11. 副大使の取り調べ
翌朝、俺たちは三つの異なる情報を、三人の異なる相手に流した。
一つ目は、デルノフ卿に。記録の作成は王城の東棟、午前から始まる、と。
二つ目は、ベルトを介して、現地採用の書記官の数人に。記録作成は王城の中央棟、昼前から、と。
三つ目は、傭兵団の同僚二人に。記録作成は王城の北棟、午後から、と。
実際にリアフォードと約束していたのは、王城の南棟、午前中の早い時間からだった。
仕掛けを終えた後、俺とイリアは大使館を出た。ヴェラ・ドルスが城門の手前で待っていた。今日は騎士の装束に戻っていた。腰に剣を帯びている。リアフォードが王太子の管理下に入った以上、ヴェラの立場も変わっていた。
城門を抜けると、衛兵が幾人か立っていた。リアフォードが従えていた者たちと、王太子が城外から戻した者たちが、混じっている。視線が交差していた。
「殺気はないな」俺は小声で言った。
「リアフォード殿下がご自身で、城内の者を抑えてくださっています」ヴェラは言った。「殿下のお人柄を、改めて感じます」
俺は頷いた。
南棟の応接室に通された。広い部屋だった。卓と椅子、それに書記用の机が用意されていた。窓は東向きで、午前の光がよく入る。書類を扱うには適した部屋だった。
リアフォードは、すでにそこにいた。
昨日と同じ装束だった。しかし、目が少し違って見えた。覚悟が決まった目だった。
「アモス殿、イリア・オットー殿。お待ちしておりました」
俺たちは礼を返し、椅子に座った。
「では、始めさせていただきます」リアフォードは言った。「私が書き残したいことを、口述します。イリア・オットー殿には書き取っていただきたく、アモス殿には内容の確認をお願いします」
「承知しました」イリアが言った。
リアフォードは目を閉じた。少しの間、考えを整理しているようだった。それから、目を開けて、話しはじめた。
「私が連合王国と接触したのは、五年前のことです。当時、大使館員としてサーキニアに駐在していた連合王国の文官と、宴席で同席する機会がありました。その文官が、帝国の経済圏に属することの不利益について、興味深い分析を持っていました」
イリアの筆が走った。
俺は黙って聞いていた。
リアフォードは、淡々と話した。連合王国との接触の経緯、資金援助の話が出た時期、それを受け入れるに至った自分の判断、側近たちとの議論、そして最終的にクーデターを決断した夜のこと。
話は順序立っていた。記憶が鮮明だった。
昼前まで、リアフォードは話し続けた。途中で休憩を一度取った。茶が運ばれてきた。
「アモス殿」リアフォードは茶を飲みながら言った。「私の話の中で、何か気になる点はありましたか」
俺は少し考えた。
ヴァルク・コーレンの名前が、何度か出ていた。財務の管理者として、また側近の一人として。しかし、リアフォードはヴァルクを、あくまで一人の側近として語っていた。背後にコーレン家の歴史があることや、別の動きをしている可能性については、触れていなかった。
知らないのか、あるいは話していないだけか。
「一つ、お伺いしてもよろしいですか」俺は言った。
「どうぞ」
「ヴァルク・コーレンという方について、もう少し詳しく聞かせていただけますか」
リアフォードの目が、わずかに動いた。
「ヴァルクは、私の財務を取り仕切ってきました。長い付き合いです」
「彼を、どこまで信用していますか」
リアフォードはしばらく黙った。茶器を卓に置いた。
「全てを、ということではありません」リアフォードは言った。「彼は有能ですが、彼自身の利害を持っている。それは私も承知しています」
「彼自身の利害というのは」
「コーレン家の利害、と言うべきかもしれません」リアフォードは言った。「彼の家系は、長くサーキニアの王家と関わってきました。表向きと、表に出ない部分の両方で」
俺はイリアを見た。イリアは筆を止めて、リアフォードを見ていた。
「殿下は、コーレン家が五十年前に問題になった商会と関係があることを、ご存知ですか」俺は聞いた。
リアフォードは頷いた。
「知っています。その件は、私の祖父の代に起きたものです。父も、私も、その経緯は引き継いでいます」
「ヴァルクが、コーレン家としての利害を、今回の件にも持ち込んでいる可能性を、お考えになりましたか」
リアフォードは長く黙った。
「考えなかった、とは言いません」やがて、ゆっくり言った。「ただ、私はヴァルクの利害と、私の信念が、結果的に一致していると判断していました。両者が異なる方向を向いた場合、どちらが優先されるかを、私は確かめていなかった」
