なのかは、私にもわかりません」

 俺は深く、息を吐いた。

 線が、また一段、深くなった。

 コーレン家の目的は、密貿易でも、サーキニアの政治への介入でもなかった。それらは全て、魔王の遺産を探すための資金と、人脈と、情報を確保するための手段だった。

 そして、その本丸は、旧魔王領にある。

「ベフ殿」俺は静かに言った。「お話しいただいたこと、感謝します。あなたの覚悟は、判事として受け止めました」

 ベフは深く頭を下げた。

「アモス様。一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「コーレン家の全てを、否定なさらないでください。私たちの中には、ジェフール様の目的を知らず、ただ家を守るために働いている者も多くおります。家の中の罪を犯した者は、罪を問うていただいて構いません。しかし、家そのものを、滅ぼさないでいただきたい」

 俺はベフを見た。

「私は、家を滅ぼす立場にありません」俺は言った。「私が報告するのは、事実だけです。判断するのは、王太子殿下と、帝国の本国です」

「ありがとうございます」

 俺は古書店を出た。

 外の光が眩しかった。イリアとヴェラが、店の少し先で待っていた。俺の顔を見て、何かを察したらしい。

「収穫はありましたか」イリアが小声で聞いた。

「あった」俺は言った。「ただし、想定より、はるかに大きな話だ」

「と、いうと」

「コーレン家の本当の目的は、魔王の遺産の回収だ。ジェフールは、今、リードスゴートにいる」

 イリアの顔が、固くなった。ヴェラも、表情を引き締めた。

 俺は王城のある丘の方角を見た。リアフォードは、自分の家の中にこれほどの闇が潜んでいたことを、おそらく知らない。

 知らせるべきか、伏せておくべきか。

 判断は、まだつかなかった。


 大使館に戻ったのは、昼過ぎだった。

 ベルトが正門で待っていた。今度は、表情が穏やかだった。良い知らせと、悪い知らせの両方があるときの顔だ、と俺は判断した。

「どうした」

「いくつか、報告がある」ベルトは言った。「中に入ってからにしよう」

 俺たちは書記官室に入った。ベルトが扉を閉めた。

「まず、リオンが話した。コーレン家の使い走りだったことを認めた」

「動機は」

「サーキニア人としての誇り、と言っていた。帝国の影響下にあるサーキニアの現状に不満を持っていて、コーレン家の者に声をかけられたとき、迷わず応じた、と」

 俺は頷いた。

 コーレン家は、人を集めるのが上手い。それぞれの動機に合わせて、声をかける。リアフォードには信念のために、ミクストンには家のために、リオンには国への愛のために。それぞれが本気で動いた結果、コーレン家の長い計画が進む。

 巧妙だった。

「もう一つの報告は」俺は聞いた。

「魔法通信石が、明日の朝、再び使えるようになる。本国への報告を、まとめておく必要がある」

 俺は卓に着いた。

「今夜中に、報告書を仕上げる」

「内容は」

「ミクストンの自害、コーレン家の構造、ジェフールの存在、魔王の遺産。それから、リアフォード殿下の口述記録の概要だ」

 ベルトは少し眉を寄せた。

「ジェフールと魔王の遺産の話は、本国に送っていいのか」

「なぜ」

「個人として動いている、というお前の立場と、矛盾しないか。コーレン家のサーキニア国内の話なら、ザックロード・アモスの仕事の範囲だ。だが、魔王の遺産の話は──」

「皇族の話だ」俺は言った。「それは、わかっている」

 俺は窓の外を見た。

 魔王の遺産。皇族の魔力でしか開けない文書。初代皇帝が呪いを受けた場所。それらは、ザックロード・アモスという傭兵団員の仕事の範囲を、明らかに越えていた。

 ここから先は、皇族としての仕事だ。

 しかし、俺は皇太子レースに敗れて、公職を離れた皇族だった。皇族としての権限は、最低限のものしか持っていない。報告を本国に送ることはできても、その後の動きを指揮する立場にはない。

