第39話:夜の焚き火と告白
パチ、パチ、と乾燥した薪が爆ぜる音が、夜の静寂に優しく溶けていく。
ラディスへの帰路の途中、日没を迎えた二人は、街道から少し外れた小高い丘の木陰に小さな野営陣地を張っていた。
空を見上げれば、満天の星々が澄み渡る夜空を埋め尽くしている。王都遠征の夜にも見上げた美しい星空だったが、今夜の星の光は、どこか一層柔らかく二人を照らしているように思えた。
「アルトさん、スープが温まりましたよ。はい、どうぞ。熱いですから気をつけてくださいね」
エルシアは携帯鍋から木製の器に具だくさんの野菜スープを注ぎ、湯気を立てる器をアルトへと手渡した。
アルトは焚き火の前に腰を下ろし、受け取った器に両手を添えた。黒い革の手袋を外した指先に、温かな湯気がふわりと絡みつく。
「……すまない。野営の設営も、食事の用意も任せてしまったな」
「もう、そんなの気にしないでください! 設営も料理も元受付嬢の得意分野ですし、何より今日はアルトさんが迷宮で大活躍だったんですから! これくらいさせてくれないと、相棒としての私の立場がなくなっちゃいます」
エルシアはアルトの隣、肩が触れ合わない程度の心地よい距離に腰を下ろし、自分の器にふーふーと息を吹きかけた。
干し肉と根菜を煮込んだだけの簡素な野営料理だが、口に含むと、肉の塩気と野菜の甘みが疲れた身体にじんわりと染み渡る。
「……美味いな」
アルトが小さく呟き、静かにスープを口に運んだ。
いつもなら「悪くない」「十分だ」と最短の感想で済ませるアルトが、今夜は穏やかな声音でそう言った。それだけで、エルシアの胸の奥がぽかぽかと温かくなる。
しばらくの間、二人の間には心地よい沈黙が流れていた。
パチリと薪が爆ぜる音。草むらで鳴く秋の虫の声。そして、時折吹き抜ける夜風が、エルシアの金髪とアルトの灰色の前髪を優しく揺らす。
やがて、器を膝の上に置いたアルトが、揺れる炎を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「……昔から、ずっと一人だった」
低く、夜風に吸い込まれるような声だった。
エルシアはスプーンを止め、静かにアルトの横顔を見つめた。
火の粉が朱色に照らすアルトの瞳は、遠い過去を映すように細められている。彼が自ら進んで過去を語り出すことなど、出会ってから一度もなかった。
「物心ついた頃から、剣を振ることしか知らなかった。……師匠からは『無駄を削げ。呼吸を殺せ。最短で急所を突け』とだけ教わった。俺はその教え通り、ただひたすらに刃を研ぎ澄ませた」
アルトは自らの右の掌を見つめた。
剣ダコと無数の古傷が刻まれた、無骨な手。
「だが……冒険者になって、初めて他人と組んだ時、言われたのは賞賛ではなかった。『気味が悪い』『お前の剣は速すぎて、何を考えているのか分からない』……そう言って、誰もが俺から離れていった」
「…………」
「ゼクスたちと出会った時、少しだけ期待したんだ。王都の精鋭であるあいつらなら、俺の速度についてこられるのではないかと。……だが、結果は同じだった。あいつらもまた、俺の剣を恐れ、嫉妬し、最終的には『連携を乱す欠陥』と切り捨てた」
苦い吐息が、アルトの唇から零れ落ちる。
誰にも理解されず、歩み寄ろうとするたびに拒絶され、裏切られてきた年月。
どれほどの孤独が、この人の心を氷のように閉ざしてしまったのだろう。エルシアは胸が張り裂けそうになるのを必死に堪え、ただアルトの言葉に耳を傾けた。
「いつしか……俺は思うようになった。俺の剣は、誰かを傷つけるためだけの呪いなのだと。誰かと背中を合わせようとすれば、その相手を不幸にする。だから、俺は誰とも関わらず、一人で魔物を斬り捨てるだけの『道具』になろうとした」
アルトは俯き、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「ラディスに来てからも、ずっとそうだ。周囲から変人扱いされようが、冷たい目で見られようが、どうでもよかった。……俺の剣はそういうものだと、自分を納得させていた」
そこで言葉が途切れた。
アルトはゆっくりと顔を上げ、隣に座るエルシアへと視線を向けた。
炎に照らされた灰色の瞳が、エルシアの碧眼をまっすぐに見つめている。
「……だが、お前が現れた」
「え……?」
「あの朝、ギルドの床で瀕死の冒険者を救ったお前を見て、俺は直感した。お前なら、俺の剣の『崩れ』を拾えるのではないかと。……最初は、ただ合理的な判断だった。怪我を恐れずに斬るための、都合のいい回復役としてお前を選んだにすぎない」
アルトは自嘲するように目を細めた。
「それなのに……お前は、俺の想像をすべて超えていた。俺の思考負荷をすべて引き受け、戦況を整え、あろうことか……俺の剣を『世界で一番かっこいい』と言い放った」
アルトの耳たぶが、焚き火の赤さとは違う熱を帯びて、微かに朱色に染まっていく。
「信じられなかった。……欠陥品だと罵られ、呪いだと信じ込んできたこの剣を、お前は一度も否定しなかった。いつだって前を向き、いつだって全力で信じてくれた」
アルトの声が、微かに震えていた。
いつも感情を押し殺し、氷のように冷徹だった最強の剣士が、今、子供のように無防備な魂を晒している。
「お前はいつも『アルトさんが何者でもなかった私を見つけてくれた』と言う。……だが、違う」
アルトは息を吸い、エルシアの瞳を逃がさないように見つめ返した。
「救われたのは……俺の方だ、エルシア」
焚き火の爆ぜる音が、ふっと遠のいた。
星空の下、二人の視線が重なり合い、世界からすべての音が消え去ったかのような静寂が、二人を優しく包み込んでいた。
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