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第18話 中規模ダンジョン「緑樹の竪穴」攻略

巨樹の太い根が網の目のように絡み合い、湿り気を帯びた冷気が吹き上がってくる。


ラディス近郊に口を開ける中規模ダンジョン――『緑樹の竪穴』。

二ヶ月前、エルシアが武者修行の途上、《銀の盾》のメンバーとともに足を踏み入れた因縁の迷宮だった。


あの時は、戦況管理の圧倒的な情報過多に脳が焼き切れそうになり、激しい立ちくらみを覚えた場所。

そして、一般冒険者の身体能力に合わせて、自身の思考をわざわざ落とし込む『ダウングレード再調整』の苦心を知った場所でもあった。


「アルトさん、髪飾り、全然ズレません! 魔力の流れがすごく滑らかです!」

エルシアが金髪の左側に留められた『蒼銀石の髪飾り』に指を添え、嬉しそうに振り返った。


「……ならいい。昨日も似合っていると言ったはずだ」

アルトが長剣を抜きながら、そっぽを向いてボソリと答える。


「えへへ、何度言われても嬉しいんです!」

満面の笑みを咲かせるエルシアの全身を、清らかな魔力の奔流が駆け巡っていた。


蒼銀石の魔力共鳴効果により、周囲を漂う大気中の魔力脈、洞窟の壁を伝う地下水、そして岩肌の奥に潜む魔物の熱源が、驚くほどクリアに脳内へと結像していた。


(……すごい。視界が、全部透き通って見えるみたい)


魔力波長が完全に安定している。

余計な精神集中を要さずとも、後衛としての戦況把握能力が格段に研ぎ澄まされていた。


「中層まで最短で抜けるぞ」


「はい! 先行します!」


二人が中層へと続く下り坂へと足を踏み入れた、その瞬間だった。


ガサササッ!


天井を覆う巨大なシダ植物の陰から、耳障りな羽音が響いた。

大鎌のような鋭利な前脚を持つ、肉食甲虫『シザーアント』の群れ。

天井から三匹同時に急降下してくる。


エルシアの観察眼が、瞬時に三匹の落下軌道と魔力脈の偏りを捉えた。


「右斜め上、ツタの裏から三匹! アルトさん、前進二歩の地点です!」


シュパァァァンッ!!


エルシアが「二歩」と口にした瞬間には、すでにアルトの長剣が空中で白銀の弧を描いていた。

指示された座標へと、アルトの身体が物理の限界速度で滑り込み、落下する三匹のシザーアントの首の関節を、ただ一振りの神速の薙ぎ払いでまとめて両断していた。


パシュッ、と三つの甲虫の胴体が地面へと落ち、青い体液を散らして動かなくなる。


「……一撃だ」

アルトは剣先の血を払うことすらなく、足を止めずに前進を続けた。


「アルトさん、速すぎます! 私の思考とコンマ一秒の狂いもありません!」


「お前の指示が淀んでいないからだ。……次は何だ」


「はい! 前方通路の分岐、左からフォレストスパイダー二匹! 壁の死角から糸を吐いてきます!」


「指示を出せ。最短で動く」


「右の壁を蹴って頭上を飛び越えてください! 着地と同時に、床の結節点へ《透徹》を通します!」


「了解だ」


アルトが疾走しながら、右の岩壁を垂直に蹴り上げた。

重力を無視したような跳躍。

頭上をすり抜けるアルトの真下を、二本の粘着性の白い糸が虚しく通り過ぎる。


空中で身体を反転させるアルトの足元へ、エルシアは短杖を突き出した。


「――《調律治癒・透徹》!」


蒼銀石の髪飾りが眩く輝き、放たれた光条が岩床を撃ち抜いた。

光が床の魔力脈を伝い、蜘蛛の足元の魔力循環を一瞬で短絡させる。


バチィンッ!


蜘蛛の巨体が前のめりに崩れた。

その無防備な背中へ、頭上からアルトの白銀の切っ先が吸い込まれる。


ドスッ! ドスッ!