 判断は、スロックがする。

「ザック」ベルトが言った。「お前、どう動くつもりだ」

「報告書を送る。それで、俺の仕事は一段落だ」

「サーキニアの方は」

「リアフォード殿下の口述記録が完成すれば、それも区切りになる。あとは、王太子殿下とサーキニアの当局が、コーレン家のサーキニア国内の動きを処理する。俺たちは、必要に応じて協力する立場だ」

「それで、終われるのか」

 ベルトの問いは、鋭かった。

 俺は少し、考えた。

 終われるか、終われないか。それは、報告を受けたスロックがどう判断するかによる。スロックが、ジェフールを追うために誰かを動かす必要があると判断すれば、その候補に俺が入る可能性は、十分にあった。

 俺はすでに、コーレン家の構造を把握しはじめている。皇族としての魔力もある。傭兵団員として、個人で動ける立場もある。これほど条件の揃った者は、他にいない。

 俺自身も、それは理解していた。

「終われるかどうかは、スロック次第だ」俺は答えた。「あの男の判断を、俺は信じる」

 ベルトは少し笑った。

「お前は、結局、弟が好きだな」

「そんなことはない」

「そんなことはある」

 俺は反論しなかった。反論しても、無駄だった。

 扉が叩かれた。

「どうぞ」

 イリアだった。手に、報告書の下書きを持っていた。

「概要をまとめました。ご確認をお願いします」

 俺は受け取り、目を通した。簡潔で、要点が押さえられていた。事実と推測が分けられていて、判断材料として十分なものだった。

「よく書けている」俺は言った。「これで送る」

 イリアは少し、頷いた。

 そして、少し迷ってから、言った。

「伯父上。一つ、お聞きしてもよろしいですか」

「なんだ」

「もし、皇太子殿下が、伯父上にリードスゴートへ向かうように指示された場合、どうなさいますか」

 俺は窓の外を見た。

 夕方の光が、王都の屋根に当たっていた。穏やかな景色だった。ミクストンが死んだ朝とも、リアフォードと初めて会った日とも、変わらない景色だ。

 しかし、俺の中の何かは、変わりはじめていた。

「行くだろう」俺は答えた。

「個人として、ですか」

「個人として、皇族として、傭兵団員として。三つの立場で、行く」

 イリアは少し、表情を緩めた。

「そう、お答えになると思っていました」

「お前にも、わかっていたか」

「伯父上は、判事として、最後まで線を辿られる方ですから」

 俺は少し笑った。

「そう見えるか」

「そう見えます」

 窓の外で、夕陽が傾きはじめていた。

 明日の朝、魔法通信石を通じて、報告は本国に届く。その後の判断は、スロックがする。

 しかし、俺の心の中では、すでに次の旅の準備が始まっていた。

 判事の仕事は、止まらない。

 止めてはいけない。

 俺はもう一度、窓の外を見た。

 遠い空が、赤く染まっていた。


 翌朝、夜明けと共に、魔法通信石が光を取り戻した。

 俺はイリアと共に、書記官室に入った。デルノフ卿も同席していた。送信内容は、昨夜のうちに何度も読み返し、推敲を重ねた。短文しか送れない以上、一語一語が重要だった。

 送信内容は、最も重要な情報に絞った。

 ──サーキニア事件、コーレン家系統の関与判明。副大使ミクストン自害。詳細書面にて後送。要警戒、ジェフールという名の人物、魔王領にある可能性。アモス。

 短い文だった。しかし、これだけで十分だった。スロックなら、この文から十分な状況を読み取る。

 イリアが術式を起動した。石が淡く光り、文字が空に溶けるように消えていった。

「送信、完了しました」

 俺は頷いた。

 あとは、スロックの判断を待つだけだった。


 その日の午前、俺は書面の報告書を仕上げた。

 魔法通信で送った短文を補完する詳細な書面だった。コーレン家の歴史、五十年前の密貿易事件、ヴァルク・コーレンとリアフォードの関係、ミクストン副大使の経歴と告白、リオンの自白、ベフ・コーレンとの会話、そしてジェフールという人物の輪郭。事実と推測を分けて書いた。

