↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

第24話 二人の突破口

チッチッ――と、エルシアの脳内で時間の針が刻まれていた。


ベヒーモスが吐き出そうとする赤黒い瘴気。

その吸気から排気へと切り替わる、わずかコンマ一秒の魔力の反転。

常人には知覚すらできないその極微の隙を、エルシアの琥珀色の瞳は逃さなかった。


「――いまです、アルトさん! 第三触手の根元、反転の結節点へ!」


エルシアが愛用の短杖を鋭く突き出した。

蒼銀石の髪飾りが眩い青光を放ち、収束された極細の光条――《調律治癒・透徹》が、大気を貫いて一直線に走る。


ピチュンッ――!


光条が、ベヒーモスの右前脚の付け根――第三触手の根元に潜む魔力結節点へ吸い込まれるように命中した。

バチバチッと激しい火花が散り、強固だった瘴気の力場が一瞬だけ歪み、無防備な結び目が露わになる。


そこへ。


「……捉えた」


空中で身を捻ったアルトが、すでに間合いへと到達していた。

一切の躊躇も、踏み込みのタメすらない。

エルシアが光を置いた座標へと、最短の軌道で細身の長剣が滑り込む。


スパァァァァンッッ!!!!


滑らかな肉を裂く音とともに、丸太のように太い瘴気触手が根本から両断された。

ボトッ! と地面に落ちた触手から、ドス黒い体液が噴き出す。


ギシャァァァァァァッッ!!!!


ベヒーモスが初めて、苦痛の絶叫を天へと響かせた。

触手を一本断たれたことで体内の循環バランスが崩れ、巨体が激しくよろめく。


「アルトさん、跳んで! 尾が薙ぎ払いに来ます!」


「……了解だ。お前の言う通りに跳ぶ」


エルシアの声と同時に、アルトは空中で巨体の甲殻を蹴り、無重力のように後方へと跳躍した。

そのわずか数センチ下を、空気を裂く漆黒の尾が猛スピードで薙ぎ払っていく。

敵の反撃を先読みしたエルシアの指示により、アルトの足は着地した瞬間から次の攻撃への初速を維持していた。


(よし……通じる! アルトさんの剣なら、絶対に斬れる!)


エルシアは確信とともに短杖を両手で握り直した。

だが、視界の端には、泥濘に倒れ伏す何百名もの騎士たちが映っていた。

広場に滞留する濃紫の瘴気を吸い続け、いまも呼吸を詰まらせて苦しんでいる。


「アルトさん、この人たちを救わせてください! このままじゃ、アルトさんが背後を気にせず思い切り走れません!」


「好きにしろ」

アルトは泥を滑るように間合いを保ちながら、短く応じた。

「……お前のやりたいようにやれ。背中は俺が預かる」


「はいっ! お任せください!」


エルシアは深く息を吸い込み、胸の中央に意識を集中させた。

耳元の蒼銀石が、彼女の心拍に呼応して澄んだ共鳴音を奏でる。

これまで培ってきた魔力循環のすべてを解放し、エルシアは短杖を天へと掲げた。


「――《調律・広域聖護》ッ!!」


カァァァァッ……!


エルシアの足元から、清らかな青白い光の波が、円環を描いて急速に広がっていった。

それは本陣全体を、吹き荒れる瘴気ごと包み込む、巨大な調律の結界。


ファァァァッ……!


光の波が通り抜けた瞬間、救護広場を覆っていたドス黒い瘴気霧が一瞬で霧散した。

それだけではない。

光を浴びた騎士たちの喉から、黒い澱みがスーッと抜け落ちていく。


「ごほっ……! あ、息が……通る……!?」

「胸の激痛が消えたぞ! 魔力が、ちゃんと身体を巡っている!」

「助かったのか……!? あの光は何だ!?」


血反吐を吐いて倒れていた騎士たちが、信じられない思いで次々と起き上がった。

広場に倒れていた数百名の兵士たちが、一斉に呼吸を取り戻したのだ。


「う、嘘でしょう……!?」

泥の中に座り込んだソフィアが、震える声で呟いた。

「広域の循環修復を、たった一撃で……!? 外傷を無理に塞ぐのではなく、大気と体内の魔力循環そのものを整えているの……!? 私たちが信じてきた治癒体系の外側に、こんな奇跡があるなんて……!」


「おい、見ろ! 前線だ!」

起き上がった騎士の一人が叫んだ。

「あの二人が……たった二人で、ベヒーモスを圧倒しているぞ!!」


エルシアは周囲の驚愕に構うことなく、全神経を前方へと集中させていた。

戦場のノイズは消え去った。

いま、この戦場には、彼女とアルトのテンポだけが支配している。


「アルトさん! 右旋回、第二、第四触手の循環が詰まります! 首筋の装甲の隙間に光を通します!」


「……合わせる。最短でいくぞ」


アルトの足が地を蹴った。

泥濘を滑るように疾走するその姿は、風そのものだった。


――世界から、あらゆる雑音が消え去っていた。


飛び散る泥の重さも、背後に迫る風圧も、自らの筋肉にかかる軋みすらも、今のアルトの意識には微塵も掠めない。

いつもなら全身を酷使して計算していた足場の凹凸も、敵の反撃の軌道も、ただの一滴すら気にする必要がなかった。

絶対の静寂。

ただ少女が置いた青白い光の点だけが、暗闇を貫くように鮮明に浮かび上がっている。


「アルトさん、踏み込みあと半歩! そこです!」


「……切る」


ヒュンッ! ピチュンッ――!


