第20話 王都からの急使
ダダダダダッ――!!
蹄の轟音が、夕暮れのラディスを切り裂いた。
石畳に火花を散らしながら、白銀の甲冑を纏った騎士が駆る一騎の軍馬が、冒険者ギルド《白梟の止まり木》の前へと急制動をかけて止まった。
ヒヒィィンッ! といななき、口から激しく泡を吹く軍馬。
馬上の騎士は鐙を外すや否や、もつれる足で酒場の重厚なエントランスの扉を押し破るように飛び込んできた。
バァァンッ!!
「ぎ、ギルドマスター・ドノヴァン殿はおられるかッ!!」
酒場の喧騒が、潮が引くように静まり返った。
夕暮れの一杯を楽しんでいた冒険者たちが、息を呑んで立ち上がる。
騎士が纏う白銀の鎧の胸元、そして翻る純白のマントの中央には、燦然と輝く『王立騎士団』の金色の紋章が刻まれていた。
「王立騎士団の……急使だと!?」
「王都から早馬を乗り継いでここまで……!? 一体何が起きたんだ!?」
ざわめく酒場の奥から、煙草をくゆらせたドノヴァンが、ただならぬ気配を察して重々しい足取りで現れた。
「俺がドノヴァンだ。王都の騎士様が、地方のギルドに何の用だ?」
急使の騎士は、胸の前で王室の紫の封蝋が施された羊皮紙の巻物を掲げ、息を激しく乱しながら叫んだ。
「王立騎士団総長、ならびに王国筆頭治癒院の連名による、特級非常招集令状である! 直ちに受領されたし!」
「……特級招集令状だと?」
ドノヴァンの鋭い眼光が光る。
彼が無骨な指先で封蝋を弾き、広げられた紙面へ視線を落とした瞬間、歴戦の豪傑の表情が目に見えて強張った。
二階のテラス席から降りてきたエルシアとアルトも、カウンターの前へと歩み寄っていた。
「ギルドマスター、何が書いてあるんですか?」
エルシアが尋ねると、ドノヴァンは煙草を指先で強く挟み、絞り出すような低音で言った。
「……災厄級魔物『霧瘴のベヒーモス』が覚醒した」
その名が落ちた瞬間、酒場中に悲鳴のような息呑む音が広がった。
「霧瘴の……ベヒーモス……!?」
大剣のリックが顔を青ざめさせた。
「数百年前、旧王領の広大な森林を一晩で死の沼に変えたっていう、あの神話の災厄獣か!?」
「ああ、そうだ」
急使の騎士が、血を吐くような思いで言葉を継いだ。
「王都南東の旧王領・腐緑の魔境にて、古の封印が破られた! 奴が放つ濃密な精神汚染の霧と、広域魔力麻痺の瘴気により、先行した王立騎士団第三分隊がすでに壊滅的打撃を受けている!」
「騎士団の精鋭が……壊滅……!?」
カイルが戦慄して言葉を失う。
「それだけではない! 王都治癒院のエリート治癒師たちが総出で治療に当たっているが、従来の治癒魔法では傷口を塞ぐだけで、体内に巡る精神汚染と魔力麻痺の根絶が一切追いつかない! 前線の騎士たちが、内側から魔力脈を破裂させて次々と倒れているのだ!」
騎士の声は、悲痛な絶叫に近かった。
「このままでは魔境の防壁が完全に決壊し、王都はおろか、街道を通じて近隣の諸都市へ瘴気が雪崩れ込む! そのため王国全土より、腕利きのSランク冒険者、ならびに卓越した広域支援能力を持つ特級白魔導士を至急招集する勅令が下ったのだ!」
静まり返る酒場。
相手は、王立騎士団の正規軍ですら歯が立たない神話級の怪物。
地方の冒険者が足を踏み入れれば、瘴気を吸い込んだだけで即座に廃人と化す死地だった。
だが、急使の騎士の鋭い視線は、酒場の隅に並び立つ二人の姿――その胸元に揺れる銀のバディプレートへと向けられた。
騎士は懐から、もう一通の親書を取り出した。
「そして――地方都市ラディスにおいて、剛岩のゴーレムを完封討伐し、神速の剣技と特異な調律治癒を操る奇跡のバディ――固定パーティ《ルミナ・ヴァレイン》、アルト・ヴァレイン殿、エルシア・ルミナ殿!」
酒場中の視線が、一斉に二人へと集中した。
