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11・狼のクリスマス ~その1~

 帰宅ラッシュの時間帯が過ぎようとしていたころ、わたしはようやく仕事を終えて自家用車の運転に集中していた。


――早く帰らないと……。


 夜に妻と食事をするため、2人ともがお気に入りの洋食屋にクリスマス用のコース料理を20時で予約していた。

 この洋食屋は30歳前後の男性が個人で経営していて、女性客に人気のある店だった。

 主にハンバーグが有名で、他にも鴨のローストや、生ハムと野菜のピザなど、一品々々が丁寧に作られており満足度の高い料理を提供していた。


 厨房のスタッフもおそらく30歳前後の、爽やかな男性。

 ホールスタッフは大学生のアルバイトとおぼしき可愛い女性で、顔の良さで採用しているのか? と思ってしまうほど綺麗な顔をしていた。

 店内の清潔感や、スタッフの愛想の良さ、気配りの良さ、それらのすべてから経営者の人柄がうかがえた。

 また経営者本人も愛想が良く、常に前線に立って店を切り盛りしていた。


 街灯が多い道路へ出たときに腕時計を見ると、すでに19時半だった。――車内に搭載されているデジタル時計は必ず時間が狂うのでアテにしていない――

 予約している時間まであと30分しかない。

 いくらか焦りを感じながらも、交通事故だけはしないようにと慎重に運転していた。


「そういえば、狼さんはいまごろ荒木と食事をしている時間かな」


 ふとそんなことを思った。

 狼さんが何時からどこで荒木と食事をするのかは聞いていなかった。

 むしろ、あまり知りたいとも思わなかった。知ってしまうとよけいに気になるからだ。


 19時40分……。


 まずい。急がなければ。

 それから5分後に自宅に到着し、妻を車に乗せて予約済みの店へと急いだ。


 ちょうど20時に店に着くことができてわたしは安堵した。

 せっかくのクリスマスの日に、妻の機嫌を損ねるような事態にはなりたくなかった。

 もっとも、わたしから言わせればクリスマス自体はべつに特別な日でもなんでもない。

 だが女性の感覚は男とは違うようだ。

 少なくとも妻はそういった特別な日を設けるのが好きだった。


 店の中に入ると、すでにほとんどのテーブル席がうまっていた。

 客は若い男女が多かったが、なかには年配の夫婦とおぼしき姿も見えた。予約をしていなければ、「申し訳ございません、あいにく満席で……」と門前払いをされるところだ。

 わたしたちは“予約席”のプレートが置いてあるテーブルに通された。



 たっぷり2時間を使ってコース料理を食べ終えたころ、わたしの携帯電話からスーパーマリオのコインの音が鳴った。

 メールの着信だ。

 まだ食後のホットコーヒーを飲んでいるところだったので――妻は梅酒を飲んでいた――、妻の前ですぐにメールチェックをするのはやめておいた。

 妻との食事の時間を大切にしたい、という気持ちが強かったのかもしれない。


 けれど、それからずっとメールが気になってしかたがなかった。

 もしかすると狼さんからのメールかもしれない。

 腕時計を見ると、すでに22時を過ぎていた。


 狼さんと荒木の食事は終わったのだろうか。

 そのあと2人でどこかへ出かけたのだろうか。

 もしそうだとしたら、狼さんはいま何の用事で、どんな内容のメールを送ってきたのだろう。

 すぐにでもメールを見たいという衝動にかられたが、わたしはそれをぐっと堪えた。


 コーヒーを飲み終え、レジで支払いを済ませて店の外へ出た。

 妻は満足気な様子だった。


――家に帰るまでが遠足です。


 子供のころに何度も耳にしたフレーズが脳裏をよぎった。

 この教育が徹底して刷り込まれている子供たちは、帰宅するまでさぞ慎重に行動することだろう。

 わたしは家に着くまで携帯電話には触れなかった。


 翌日が仕事ということもあり、食事のあとはまっすぐ家に帰った。

 結婚する前はクリスマスプレゼントを事前に用意していたものだが、結婚してからは妻に自分の好きな物を選んでもらうようになっていた。

 お互いの休みが合う日に買い物へ出かけて、一緒にいろんな店を見てまわる。たいていは洋服や、バッグ、ブーツ、腕時計などを選ぶことが多かった。