「殿下」俺は言った。「昨夜、私は王都の南区で、リオンというサーキニア人の動きを追いました。彼は大使館に長く勤める書記官です。彼が接触していた相手の建物には、コーレン商会の紋様が刻まれていました。同じ紋様が、五十年前の記録にも残っています」
リアフォードの顔が、少し固くなった。
「リオンと、ヴァルクが繋がっているとお考えですか」
「現時点では、コーレン家の系統に繋がる動きが、大使館の中にも、王都の中にも入っている、ということです。それが全てヴァルクの指示によるものか、コーレン家の他の者の動きか、それはまだわかりません」
リアフォードは深く息を吐いた。
「私が、見ていなかった部分です」
「殿下を責めているわけではありません」俺は言った。「ただ、殿下が今、書き残そうとしている内容に、コーレン家の動きを加えていただきたい。殿下が知っていることだけで構いません。それが、王太子殿下と国王陛下の判断材料になります」
リアフォードは長く黙っていた。
「わかりました」やがて、言った。「ヴァルクと、コーレン家のことも、話します」
俺は頷いた。
リアフォードは茶を飲み干した。それから、再び口述を始めた。
今度は、ヴァルク・コーレンについての話だった。彼の経歴、彼の家系、彼が今回の件で果たした役割。リアフォードの記憶の中から、断片を拾うように、慎重に語った。
昼前に、口述は一段落した。
俺は窓の外を見た。日差しが強くなっていた。
今頃、王城の他の棟に、別の動きがあったはずだった。デルノフ卿が知っていた東棟、現地採用書記官たちが知っていた中央棟、傭兵団の同僚たちが知っていた北棟。そのいずれかに、第三の手の者が現れたか、現れなかったか。
ヴェラが応接室の扉を開けて入ってきた。表情が硬かった。
「アモス殿」
「何ですか」
「東棟に、不審な者が侵入しようとして、衛兵に取り押さえられました」
俺はイリアを見た。イリアも俺を見た。
東棟。デルノフ卿に流した情報だ。
「捕らえた者の身元は」
「サーキニア人ですが、王城に出入りする者ではありません。商人風の格好をしていました」
「リオンの繋がりかもしれない」俺は言った。「丁寧に話を聞いてください。ただし、急がないように。私が後で、合流します」
「承知しました」
ヴェラが部屋を出ていった。
俺はリアフォードを見た。
「殿下」
「はい」
「申し上げにくいのですが、漏洩元の一人がデルノフ卿である可能性が出てきました」
リアフォードは少し驚いた顔をした。
「帝国大使が、ですか」
「断定はまだできません。ただ、流した情報が漏れたのは事実です。確認させていただきます」
俺は立ち上がった。
「イリア・オットー殿は、ここに残ってください。記録の続きを、殿下と進めてください」
「承知しました」イリアは言った。
俺は応接室を出た。
帝国大使館の中に、第三の手が入っているかもしれない。
それは、想定の中で最も厄介な可能性だった。
大使館に戻る道、俺は普段より慎重に周囲を見ていた。
昨夜の感覚はまだ残っていた。誰かが俺を見ている。その視線は明確ではないが、消えてもいない。距離を取って、確認する者の視線。
俺は表通りを避け、市場の裏路地を抜ける道筋を選んだ。混雑の中に紛れる方が、追う者の動きを掴みやすい。
大使館の正門に着くと、ベルトが出迎えた。表情で、すでに状況を察していた。
「東棟の件、ヴェラから報告を受けたか」俺は聞いた。
「ああ。仕掛けの一つが当たったらしいな」
「デルノフ卿に話がある。執務室にいるか」
「いる。今日は朝から書類仕事だ」
俺は頷き、館内に入った。
執務室の扉を叩くと、すぐに応答があった。デルノフ卿は卓に向かって、書類を読んでいた。俺の顔を見ると、ペンを置いた。
「アモス殿。記録の作成は順調ですか」
「進んでいます。一つ、お話があります」
俺は卓の前の椅子に座った。デルノフ卿は黙って俺を見ていた。長く外交畑を歩んできた者の、感情を表に出さない目だった。
「単刀直入に申し上げます」俺は帝国標準語で言った。込み入った話をする以上、互いの母語の方がいい。「今朝、私はある仕掛けをしました。三人の異なる相手に、それぞれ少しずつ違う情報を流しました。記録作成の場所と時間について、です」
デルノフ卿の眉が、わずかに動いた。
「それは、何のために」
「漏洩元を特定するためです」
「私を、疑っているのですか」
「断定はしていません。ただ、可能性の一つとして、確認をしています」
