8 人命救助は最後まで
『よし、もういいだろう。我々は離れるとしようか』
「あの、どうやって?」
着艦フックで飛行機を引っ張るなんて前代未聞だが、そこから離脱した話はそれ以上に聞いたことが無かった。
『……どうしようか?』
まさか、考えてなかったのか。
洋一はとんでもない提案をしてきた上司を見た。
「……あの、このまま一緒に着水したら、我々ひっくり返って海面に叩きつけられますよ」
人助けをしたあげく、巻き込まれて死んでしまっては元も子もない。
『まさかキラーラ殿。わらわと運命を共に……そんな覚悟を』
変な想像をしないでほしい。そこには自分も巻き込まれるのだ。
『大丈夫大丈夫、なんとかなるって』
それでもこの人は物事を深刻に考えない。
『要は我々が後ろに抜ければいいんだろ。そうだな、トライヘッド、推力全開にして、ついでに少し降下しようか』
云われるがままにフォッカー・トライヘッドの機首のプロペラが懸命に空気をかきむしる。
機首下げで緩降下に入って速度が上がっていく。
『我々は減速しようか。ペラピッチ低、スロットルをアイドルまで絞って』
1400馬力エンジンのアイドルと、300馬力の全開。どちらの推力が大きいのだろうか。
『フラップも一杯まで降ろしちゃおう。足が出せないのが残念だ』
翼下のスプリットフラップもすべて降ろす。更に洋一は軽く操縦桿を引く。
機体全体で空気を掴み、速度を落とそうとする。
後部から少しのきしみ音。次いで急に機体が軽くなった気配がした。
隣を見てみると、綺羅機が並んでいる。
そしてその後部に下がっている着艦フックは、何も引っかけてはいなかった。
やった。離脱できた。
洋一は喜んだが、今度は別の振動が操縦桿に伝わってきた。
まずい。失速の兆候だ。
剥離が始まった主翼の乱流が、昇降舵に当たって失速が近いことを教えてくれた。
洋一は急いでスロットルを全開にした。
真下にはトライヘッドの大きな主翼があるので降下はできない。
祈る思いで洋一は上昇姿勢をとり続けた。
発艦で甲板から飛び出した時みたいだ。
戦闘機は軽いからなんとかなるが、艦爆や艦攻はいつもこんな感じなのか。
洋一からすると気の遠くなるような時間をかけて葛葉四五型が力強いうなりを上げる。
三枚のプロペラが大気を掴み、十式艦戦を加速させる。
失速の振動が収まり、機体は上昇を始める。
洋一は一息ついてフラップと、着艦フックをしまった。
横を見ると、綺羅様がこちらを見ている。洋一は大きく頷いた。
『クレナイ一番よりトライヘッド。大丈夫だ、こちらは離脱した』
『感謝します』
そう云ってトライヘッドは水平飛行に戻る。とは云っても、一発だけでは高度を維持することはできない。
『トライヘッド、下に空母が見えるかな。平ったくて大きい艦。その脇に駆逐艦が走っている。現在風上に向かって航行しているので、あれに沿って着水してほしい』
〈翔覽〉の左側200mを二隻の駆逐艦が併走して、海面に滑走路を描いていた。
『着水したらすぐに拾い上げるから、ティナちゃんも救命胴衣しっかり付けてね』
『わ、判りましたぞ。大丈夫。わらわは強い』
自分に言い聞かせるような言葉が聞こえた。
トライヘッドは徐々に高度を下げながら〈翔覽〉に近づいていく。
二筋に囲まれた凪いだ海面が縦に伸びていた。
機首で回っているプロペラが少しだけ回転を落とすと、するすると海面に近づいていく。
少し機首を持ち上げる。それで速度が落ちて、まずタイヤが海面に触れる。その勢いでタイヤが回転するのが洋一に見えた。
機首が落ちそうになるのをなんとか釣り上げる。
胴体と、空転していた左右のプロペラが海面に触れるのがほぼ同時だった。
大きな水しぶきを上げながら、フォッカー・トライヘッドは海面に滑り込んだ。
それとほぼ同時に左右の主翼がポッキリと折れる。ちょうどフックで引っかけていた辺りだった。
着水した場所に駆逐艦が向かう。トライヘッドに並んだ辺りで後進一杯をかけて急停止した。
短艇が降ろされているのが上からも判る。
無事に助けられれば良いのだが。
『クレナイ各機。こっちも着艦するよ』
名残惜しいが、着水してしまってはこちらがやれることは何もない。
着水した地点を中心に旋回してから、〈翔覽〉への着艦コースに入った。
一番機から順番に降りていく。
五三型になって着艦速度が3ktほど速くなったが、まあ気にするほどでは無い。洋一からすれば慣れた動作で着艦ワイヤを捉えた。
ワイヤが外され誘導員が手招きするので、洋一はブレーキを緩めて艦首へと向かう。
先に降りた綺羅機の他に、もう一機見慣れぬ機体があることに洋一は気づいた。
大柄の複葉機である。
そしてその胴体は船のような形をしている、いわゆる飛行艇であった。
飛行艇とは海の上に降りられる飛行機である。ではなぜその飛行艇が空母の上にいるのか。
乗機から降りた洋一が飛行艇の下を覗き込むと、そこには着陸用の車輪が出ていた。
水陸両用機というやつか。
洋一は飛行艇をしげしげと眺めた。たしかに連絡用としては便利かもしれない。
しかし見慣れない機体である。
秋津にこんなのあったっけ?