 妻にとってはそんな買い物も楽しみの一つであるらしく、いまではそれが毎年の恒例になっていた。


 当然ながら、わたしは狼さんへのクリスマスプレゼントなどは用意していない。

 わたしと狼さんとの関係は、単なる友人だ。

 既婚者がプレゼントなんかを渡してしまうと、狼さんも迷惑がるだろう。たとえそれが「マブダチ」としての意味合いだったとしても。



 帰宅後、自分の部屋に入ったときにようやくメールチェックをしてみた。

 スマートフォンのメールアプリを立ち上げると、画面に最新の受信メールが表示された。


 そこに現れた受信メールは、ただのサイトメールだった。


 2年ほど前にスマートフォンで麻雀アプリをやるときに登録したサイトからのメールだった。

 サイト内での新たなイベント、麻雀王決定戦だかなんだかのお知らせだ。いまとなってはどうでもいい。


 狼さんからのメールは一通たりとも来ていなかった。

 部屋の時計を見ると、23時をまわろうかという時間だった。

 さすがにもう荒木との食事は終わっているころだろう。

 まだ荒木と一緒にいるのだろうか。

 なぜかそんなことばかりが気になりだした。


 狼さんは荒木とどんなクリスマスを過ごしたのだろう。もしくは、“過ごしている”のだろう。

 しばらく悶々と考えていたが、あまりにも自分が女々しいことに気付き、考えるのをやめた。


 いつも狼さんは「早く結婚して名字を変えたい」と言っていた。

 狼さんに恋人ができたときは、むしろ祝ってあげるべきだろう。

 なのにいま、どうしてこんなに不安な気持ちが押し寄せてくるのかわからなかった。


 以前、狼さんに、「もしわたしが結婚したときは、スナちゃんも結婚式に来てくれますか?」と訊かれたことがある。

 そのときもいまと似たような気持ちになったことを思い出した。


 わたしと狼さんは12歳もの年の差がある。干支で言うと、ちょうど一回り違う。

 狼さんはわたしのことを単なる友人だと思っていて、おそらく異性としては見ていない。

 それに、わたしには妻がいる。


 そんなことを自分の心に焼きつけながら、自制心を働かせた。



 風呂に入り、近いうちに友達と酒でも飲みに行こう、などと考えながら頭の中をスッキリさせた。

 風呂から出て歯を磨いたあと、自分の部屋に入ったときに携帯電話に目をやった。

 するとメールを受信したときの青いランプが点滅していた。

 わたしはすかさず携帯電話を手に取り、メールを確認した。


 狼さんからだった。





「荒木さんに、強引にホテルに誘われました」





一気にわたしの心拍数が上がった。



――自制心が……。



 わたしと交代で妻はいま風呂に入っている。

 メールではなく直接話を聞きたいと思ったわたしは、「いま少しだけ話せる?」と返信した。

 5分後に「はい」と一言だけ狼さんから返ってきた。


 わたしは財布と車のキーをつかみ、上着を着て外に飛び出した。小走りで駐車場に停めてある車まで急いだ。

 歩いてるんだか走ってるんだかわからない。こんな中途半端な小走りをしたのはひさびさだった。

 風呂で温まっていた体が一気に冷えはじめた。


 車に乗り込みエンジンをかけて暖房を入れ、狼さんに電話をした。

「もしもーし」いつもと変わりない狼さんの声。

「こんな時間に電話してごめん」

「いいですよー。わたし、いままだオークラから帰ってるとこなんですよ」

 狼さんの声に混じって、道路を走る車の騒音が聞こえた。


「おーくら? オークラって、ホテルオークラ神戸?」わたしは即座に尋ねた。

「そうですよ。荒木さんとオークラで食事してたんで。最上階のレストラン、すっごいオシャレでしたよ」


 狼さんの声はのんびりしていた。なにやらわたしだけが緊迫した状態のようだった。


「そうなんだ……で、『ホテルに誘われた』っていうのは?」

「なんか、荒木さんいろいろ訊いてくるんですよ。わたしのお姉ちゃんのこととか、お父さんのこととか……そういうのはあんまり話したくないから、はぐらかしてたんですけど、そしたら荒木さんが『食事のあとに二人きりでゆっくり話したいって』言いだして……」