 書面は、商隊の便で本国に送る。魔法通信より遅いが、確実だった。早ければ十日、遅くとも二十日で副都に届くはずだ。

 昼前に、ヴェラ・ドルスから連絡があった。リアフォードの口述記録の続きをする準備ができたとのことだった。今日の午後、最後の口述記録を、俺とイリアにしてほしい、という依頼だった。

「行くか」俺はイリアに言った。

「お願いします」

 俺たちは、再び王城へ向かった。

 南棟の応接室で、リアフォードは待っていた。

「アモス殿、イリア・オットー殿。お待ちしておりました」

 リアフォードは、少し痩せていた。寝ていないのだろう、と俺は思った。

「口述に必要な記憶を書き出してくれましたか?」俺は聞いた。

「はい」リアフォードは言った。「私が知っていることは、全て」

 俺は記録の束を手に取り、頁をめくった。リアフォードの記憶を、書き出したたものだ。文字は端正で、内容は順序立っていた。

 俺はその場で、全てに目を通した。長い時間がかかった。

 途中で、何度か手が止まった。

 ヴァルク・コーレンの動きについて、リアフォードが書き残したことの中に、俺が知らなかった事実がいくつかあった。八年前、ヴァルクがリアフォードの財務に入る前に、すでにコーレン家の中で何らかの不和があったらしい。それが、ヴァルクが外部に出る理由になった、と書かれていた。

 その不和の相手が、ジェフール、と書かれていた。

 俺は顔を上げた。

「殿下」俺は言った。「ジェフールという名は、殿下もご存知だったのですか」

 リアフォードは少し驚いた顔をした。

「いえ。ヴァルクから、その名を聞いたのは、昨日が初めてです」

「昨日、ですか」

「アモス殿が来られた後、ヴァルクが私のところに来ました。ジェフールという者について、知っていることを、自分から話しました」

 俺はリアフォードを見た。

「ヴァルクは、何と」

「コーレン家の中で、自分とは別の系統で動いている者がいる、と。ジェフールはその系統の頭で、ヴァルクは八年前から、その動きから距離を取って、別の生き方を模索していた、と」

「別の生き方、というのは」

「私の財務を担うことです」リアフォードは言った。「ヴァルクは、コーレン家の従来の動き──密貿易や、影での政治介入──から離れて、表の財務官として生きようとしていた、と話しました」

 俺は黙って聞いていた。

「殿下は、その話を、信じておられますか」

 リアフォードは少し、目を伏せた。

「半分は信じています。残りの半分は、判断がつきません」

 俺は頷いた。

 ヴァルクは、昨日のうちに自分の立場を、リアフォードに説明した。それは、ザックロードがコーレン家を調べはじめたことを察知して、先手を打った可能性がある。あるいは、本当にコーレン家から離れようとしている覚悟の表れかもしれない。

 判断するには、まだ早かった。

「殿下」俺は言った。「ヴァルク殿に、お会いしたい」

 リアフォードは少し考えた。

「呼びましょう」

 リアフォードは部屋を出た。

 俺はイリアと、卓に残された記録を見ていた。

「ヴァルクは、敵か、味方か」イリアが小声で聞いた。

「どちらでもないかもしれない」俺は答えた。「あるいは、両方かもしれない」

 イリアは少し笑った。

「判事らしい答えですね」

「経験則だ」

 しばらくして、扉が開いた。

 リアフォードと共に、もう一人の男が入ってきた。

 四十代後半か。痩せ型で、目が鋭かった。商人風の質素な装束を着ている。礼儀正しく頭を下げた。

「ヴァルク・コーレンと申します。アモス殿、お話しできて光栄です」

 俺はその男を見た。

 判事の経験から言えば、初対面の数秒で、相手の輪郭が大体わかる。この男は、難しい類だった。

 嘘も真実も、同じ顔で言う者だ。

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