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第31話:元パーティ《漆黒の牙》

 歓声と杯のぶつかり合う音が満ちていたギルド《白梟の止まり木》が、凍りついたように静まり返った。


 酒場の最奥、上等な毛皮が敷かれた円卓から立ち上がったのは、見上げるほどの巨躯を誇る男だった。

 身に纏うのは、黒漆で塗り固められた分厚い重装鎧。腰には大人の胴回りほどもある無骨な幅広の剛剣を佩いている。周囲に侍る三人の手勢もまた、歴戦の凄みを漂わせた一級品の装備に身を包んでいた。


 王都を拠点とする著名なSランクパーティ――《漆黒の牙》。

 そのリーダーを務める剛剣士、ゼクス。


「……ゼクス」


 ドノヴァンの低い唸り声が、カウンターの奥から響いた。いつもの豪快な笑みは消え失せ、隻眼に険しい警戒の色が宿っている。

 だが、ゼクスはギルドマスターの視線など意にも介さず、口元にねじ曲がった冷笑を浮かべたまま、重い足音を響かせて中央フロアへと歩み出てきた。床板が軋みを上げるたび、周囲の若手冒険者たちが息を呑んで後退る。


「遠征から戻ったと思えば、随分と田舎臭い宴で浮かれてるじゃねえか。……おいおい、ドノヴァンよ。王都の騎士団長様から紙切れ一枚貰った程度で、この落ちこぼれを『伝説の英雄』扱いか? 吹き出させんなよ」


 嘲笑を孕んだ声が、静まり返った酒場に響き渡る。

 ゼクスの視線は、周囲の誰でもなく、ただ一人――アルトに向けられていた。


「久しぶりだな、アルト。……まだその細っぺらい鉄屑を振り回して、無駄な我流ごっこを続けてたのか? 誰とも足並みを揃えられず、陣形を乱すしか能のなかった『欠陥剣士』がよ」


 ――欠陥剣士。

 その吐き捨てるような侮蔑の言葉に、エルシアの胸がちくりと痛んだ。


 隣に立つアルトを見上げる。

 アルトは表情を一切変えていなかった。眉一つ動かさず、氷のように冷徹な瞳でゼクスを見据えている。

 だが、エルシアの目は誤魔化せなかった。

 黒のコートの袖口から覗くアルトの左手――長剣の鞘を握る指先が、わずかに白くなるほど強く硬直していた。呼吸の拍がコンマ数秒乱れ、胸の奥の魔力循環に、鋭い棘のような引っ掛かりが生じている。


(……アルトさん)


 エルシアの背筋が冷える。

 いつもなら、どんな挑発や嘲笑にも完全に無反応を貫くアルトが、身体の芯で微細な軋みを上げている。

 この巨躯の男こそが、かつてアルトを「連携が取れない役立たず」と切り捨て、この街の片隅に一人追い落とした張本人なのだ。


「おい、ゼクス! 言葉を慎め!」


 耐えかねたように怒声を上げたのは、《銀の盾》のリーダー・ヴァルスだった。立ち上がり、ゼクスを睨みつける。


「アルトとエルシアは、王立騎士団が手を焼いた災厄級魔物『霧瘴のベヒーモス』を二人だけで討伐したんだぞ! 過去に何があったか知らんが、今の二人の実績を愚弄することは、このラディスの全冒険者に対する侮辱だ!」


「そうだ! アルトさんは欠陥なんかじゃない!」

「二人の連携はお前たちなんかよりずっと上だ!」


 カイルやマリーナ、周囲の冒険者たちが次々と声を荒らげ、椅子を蹴立てて立ち上がった。かつてアルトを気味悪がって遠巻きにしていた者たちすらも、今はアルトの神速と二人の絆を知っている。酒場中が殺気立ち、ゼクスたちを包囲するような敵意が膨れ上がる。


 だが、ゼクスは鼻で笑った。


「実績だと? 地方の三流冒険者が徒党を組んで、でかいだけの獣を一匹仕留めたのがそんなに誇らしいか? 王立騎士団の連中が腰抜け揃いなのは王都じゃ周知の事実だ。そんな生温い茶番で天狗になってんじゃねえよ」


 ゼクスは侮蔑の籠もった目を細め、アルトを一瞥してから、その隣に立つエルシアへと視線を流した。


「……それに、なんだその女は。聖職者のなりをして、戦士の太鼓持ちか? アルト、お前も焼きが回ったな。昔はどれだけ叩かれても一人で突っ走る意地だけはあったが……今じゃそんな小娘を後ろに侍らせて、甘い言葉で慰めてもらわなきゃ剣も握れねえのか」