一瞬の二連刺突。二匹の巨大蜘蛛が、鳴き声すら上げずに絶命した。

着地したアルトの足元を、エルシアが間髪入れずに《調律治癒》の光で包み込む。


「足元、急制動の負荷を抜きます!」


「……助かる。跳躍の反動が残らない」

アルトが小さく息を吐いた。


ラグがない。

ダウングレード再調整など、一切必要ない。

エルシアが脳内で描いた最速・最短の戦況の盤面が、そのまま、いやそれ以上の速度となってアルトの刃として現実を切り裂いていく。


二人の足は、一度として止まらなかった。

罠も、奇襲も、死角からの猛攻も、すべてエルシアの声が先回りし、アルトの神速が結果を置いていく。


やがて、二人は中層の最深部に広がる巨大な吹き抜けの大空洞へと到達した。


「くそっ、囲まれた! 糸が硬すぎて大剣でも千切れねえ!」

「誰か盾役を引っ張れ! 毒針が来るぞ!」

「危ない、後衛の詠唱が間に合わないわ!!」


大空洞の中央で、四人編成の中堅冒険者パーティが絶体絶命の危機に陥っていた。

中層の主である変異種『オオツチグモ』と、二十匹を超える小型蜘蛛の群れ。

盾役の冒険者が全身を鋼鉄糸で縛り付けられ、大蜘蛛の鋭利な毒牙が迫っていた。


「うわああああっ! 死ぬぅぅぅっ!!」

盾役が絶望の叫びを上げた、その時――。


「――《調律治癒・透徹》!!」


大空洞の入り口から放たれた一条の光条が、盾役を縛る粘着糸の結び目を正確に貫き、魔力結合を粉砕した。


バチンッ! と弾け飛ぶ糸。


「え……!?」

盾役が目を見張った瞬間、その頭上を、黒革の影が疾風のようにすり抜けた。


閃光。


大蜘蛛の毒牙が、振り下ろされる直前に宙を舞った。

さらに、アルトの身体が一回転する間に、周囲の小型蜘蛛が円を描くような一撃でまとめて両断される。


「ぎゃ、ギャルルルゥッ!?」

毒牙を断たれたオオツチグモが狂乱し、残された前脚を振り回す。


「アルトさん! 敵の左の複眼の下、体内の主魔力核です!!」


「――任せろ!」


アルトの足が岩盤を蹴った。

前脚の隙間をすり抜け、複眼の下――指定された急所へと、白銀の長剣が音もなく突き立てられた。


ズブリ。


中枢核を貫かれたオオツチグモの巨体が、音を立てて崩れ落ちた。

周囲の小型蜘蛛たちが、主の死にパニックを起こして四方へと逃げ散っていく。


時間にして、わずか十秒足らず。

死を覚悟していた中堅パーティの四人は、武器を構えたまま、ポカンと口を開けてその場にへたり込んだ。


「な……なんだ、いまの……?」


「嘘だろ……あんな凶悪なオオツチグモを、たったの一太刀で……!?」

大剣使いのリーダーが震える声で叫んだ。


「お、俺の身体に巻き付いてた鋼鉄糸を、あの光の魔法で一瞬で解きやがったぞ……!?」

盾役も呆然と呟く。


エルシアがへたり込む冒険者たちに駆け寄り、ふわりと微笑みかけた。


「皆さん、怪我はありませんか? 毒も受けていないようですね、良かったです!」


「あ、あなたたちは……一体……!?」

術士の女性が息を呑んで見上げる。


「固定パーティ《ルミナ・ヴァレイン》です!」

エルシアが胸元の銀のプレートを誇らしげに示した。


「あ、あの……昨日、剛岩のゴーレムを完封したっていう、噂の最強バディかぁぁぁっ!!」

大空洞に、冒険者たちの驚愕と歓喜の叫びが木霊した。


「……騒がしいな。行くぞ、エルシア」

アルトが長剣を鞘へと納め、カチリと澄んだ音を鳴らした。息一つ乱れていない。


二人は深層への連絡路へと歩みを進めた。

アルトはエルシアを振り返り、低く、だが心底からの実感を込めて呟いた。


「……お前がいると、本当に足が止まらないな」


かつては立ちくらみを起こし、ダウングレードに苦しんだ迷宮。

その中層の最深部まで、一度も立ち止まることなく駆け抜けてみせた相棒への、最高のリスペクト。


エルシアは胸を張り、満面の笑顔を返した。


「ふふっ、言ったでしょう? アルトさんの後ろは、私の特等席ですから!」


「……悪くない特等席だ」

アルトが小さく口元を緩めた。


蒼銀石の髪飾りが、二人の確かな成長と絆を祝福するように、青空のように澄み切った光を放っていた。


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