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第17話 二人の日常と装備新調

朝の柔らかな光が、商業都市ラディスの中央市場を黄金色に染め上げていた。


石畳の通りには所狭しと露店が並び、威勢のいい商人たちの掛け声と、焼きたてのパンや香草の匂いが満ちている。

その活気あふれる雑踏の中を、エルシアは弾むような足取りで歩いていた。


「いいお天気ですね、アルトさん!」


「……ああ」


エルシアの半歩後ろを、アルトが無言でついてくる。

その手には、エルシアが買い込んだ日用品の入った麻袋。

普段は誰をも寄せ付けない孤高のS級剣士が、少女の荷物持ちをして歩いている――それだけで、周囲を行き交う人々が二度見するような光景だった。


だが、今日の市場はいつもと明らかに様子が違っていた。


「あ、エルシアちゃん! おはよう!」

果物屋のふくよかな女将さんが、エルシアを見つけるなり手招きした。


「おはようございます、マルタさん! 腰の痛みはどうですか? 冷え込まないように気をつけてくださいね」


「まあ、覚えててくれたのかい! おかげさまで絶好調だよ! それより聞いたよ、昨日の話! 東の旧街道の化け物ゴーレムを退治したんだってねぇ!」


「えへへ、アルトさんと二人でやっつけてきました!」


「やっぱり本当だったのかい! 街道が通れるようになって、うちの仕入れも助かったよ! これ、持っていきな!」


女将さんはエルシアの手の中に、真っ赤に熟れた林檎を二つ、ポンと押し込んできた。


「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」


「礼を言うのはこっちさ! そっちのアルトさんも、ありがとうねぇ!」


不意に声をかけられたアルトは、ピクリと肩を跳ねさせた。

女将さんからの屈託のない感謝の笑顔を向けられ、どう反応していいか分からず、視線を泳がせながら小さく頭を下げた。


「……どういたしまして、だ」


「あら、噂と違って案外礼儀正しいじゃないかい!」

女将さんがカラカラと笑う。


その後も、市場を進むたびに同じ光景が繰り返された。

「エルシアちゃん、焼きたてのクロワッサン持ってきな!」「街道を開けてくれて助かったぞ、アルトの旦那!」と、次々に声がかかり、両手いっぱいに差し入れが増えていく。


元受付嬢として、街中の住民の顔と名前、家族構成や持病まで完璧に把握しているエルシアのコミュ力。

それに加えて、昨日の剛岩のゴーレム完封討伐の英雄譚が加わり、二人は完全に市場のアイドル状態だった。


人混みを抜けたところで、アルトが眉間を指先で押さえながら、深くため息をついた。


「……お前、顔が広すぎるだろ」


「ふふっ、受付嬢でしたから! ギルドに来る冒険者さんだけじゃなく、街の皆さんとも仲良しなんです」


エルシアは嬉しそうに笑い、受け取ったばかりの焼きたてパンを綺麗に二つに割ると、湯気立つ半分をアルトへと差し出した。


「はい、アルトさん! 朝ごはん、まだでしたよね?」


「……俺はいい」


「ダメです! 荷物を持ってもらってるんですから。はい、あーん……は恥ずかしいですよね、どうぞ!」


「……自分で食べる」

アルトは耳の先をわずかに赤くしながらパンを受け取り、無言で口に運んだ。

もぐもぐと咀嚼しながら、小さく呟く。


「……美味いな」


「でしょう! さあ、腹ごしらえも済んだところで、本日のメインイベントです!」


エルシアが短杖を掲げて指し示した先――そこは、無骨な煙突から黒煙が立ち上る、ラディスの西側に広がる『職人街』だった。


二人が足を踏み入れたのは、職人街の奥に店を構える老舗の鍛冶工房『黒鉄の槌亭』。

店内には研ぎ澄まされた刃物や防具が並び、奥からはカンカンと鉄を打つ澄んだ音が響いていた。


「いらっしゃい……って、誰かと思えばアルトじゃねえか」


作業場から出てきたのは、白髪交じりの髭をたくわえた頑固そうな鍛冶師――ドランだった。

ドランは煤で汚れた前掛けで手を拭きながら、じろりとアルトを見つめた。


「珍しいな。道具の手入れは全部自分でやるお前が、工房に顔を出すなんざ。……それに、後ろの嬢ちゃんは?」


「初めまして、ドランさん! 固定パーティ《ルミナ・ヴァレイン》のエルシア・ルミナです!」

エルシアが胸元の銀のバディプレートを見せながら、元気よくお辞儀をした。


「《ルミナ・ヴァレイン》……? ああ、今朝ギルドから回覧が来てたな。あの剛岩のゴーレムを半日で叩き割ったって化け物バディか! あのアルトが、本当に誰かと組んだたぁな……」


ドランは感心したように髭を撫で、アルトの顔をしげしげと眺めた。


「昔は触るもの皆切り捨てるような、尖りきった一匹狼の目をしてたが……ずいぶんと落ち着いた、いい面構えになったじゃねえか。いい相棒を見つけたな」


「……用件を言っていいか」

アルトが気まずそうに話を遮ると、ドランは豪快に笑った。


「カッカッカ! 照れるなよ。で、何の新調だ? ゴーレムの報奨金、たっぷり入ったんだろ?」


「はい!」

エルシアが身を乗り出した。


「アルトさんの黒革鎧の手入れ用に、最高級のワイバーンオイルをいただけますか? それと、アルトさんの肩周りの可動域を広げて、急制動の摩擦熱を逃がせるような特注の軽装インナーを探しているんです!」