「荒木さんはオークラに部屋とってたの?」

「はい。埼玉から飛行機で来たらしいんで。一泊して明日の朝帰るって言ってましたよ」


 荒木は狼さんと食事をするためだけに、わざわざ埼玉から神戸まで来たのか?

 そんなに狼さんのことを好きになったのだろうか。


「それで……夏帆ちゃんは、荒木さんの部屋に行ったの?」わたしは自分が一番気になっていたことを、つい口に出してしまった。


――自制心が……。


「行くわけなかとですやん!」狼さんが声を荒らげた。


 いまのは博多弁か?

 ときどき狼さんは、どこの地方のものかわからない方言を使う。


 狼さんが話を続けた。

「食事のあと、荒木さんがわたしの腕をつかんで強引に部屋に連れて行こうとするから、わたし『帰ります』って言ったんですよ。そしたら急に低姿勢になって謝ってくれて、『ロビーの階にバーがあるから、そこでもう少し話をしたい』って言いだして……それで、さっきまでそこで荒木さんとお酒飲んでたんですよ」


 わたしは言葉を失った。

 荒木はどういうつもりなんだ?

 そんな強引に誘ったって、拒否されるのはわかるだろうに。それとも食事の最中に“手ごたえ”でも感じていたのか?

 もしくはそこまで狼さんに惚れているということなのか?

 それが荒木なりの、“いつもの女性の口説き方”なのか……。


 どうやらわたしが先ほどまで感じていた不安は、狼さんのことよりも、荒木がどんな男なのか謎だからかもしれない。


「荒木さん、あんなに強引じゃなければ、けっこうステキなんやけどなー」のんびりした声で狼さんが言った。

「そうなんだ……」わたしは次の言葉が出なかった。


「荒木さん話が上手なんですよ。グイグイ引っ張っていくというか、『おれについて来い!』みたいなタイプでしたよ」


 そこからは、狼さんによる荒木の人物紹介がはじまった。

 背が高くてガッチリした体型、少し日に焼けていて、短髪。

 不動産売買の仕事をしていてバリバリの営業マン。話題が豊富で、いままでに会ったことがないくらい魅力的な男性だった、とのこと。


 狼さんがあまりにも荒木のことを褒めるため、荒木のことが苦手なのか、それとも好みのタイプなのか、わたしにはよくわからなくなってきた。


「スナちゃん……」

 とつぜん狼さんが声をひそめて言った。

「うん?」

「後ろに誰かいるみたい」さらに狼さんの声が小さくなった。

「え? そういえば、いまどうやって帰ってるの?」

 電話での会話のあいだずっと狼さんの声に混じって聞こえていた道路を走る車の騒音は、いつの間にか消えていた。


「オークラからずっと歩いて帰ってます」狼さんが囁くように答えた。

「え?! 歩き? タクシー使わないの?」

少しの間。「はい……歩いて帰りたい気分やったんで……」

 ホテルオークラ神戸から狼さんの自宅まではけっこうな距離がある。

 歩いて帰るとなると、40分以上はかかるだろう。


「夏帆ちゃん、いまどこらへんにいるの?」

 わたしは狼さんにいま見える町名のプレートや、目印となる建物などを訊いた。

 電話を繋げた状態のまま、スマートフォンの<Google Map>アプリを開き、地図を見ながら狼さんの現在地のおおよその見当をつけた。


 そしてそのまま車のサイドブレーキを解除してギアをドライブに入れ、駐車場を走りぬけた。




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