エルシアの光条が首筋の装甲の継ぎ目を貫き、循環の反転を固定する。

その刹那、アルトの刃が閃光となって滑り込んだ。


ズバァァァァンッ!!

ズバァァァァンッッ!!


「ギエェェェェェッ!?」


二本、三本と、ベヒーモスの背中に生える瘴気触手が、まるで剪定される小枝のように軽やかに切り落とされていく。

吹き出す瘴気は、エルシアが即座に放つ《小聖護》によって無力化され、アルトの衣の裾すら汚すことはない。


「ば、馬鹿な……我が騎士団の総力でも、傷一つつけられなかった怪物を……」

立ち上がったレオンハルトが、魂を抜かれたように呟いた。

「あの地味な最短の剣と……元受付嬢の指示だけで、完全に圧倒しているというのか……!?」


かつて「連携を乱す」と切り捨てられた男。

かつて「民間の入る領域ではない」と遠ざけられた少女。

二人が織りなすのは、何百人の軍勢を束ねても決して届かない、究極のバディの連携だった。


「アルトさん、世界で一番かっこいいです!」


「……余計な口を利くな。次の隙を寄越せ」


「ふふっ、もう準備できてますよ!」


エルシアは短杖を天高く掲げ、蒼銀石の髪飾りの全共鳴を引き出した。

ベヒーモスを覆っていた重装甲殻のすべての継ぎ目へ、網目のような青い光の糸が張り巡らされる。


「胸元の主装甲、結節点を短絡させます! そこが……心臓です!!」


カァァァァァァッッ!!


エルシアの調律が、ベヒーモスの最後の防御装甲を内側から弾けさせた。

バキバキバキッ! と音を立てて胸元の鉱石装甲が跳ね上がり、その奥から――ドクン、ドクンと赤黒い光を放ちながら脈動する、巨大な『主核(コア)』が剥き出しになった。


「グオォォォォォォォッッ!!!!」


逃げ場を失った災厄獣が、断末魔の咆哮を上げる。

アルトはすでに、その胸元へと向けて完璧な踏み込みを開始していた。


「……終わりだ」

静かな呟きとともに、刃が主核へと最短の直線を描く――はずだった。


その刹那だった。


ドス黒い光が、ベヒーモスの全身から逆流するように噴き上がった。

残された全魔力を注ぎ込んだ、断末魔の『反転瘴気波』。


バシュゥゥゥゥッ――!!


「っ……!?」


突如として巻き起こった濃密な黒霧が、空間全体の魔力循環をめちゃくちゃに乱反射させた。

エルシアの魔力探査が一瞬にして真っ黒に塗り潰される。

視界が塞がれ、光条の射線が完全に遮断された。


(しまっ……視えない!?)


さらに、濃霧の死角から、ベヒーモスの尾の先端に生えた不可視の瘴気刃が、音もなく背後のエルシアめがけて薙ぎ払われた。

防壁すら両断する必殺の奇襲。


アルトの刃なら、あとコンマ一秒で目の前の主核を貫ける。

最短を突いて主核を断てば、アルト自身の勝利は確定する。

背後の守りをすべてエルシアに委ね、自分はただ前だけを斬る――それが、二人が築き上げてきた完璧なシステムだった。


だが。


ザッ……!!


アルトは、踏み込んだ右足に強烈な急制動をかけた。

目の前に晒された無防備な主核を、自らの意志で完全に無視したのだ。


(アルト……さん……!?)


エルシアが息を呑んだ瞬間。

黒い旋風となって身を翻したアルトが、エルシアの目の前へと滑り込んでいた。

細身の長剣の腹を両手で支え、不可視の瘴気刃の軌道上へと割り込む。


ガギィィィィィィンッ!!!!


火花が闇を切り裂いた。

防壁をも断つはずの瘴気刃が、アルトの長剣によってミリ単位の狂いもなく弾き飛ばされた。


凄まじい衝撃波がアルトの腕を伝い、革鎧の肩口が弾け飛ぶ。

だが、その足は泥濘を噛み、一歩たりとも後ろへ引いていなかった。


「アルトさん……っ!? どうして……!?」

エルシアの声が震えた。

最短の攻撃を捨て、自らのシステムを壊してまで、自分を庇った。


「……背中を預けると言ったはずだ」


アルトはエルシアを背にかばったまま、低く、静かに告げた。

その灰色の瞳には、動揺など欠片もなかった。


「お前を死なせたら、俺が何のために剣を振っているのか分からないだろうが」


「……っ!」


エルシアの胸の奥が、熱く、激しく震えた。

完璧だったシステムが崩れたのではない。

互いを命がけで想い合うからこそ、二人はシステムを超えたのだ。


しかし、視界は依然として深い黒霧に閉ざされている。

そして頭上からは、怒り狂ったベヒーモスの巨大な前脚が、二人をまとめて叩き潰そうと振り下ろされようとしていた。


「アルトさん、前脚が来ます! でも……視界が真っ黒で、光が通りません!」


「構わん。……お前となら、どこからでも斬れる」

アルトは低く呟き、長剣を中段に構え直した。

「合わせろ、エルシア。……俺の太刀筋に、光を乗せろ!」


「――はいっ!!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RANKING
✨ ランキング挑戦中! ✨
ここまでお読みいただきありがとうございます!
「面白かった!」
「続きが気になる!」
と思ったら、
ページ下部の
ブックマーク追加 と ☆☆☆☆☆ ⇒ ★★★★★
で応援していただけると、
作品のランキングが上がって執筆速度が爆上がりします!
※★1個や2個からでも大歓喜します!
皆様の1票が何よりの励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。