ドランが目を丸くした。

「おいおい、嬢ちゃん。アルトの剣の癖をそこまで把握してんのかい」


「もちろんです! アルトさんの最短の太刀筋を、一ミリも邪魔しない装備じゃないと意味がありませんから!」


誇らしげに胸を張るエルシアに、アルトはそっぽを向いたまま小さく呟いた。


「……お前の装備はどうした」


「え? 私は今の神聖衣で十分ですよ!」


「十分なわけがあるか。昨日の戦い、お前の短杖は魔力伝導率が追いついていなかった」

アルトは淡々と、だが正確にエルシアの課題を指摘した。


「《透徹》を放った瞬間、杖の切っ先がわずかにブレていた。お前の魔力の純度が高すぎて、ギルド支給のスタッフでは負荷に耐えきれていない」


エルシアは目を瞬かせた。

(アルトさん、前衛であんなに激しく戦いながら、私の杖のブレまで見ててくれたんだ……)


胸がじんわりと熱くなる。

ドランがニヤリと笑い、工房の奥の特注ガラスケースへと二人を案内した。


「アルトの言う通りだ。嬢ちゃん、これを見てみな」


ケースの中に飾られていたのは、一本の美しい装飾具だった。

透き通るような白銀のフレームに、朝露のように澄んだ青い光を宿す鉱石が嵌め込まれている。


「『蒼銀石の髪飾り』だ。王都の魔導工房で打たれた一品でな。身につけるだけで術者の魔力波長を安定させ、放つ光条の収束率と射程を三割引き上げる。杖の先端に魔力中継点として共鳴させることもできる代物だ」


「綺麗……!」

エルシアは思わず息を呑み、ケースに顔を近づけた。

触れるまでもなく分かる。自分の《調律治癒》の魔力脈と、信じられないほど滑らかに共鳴している。


だが――その下に置かれた値札を見た瞬間、エルシアの笑顔が引きつった。


『金貨 八枚』


(き、金貨八枚……!?)

剛岩のゴーレムの報奨金は金貨五十枚。山分けしたとしても一人二十五枚。

その三分の一が一瞬で消し飛ぶ大金だった。


エルシアはきゅっと唇を結び、名残惜しそうに視線を外した。


「す、素敵ですけど……私にはまだ早すぎます! 自分の装備は、もっと実力をつけてからにします!」


遠慮して一歩下がるエルシア。

その横顔を、アルトは無言で見つめていた。


アルトはカウンターへ歩み寄ると、腰の革袋から無造作に金貨を掴み出した。


ジャララッ、チャリン。


カウンターの上に、金色の硬貨が八枚、整然と並べられた。


ドランが眉を上げる。「おい、アルト?」


「その髪飾りを包め」

アルトは平然と言い放った。


「えええええっ!?」

エルシアが飛び上がった。


「ちょ、ちょっと待ってくださいアルトさん! 高すぎます! 私の分はいいって言ったのに――」


「お前の分ではない」

アルトは包装された小さなベルベットの小箱を受け取ると、それをエルシアの手のひらへと無造作に押し付けた。


「……受け取れ」


「アルトさん……?」


アルトは耳の先まで真っ赤に染めながら、視線を壁の槍へと向け、早口で言った。


「お前の調律の精度と射程が上がれば、俺が無理に敵の間合いへ踏み込む必要がなくなる。お前が安全になれば、俺の思考負荷がさらに減る。……純粋な戦力投資だ」


どこまでも論理的で、どこまでも不器用な言い訳。

だが、他人のために金貨八枚もの大金を迷わず差し出した孤高の剣士の横顔に、エルシアの胸は張り裂けんばかりの愛おしさで満たされた。


エルシアは小箱を両手でぎゅっと抱きしめ、視界が涙で滲むのを必死に堪えた。


「戦力投資でも、何でもいいです……! アルトさん、本当に、本当にありがとうございます! 一生の宝物に、大切にします!」


満面の笑顔の全肯定。

エルシアは小箱を開け、中から蒼銀の髪飾りを取り出すと、自身の柔らかな金髪の左側へとそっと挿した。


白銀の細工と蒼い魔石が、金髪に映えてキラリと輝く。


「アルトさん、どうでしょうか……?」


照れくさそうに見上げてくるエルシア。

アルトはその姿を真正面から見つめ、一瞬だけ息を呑んだ。

そして、耐えきれなくなったように明後日の方向へと顔を背け、小さく呟いた。


「…………似合っている」


「ふふっ、ありがとうございます!」


工房の奥で、ドランがニヤニヤしながら二人を見守っていた。

「ごちそうさまだねえ、まったく!」


新しいインナーと手入れ油、そして蒼銀の髪飾りを携え、二人は工房を後にした。

朝の市場を歩く二人の距離は、昨日よりもほんの少しだけ、縮まっているようだった。


「アルトさん、明日はダンジョン演習ですね!」


「ああ。『緑樹の竪穴』の中層だな。……新しい装備の馴染みを確認する」


「はい! アルトさんの背中、何があっても私が完璧に支えますからね!」


澄み渡る青空の下、二人の足音が軽やかに重なり合っていた。


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