デルノフ卿は少し沈黙した。それから、ゆっくり言った。
「私が東棟と聞かされた情報が、外部に漏れた、と」
「東棟に侵入しようとした者が、衛兵に取り押さえられました。リオンの繋がりかもしれない者です」
デルノフ卿は深く息を吐いた。
「アモス殿。私は、誰かに東棟のことを伝えた覚えはありません」
「では、誰が情報を持ち出した可能性がありますか。私が伝えた後、卿が誰と接触されたかを、お聞かせいただけますか」
デルノフ卿は少し考えた。
「今朝、卿に伝えた後、私は副大使と、書記官二名と、それから現地採用の事務員一名と話をしました。ただし、東棟という具体的な情報は、誰にも伝えていない」
「副大使と、書記官二名の名前は」
デルノフ卿は名前を挙げた。俺は頭の中に書き留めた。
「その四人のうち、東棟という言葉を発する場面はあったか、と聞いています」
「東棟という言葉自体は、出していない。しかし──」
デルノフ卿は言葉を止めた。何かに思い当たった顔だった。
「しかし、何ですか」
「副大使と話したとき、私は卿が今日、王城に向かったと話した。その後、副大使が事務員に何かを指示していた。その内容までは、私は聞いていない」
俺は頷いた。
「副大使の名前を、もう一度教えてください」
「ハロド・ミクストン。我々は、ミクストンと呼んでいます」
俺は名前を反芻した。聞き覚えのある名前ではなかった。しかし、それは俺がサーキニア駐在の長い人物について全てを知らないだけのことだ。
「ミクストン氏について、教えていただけますか。経歴と、卿との関係を」
デルノフ卿は眉を寄せた。
「ミクストンは、私の前任者──十五年前に大使を務めた人物の代から、この大使館にいます。当時は事務官でした。書記官、参事官と昇進し、副大使になったのは三年前です。私が着任する前から、ここにいる男です」
「十五年以上、サーキニアに駐在している、ということですか」
「そうなります」
俺は少し考えた。
十五年。長い時間だ。その間に、サーキニアの内部に深い人脈を築くこともできれば、別の利害に取り込まれることもありうる。
「ミクストン氏は、現在どこに」
「副大使室にいるはずです」
「呼んでいただけますか」
デルノフ卿は呼び鈴を鳴らした。
しばらくして、扉が開いた。入ってきたのは、四十代後半の男だった。痩せ型で、髪を後ろに撫でつけている。目が落ち着いていた。長く外交の現場にいる者の、感情を表に出さない目だった。
俺はその目を見た。
驚きはなかった。緊張もなかった。
ただ、一瞬だけ、視線が俺の指先に落ちた。
俺の指先には、何もなかった。しかし、ミクストンの目は、そこに何かを探していた。
判事をしていれば、こういう細かい動きには気づく。
「ハロド・ミクストン副大使」俺は言った。「少しお話を聞かせていただけますか」
「もちろんです、アモス殿」
ミクストンの声は穏やかだった。しかし、その穏やかさには、ほんの微かな揺れがあった。
俺は卓の上の魔法具を取り出した。掌に乗る大きさの、紋様の刻まれた石だった。
「魔法具を使わせていただきます。よろしいですか」
ミクストンの目が、わずかに動いた。
「……拒否権は、おありになるのでしょうか」
「あります」俺は言った。「ただし、拒否されれば、別の方法で確認させていただくことになります」
ミクストンは少し笑った。穏やかな笑い方だった。
「では、お願いします」
俺は石をミクストンに向けた。淡く光った。
「副大使。今朝、デルノフ卿から、私が王城へ向かったという情報を聞かれましたか」
「聞きました」
石は揺れなかった。
「その情報を、誰かに伝えましたか」
ミクストンは少し間を置いた。
「伝えました」
「誰に」
「現地採用の事務員のリオンに、です」
石は揺れなかった。
しかし、俺は少しの違和感を感じた。
「リオンに、王城の何棟に俺が向かったか、伝えましたか」
ミクストンは答える前に、また少しの間を置いた。
「東棟に、と伝えました」
石が、揺れた。
明確な揺れだった。
俺はミクストンを見た。
「副大使。あなたは、デルノフ卿から東棟という情報を聞かなかった、と先ほど話されていましたね。それなのに、リオンに東棟と伝えた。順序が、合いません」
ミクストンは穏やかな顔のまま、しばらく俺を見ていた。
それから、言った。
「アモス殿。判事としてのお仕事、お見事です」
ミクストンの言葉の響きに、何かが滲んでいた。
諦めではなかった。
覚悟だった。




