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第34話:救助への出撃

 静まり返ったギルドの入口で、アルトは倒れ伏す血まみれの従者を冷淡に見下ろしていた。


 その瞳には、憐憫も怒りも浮かんでいない。ただ北の山嶺に吹き付ける吹雪のような、底知れぬ静寂だけが横たわっていた。


「……アルト」


 ドノヴァンが重々しい口調で名を呼んだ。隻眼に苦悩と葛藤を滲ませながら、カウンター越しにアルトを見つめる。


「状況は聞いた通りだ。ゼクスたち《漆黒の牙》が『黒曜の深淵』の未踏層で孤立し、全滅の危機に瀕している。……ギルドマスターとして、お前に救助を命じる筋合いはねえ。あいつらがお前に何をしたかも、昨夜何をほざいたかも全部知ってる。だが……今、あそこの古代結界を突破して生き残りを拾い上げられる可能性があるのは、お前たち二人しかいねえ」


 ギルド中の視線が、アルトの背中に集中した。

 誰もが固唾を呑み、孤高の剣士の返答を待つ。


 だが、アルトの口から零れ出たのは、剃刀のように冷ややかな一言だった。


「……自業自得だ」


 感情を交えない、極めて合理的な切り捨てだった。


「警告を無視して死地に踏み込み、罠を踏んだのは奴ら自身の判断だ。助けに行く理由がない。……無駄足だ、俺には関係ない」


 アルトは踵を返し、扉の外へ立ち去ろうとした。

 かつて自分を「欠陥」と罵り、魔物の群れに殿として置き去りにした連中だ。昨夜もまた、エルシアを侮辱し、二人の実績を愚弄した。そんな者たちのために命を危険に晒す道理など、この世界のどこを探しても存在しない。アルトの判断は、冒険者として完全に正しかった。


「ま、待ってください……! アルト様……ッ!」


 床に這いつくばっていた従者の男が、折れた腕を庇いながら、必死にアルトの黒いブーツへと縋り付こうとした。


「頼みます……見捨てないでくれ……! ゼクス様があなたに酷いことをしたのは知っています! でも、中の仲間たちは本当に死にそうなんです……! 頼む、助けてくれェッ!」


 涙と泥に塗れた懇願。

 だが、アルトは立ち止まりこそすれ、視線すら向けなかった。その足元から漂う氷点下の冷気が、男の手を竦ませる。


 その時だった。


 ――すっ、と。


 アルトの横に、白い人影が並んだ。

 エルシアだった。

 エルシアは倒れる男に優しく視線を落としてから、アルトの隣に寄り添い、迷いのない手つきでアルトの左手首にそっと触れた。


「アルトさん」


 澄んだ、柔らかな声が、凍りついた空気を解かすように響く。

 アルトが眉をひそめ、エルシアを見下ろした。


「……エルシア。お前まで、あいつらを助けろと言うのか」


 その声には、微かな拒絶と、困惑が混ざり合っていた。


「あいつらは昨日、お前を小娘と見下し、侮辱した。……助ける義理など、どこにもない」


「ええ、その通りです。あの方たちのために命を懸ける義理なんて、爪の先ほどもありません」


 エルシアはあっさりと同意した。

 意外な返答に、アルトだけでなく、周囲の冒険者たちも目を白黒させる。

 エルシアはアルトの手首を包んだまま、満面の、一切の曇りのない笑顔をアルトに向けた。


「ゼクス様たちのためになんて、行きませんよ。……私たちが助けに行くのは、アルトさんのためです」


「……俺のため?」


「はい」


 エルシアは頷き、碧眼の奥に強い光を宿してアルトを見つめ返した。


「アルトさんの剣が、誰よりも正しくて、世界で一番強いってことを……あの人たちの目の前で、完璧に思い知らせてやるためです」


 アルトの呼吸が、わずかに止まった。


「合わせられないのはアルトさんが欠陥だからじゃない。あなた方が追いつけなかっただけなんだって、その目に焼き付けてもらいましょう。そして――何より」


 エルシアはアルトの手をきゅっと握りしめた。


「ここで見捨てたら、アルトさんはきっと『あいつらは自業自得で死んだ』と頭では割り切れても、心の中に冷たい棘を残してしまうはずです。私は、アルトさんにそんな過去の亡霊を一生背負わせたくありません」


 ――心の中の冷たい棘。

 その言葉が、アルトの胸の最も柔らかい部分を撃ち抜いていた。

 切り捨てて見殺しにすれば、復讐は成るかもしれない。だがそれは同時に、過去の理不尽な追放劇の呪縛を、生涯にわたって魂に刻み続けることと同義だった。


「私の調律があれば、古代の魔力結界だって一瞬で綻びを見つけられます。どんな変異種の群れがいたって、アルトさんの前を塞ぐことなんて絶対にできません。……アルトさん、行きましょう!」


 エルシアは胸を張り、誇らしげに告げた。


「アルトさんの神速で、過去の因縁ごと、全部綺麗に切り裂いてやりましょう!」


 無条件の信頼。

 どこまでも前向きで、どこまでもアルトの心を救うためだけに向けられた、眩しすぎる全肯定。


 静まり返るギルドの中で、アルトは呆然とエルシアを見つめていた。

 やがて――灰色の前髪の隙間から覗く耳たぶが、みるみるうちに赤く染まっていく。

 アルトは耐えかねたようにふいと視線を逸らし、手首に触れていたエルシアの手を、振り払うのではなく、そっと包み返すように握り直した。


「……本当にお前は、勝手なことばかり言う」


 吐息交じりの、苦笑のような呟き。

 だが、その声からは先ほどまでの凍りつくような冷気は完全に消え失せていた。

 アルトはエルシアの手を離し、腰の長剣の柄に手を添えて、カウンターのドノヴァンへと向き直った。


「……受ける。依頼票を出せ」


 最短の一言。

 その瞬間、張り詰めていたギルドの空気が一気に爆発した。


「アルト……エルシアちゃん……!」


 ドノヴァンが隻眼をカッと見開き、豪快に笑いながら特急救助令状をカウンターに叩きつけた。


「よく言った! 《ルミナ・ヴァレイン》に特級救助任務を発令する! 『黒曜の深淵』未踏層へ急行し、生存者を一人残らず拾い上げてこい!」


「おおおおおおッ!」

「行けぇっ! あいつらに目にもの見せてやれ!」

「アルト! エルシアちゃん! 頼んだぞ!」


 酒場中から割れんばかりの歓声と怒号のような声援が沸き起こる。

 アルトは歓声を背に受けながら、コートを翻して出口へと歩き出した。その隣には、純白の衣を揺らしながら満面の笑みを浮かべるエルシアが並んでいる。


「遅れるなよ、エルシア」


「はいっ! アルトさんの隣は、私の特等席ですから!」


 二人は風のようにギルドを飛び出し、ラディス北部の古代迷宮――『黒曜の深淵』へと向けて疾走を開始した。


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