「王立騎士団・遠征軍分隊長レオンハルト卿より、貴殿ら二名に対する直接特命招集が下っている! 直ちに王都遠征軍へ合流し、ベヒーモス討伐作戦の主軸として参陣されたし!」
直接指名の特命招集。
ギルド中が息を呑んだ。
王立騎士団の分隊長から、地方都市の冒険者バディへ、名指しで救援要請が届いたのだ。
だが。
アルトの灰色の瞳は、氷のように冷ややかだった。
「……断る」
アルトは腕を組んだまま、感情の一切こもっていない声で言い放った。
「なっ……!?」
急使の騎士が目を剥いた。
「き、貴殿、王立騎士団からの特命要請を拒否する気か!?」
「俺は騎士団の部下ではない」
アルトは平然と告げた。
「大勢で足並みを揃える組織戦など、俺の剣の邪魔になるだけだ。それに……他人の敷いた陣形に従う義理はない」
かつて、パーティから「連携を乱す」と追放され、誰にも理解されなかった男。
組織や名誉を何よりも重んじる王立騎士団など、アルトにとって最も相容れない存在だった。
だが、急使が握りしめていた巻物の端から、エルシアの視線は離れなかった。
そこに記されていたのは、先行部隊の無残な戦況。
『呼吸器の閉塞』『体内魔力循環の急性不全』『精神汚染による狂乱』――。
外傷を無理やり魔力で塞ぐだけの従来の治癒術では、決して救えない、体内の「崩れ」による苦痛。
いまこの瞬間にも、多くの人々が、息もできずに苦しみ、命を落としかけている。
そして何より――。
(もしこの瘴気が街道を伝って広がったら、このラディスの街も、市場のみんなも、全部飲み込まれてしまう……)
エルシアは短杖をぎゅっと胸の前で握りしめ、アルトの横顔を見上げた。
「アルトさん」
「……エルシア?」
アルトが怪訝そうに眉を動かす。
エルシアは、澄んだ琥珀色の瞳で真っ直ぐにアルトを見つめた。
「行きましょう、王都へ」
「……何?」
アルトの喉が詰まった。
「騎士団の陣形に従う必要なんてありません。アルトさんは、アルトさんの世界で一番速い剣を振るうだけでいいんです。……苦しんでいる人たちの呼吸の乱れも、瘴気の濁りも、ぜんぶ私が《調律》で吹き飛ばしてみせます」
エルシアの声には、恐怖など微塵もなかった。
あるのは、守るべき日常への愛と、隣に立つ剣士への絶対の信頼だけ。
「王立騎士団のエリートさんたちに、教えてあげましょう。世界で一番強くてかっこいい剣士が、ここにいるんだってことを!」
満面の笑顔の全肯定。
その圧倒的な光に射抜かれ、アルトは息を呑んだ。
「お前は……本当に、どこまでも欲のない奴だな」
アルトは呆れたように小さく息を吐いた。
だが、その瞳に宿っていた冷たい拒絶の色は、すでに静かな闘志へと変わっていた。
「へっ、まったくお前ららしいぜ」
ドノヴァンが豪快に笑いながら、二人の背中を力強く叩いた。
「アルト、エルシア。お前らはもう、このラディス一帯の器に収まるタマじゃねえ。……行ってこい! 王都のエリート騎士どもに、ラディス最強バディの格の違いを見せつけてやれ!」
「行ってらっしゃい、エルシア、アルト」
カウンターの奥で、ミレナが優しく微笑んだ。
「どんなエリート聖女がいたって、アルトの隣に立てるのは、世界であなただけよ」
「はいっ!」
エルシアが元気よく返事をした。
酒場のあちこちから、割れんばかりの歓声と激励が飛ぶ。
「無事で帰ってこいよ!」「王都の鼻持ちならない騎士どもをアッと言わせてやれ!」「《ルミナ・ヴァレイン》の名を王国中に轟かせてこい!」
アルトは静かに長剣の柄に触れ、エルシアへと視線を向けた。
「エルシア。行くぞ」
「はい、アルトさん! どこまでも!」
地方都市の奇跡のバディは、いま、王国全土を揺るがす伝説へと向けて、新たな一歩を踏み出そうとしていた。