「……黙れ」


 低く、地を這うようなアルトの声が落ちた。

 殺気だった。

 空気中の水分が一瞬で凍りつくような、凄まじい威圧がアルトの全身から噴き出す。鞘に納まったままの長剣から、目に見えない切っ先がゼクスの喉元を捉えていた。


 だが、ゼクスは肩を竦めて嗤う。


「図星かよ。いいか、小娘。そいつと組むのはやめておけ。そいつはな、味方の動きを何一つ見ちゃいない。自分勝手に跳び出し、陣形を崩し、仲間の背中を踏み台にして一人で悦に浸るだけの、救いようのない欠陥品だ。俺たち《漆黒の牙》がそいつを切り捨てたのは、パーティの安全を守るための当然の判断だったのさ。……そいつの隣にいたら、いつかお前も犬死にするぞ」


 親切めかした、毒のような忠告。

 酒場の空気が重く澱み、仲間たちの怒号が再び爆発しかけた――その瞬間。


「失礼ですが」


 澄んだ、凛とした声が、張り詰めた静寂を涼やかに切り裂いた。


 全員の視線が集まる。

 声を上げたのは、エルシアだった。

 純白の軽装神聖衣の裾をわずかに揺らし、エルシアはアルトの斜め前へと、迷いのない足取りで一歩進み出た。

 その顔には、受付嬢時代に見せていたような愛想笑いは微塵もない。かといって感情的な怒りに任せて声を荒らげるでもない。静かに、だが決して揺るがない絶対の確信を宿した碧眼が、見上げるような巨躯のゼクスを真っ向から射抜いていた。


「な、なんだ、小娘」


 ゼクスがわずかに眉をひそめる。

 エルシアは背筋をすっと伸ばし、透き通るような声で告げた。


「ゼクス様とおっしゃいましたね。王都のSランクパーティともあろう高名な方が、随分と節穴な目をお持ちのようで、驚いてしまいました」


「……あァ?」


 酒場中の息が止まった。

 あの温厚で誰にでも笑顔を絶やさない元受付嬢のエルシアが、Sランク冒険者を正面から「節穴」と言い放ったのだ。


「アルトさんが味方を見ていない、ですって? ……ふふ、可笑しなことをおっしゃいますね。アルトさんの剣は、誰よりも戦場を見ています。無駄な動作を極限まで削ぎ落とし、最短の軌道で敵の急所を断ち切る――それがアルトさんの剣です。味方が合わせられないのは、アルトさんが欠陥だからではありません」


 エルシアは一歩、また一歩とゼクスに向かって歩み寄る。

 その瞳には、ゼクスの放つ重苦しい威圧など微塵も響いていない。


「合わせるだけの技量と覚悟が、あなた方に足りなかっただけです」


「てめえ……ッ!」


 ゼクスの額に青筋が浮かび、腰の剛剣の柄に手が掛かる。

 だが、エルシアは瞬き一つしなかった。


「アルトさんの剣は、世界で一番速くて、世界で一番かっこいいんです。その神速の刃を『合わせられないから』という自分勝手な都合で切り捨て、あまつさえ『欠陥』と呼んで傷つけた……。恥ずかしいのは、アルトさんではなく、ご自身の無能を棚に上げて威張り散らしている、あなた方の方ではありませんか?」


 一分の隙もない、清々しいまでの完全論破。

 酒場のあちこちから、「よく言った!」「その通りだ!」と囁くような声が漏れる。


「小娘が……口を慎めよ。Sランク冒険者を舐めてると、タダじゃ済まねえぞ」


 ゼクスが獰猛な殺気を剥き出しにして、エルシアを見下ろした。

 だが、その殺気がエルシアに届くことはなかった。


 ――トン。


 エルシアの視界が、黒い布地に遮られた。

 気がつけば、アルトがエルシアの前に滑り込み、背中で彼女を完全に庇っていた。


「……それ以上、その女に近づくな」


 氷柱を突き立てるような、冷徹極まりない宣告。

 アルトは剣を抜いてすらいない。ただそこに立ち、ゼクスを見据えているだけだった。だが、その切っ先のない威圧は、ゼクスが放つ荒々しい殺気を紙一枚で容易く切り裂き、巨漢の身体をわずかに硬直させていた。


「ちッ……。相変わらず、可愛げのない野郎だ」


 ゼクスは舌打ちをし、剛剣から手を離した。ここで本気でやり合えば、酒場ごと吹き飛ぶことを察したのだろう。


「まあいいさ。口先だけでどれだけ吠えようが、冒険者の価値を決めるのは『結果』だ。……アルト、貴様がどれだけ無様になったか、近いうちにたっぷり思い知らせてやるよ」


 ゼクスは手下を引き連れ、乱暴にギルドの扉を蹴破るようにして立ち去っていった。


 バタン、と重い扉が閉まり、夜の静寂が酒場に戻る。

 張り詰めていた空気が緩み、仲間たちが安堵の息を漏らした。


「すげえよ、エルシアちゃん! あのSランクのゼクスを真っ向からやり込めるなんて!」

「さすが俺たちの守護神だぜ!」


 沸き立つ歓声の中、アルトは無言のまま踵を返し、足早に酒場の外へと歩き出した。

 その背中は、いつになく強張っていた。


「アルトさん!」


 エルシアは仲間たちの呼び止めを手を振って断り、コートの裾を翻して夜道へと消えていくアルトの背中を、急ぎ足で追いかけた。


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