洋一が首をかしげていると、主翼が根元辺りで大胆に折り曲げられた。
複葉が後ろに畳まれて胴体と沿う。
思っていたよりもコンパクトになった機体をよく見ると、赤白青の三色旗、ノルマンの国籍マークが描かれていた。
なるほど、こんな変な飛行機、彼らしか作らない。
「ノルマンの、ソッピース・シャグバット、だっけな。連絡機とか救難機に使われてるよ」
綺羅が解説してくれる。珍しい客が来ているのだろうか。
そうこうしているうちに四番機まで降りてくる。
村瀬三飛曹はまだ慣れていないのか、ちょっと危なっかしい。
神経質に姿勢を直すけど、そのたびに自分の頭が動いて返ってふらついているように見える。
もっとどっしり構えないと。
それでもワイヤーを捉えて甲板に止められる。
収容作業を終えた〈翔覽〉は速度を落として針路を変えた。
今度は駆逐艦が寄ってくる。〈翔覽〉と併走し、殆ど隣り合わせになる。
ロープが投げ渡されると、即席の橋のようなものが渡された。
先ほど拾ったトライヘッドの乗員を渡しているのだろう。
縄ばしごに毛が生えた程度の橋を、小さな影が勢いよく渡ってくる。
飛行甲板から覗き込むと、その影がぴょんと飛び降りた。
着地が決まったところでその人物はこちらを見上げた。
「あ、キラーラ殿!」
元気そうな少女が手を振っていた。そして上に上がる方法をそばに居た秋津兵に聞いて困らせていた。
すぐに艦内に入ったかと思ったら、賑やかな足音と共に、飛行甲板に現れる。
「お久しぶりですキラーラ殿!」
背丈は洋一より頭一つ低いだろう。波打った栗毛の髪は塩水を吸って少し大人しいが、にじみ出る高貴さと、あふれんばかりの溌剌さに満ちた少女であった。
「やあティナちゃん。〈翔覽〉へようこそ」
綺羅は両手を広げて歓待の意を示す。
「洋一君、こちらはビザンツ王女、ビザンティナ・ティス・エラザス様だよ」
昔の友人でも紹介する口ぶりだが、こちらとしては平伏するしかない。
「ティナちゃん。彼が洋一君、さっき反対側で引っ張っていた」
「た、丹羽洋一、秋津海軍二等飛行兵曹であります」
いつも前を飛んでいるので感覚が薄れていたが、下駄屋の倅である自分が王族の前に立つなぞ、そうそう有ることではないのだ。
「おお、おぬしがキラーラ殿の手下か、先ほどは助かったぞ」
そして当の本人達はそんなことには頓着しないのであった。
ふと王女様がぶるっと震える。
そういえば着水したトライヘッドから救助されて身体が濡れたままなのだ。貰った毛布に包まっているが、このままで良いはずが無い。
「槙さん呼ぶから、一緒にお風呂に入ってくるといいよ」
綺羅は艦橋脇にある艦内電話で自分の女中である槙さんを呼び出す。
遅れて上がってきた王女の侍女も共に、彼女たちは〈翔覽〉の風呂へと向かった。




