7 牽引飛行
残雪の上に描かれた影は、ずいぶんとくっきりはっきりしているのが洋一には見えた。
文字通り峠は越えた。洋一は大きく息を吐き出す。
『よくやった洋一君。我々は、なかなか人類が為しえないことをやったぞ』
まったく大げさな。
しかしこちらを見て微笑んでいる綺羅様を見ていると、こちらもなんだか嬉しくなってくる。
『流石ですキラーラ殿。わらわビザンティナの、そして我が王国の恩人です』
『それはどうも、ティナちゃん』
優しく笑った後で、綺羅様の口調が少し変わった。
『ところでティナちゃん。この後どこに行くつもりですかな?』
『アテネです。テッサロニキが陥落しそうなので脱出してきたのであります』
ビザンツ第二の都市テッサロニキ。
そこから脱出してきたところをオスマンの戦闘機に追われていたのか。
戦況はかなり悪くなっているのが洋一にも判ってきた。
『アテネかぁ。まあそうだよねぇ』
しかし綺羅様は別のことで頭を悩ましていた。
『ティナちゃん。誠に済まないんだけど、アテネは無理だね』
『えぇ?』
高貴で素っ頓狂な声が聞こえてくる。
『アテネだとここから大体直角に曲がらないといけないんだけどね』
今の針路は概ね北西、アテネはここから北東の位置にある。
『やってみて判ったけど、これ真っ直ぐ飛ばすので精一杯だよ。洋一君、ここからバンク取るの無理だよね』
「ええ、まあむずかしいですね」
旋回するためには機体を左右に傾ける必要がある。
しかし今は着艦フックで引っかけているなんて絶妙なバランスで飛んでいる。
この状態で片方に傾けようとしたら絶対に破綻する。
あとついでに云えば着艦フックを引っかけるためにトライヘッドの補助翼を一部とはいえ壊してしまっている。
もしかして使えないのではという疑惑もある。
『そんなわけで、大きく旋回できないから真っ直ぐ進むしかない。そして山の西側、イオアニア辺りはアルバニア国境越えたブランドル軍に取られたらしい』
つまりここから先の陸地に居るのは敵であろう。
『そんな、どうすれば』
一難去ってまた一難である。
『そんなわけでティナちゃん。泳げる?』
『侮ってもらっては困りますなキラーラ殿。わらわこれでも王宮の噴水すべて制覇しております』
見えないけど、すごく偉そうにしているのは伝わってくる。
『このまま概ね真っ直ぐ進むと我々秋津の艦隊があるんだ。そこで着水して拾って貰うのはどうだろう』
綺羅の提案に、向こうは考え込んでいる。
『どうだ、できるか?』
『自分はなんとも。しかしそれしかないのなら、やるしかないでしょう』
向こうのパイロットも着水なんて経験はないだろうが、腹をくくったらしい。
『やりましょうキラーラ殿』
『決まりだ。小暮、ちょっと針路見て』
引っ張っている都合上、機体の向きが進路と必ずしも一致しているとは限らないのだ。
『こちらクレナイ三番、五度ほど左に振れますか』
『やってみる。洋一君はそのままね』
綺羅機が少しだけ推力を増す。右側だけ前に出る感覚が洋一にも判る。
感覚的には方向舵だけ使って旋回しているようなものだ。しかも少しずつ、少しずつだ。急に動かしてフックが外れたらおしまいなのだ。
綺羅様も、洋一も、そしてトライヘッドの操縦士も、玉の上に乗っているような絶妙なバランスを取るような飛行が求められる。
眼下を山と木々が通過していく。
時折平野部が見えるが、そこはもう敵の支配地域のはずだった。
できればもっと高度を取りたいが、重りを引っ張っている以上そうもいかない。
街道を越えるたびに、見つかるのではと不安になる。
下から見れば謎の飛行機である。敵味方どころか恐怖のあまり撃たれるかもしれない。
海上に出たところで少し安心できた。
陸地に未練は少しあるが、海の上はこちらの領域のはずだった。
『ティナちゃん、テッサロニキは陥落したの?』
綺羅様が様子を尋ねる。急遽派遣された秋津軍は現状を把握しているとは云いがたかった。
『はい、亡き父に代わって前線の皆を鼓舞しに行ったのですが、コザニを取られてテッサロニキが孤立したらしくて。急いで脱出しろとこの三つ頭の飛行機に押し込まれました』
大分慌ただしかったらしい。
オスマンとの最前線だったテッサロニキでは優勢でむしろ領土を増やす勢いだったのに、アルバニア側からブランドル軍が電撃的に侵攻して後方を寸断してしまったおかげで戦線は瓦解してしまったらしい。
『もう一機同行していたのだがはぐれてしまって、無事であれば良いのだが』
王女だけでもと脱出させられたのだろう。いろいろと大変だったことがうかがえる。
『なんとしても王宮に戻って立て直さなければ、天国の父を悲しませることになる』
『お父上、ユリシウス陛下が亡くなったのが先月だっけ』
『そうなのです。王宮が混乱しているところにブランドルが攻めてきおって』
忌々しげな響きが無線を通しても伝わってくる。
ブランドルの突破が成功したのも、国王崩御の混乱で対応が遅れたためとも云われている。
『そのためには生きて帰らないとね。ほら、見えてきた』
眼下に煌めく海面、その向こうに白い筋が幾つも描かれていた。
秋津海軍地中海派遣艦隊であった。
『クレナイ一番よりワカサ。方位215より進入。着艦許可求む。それと着水機あり、準備よろしく』
見上げると四機編隊がやってくる。艦隊直援の十式艦戦であろう。
洋一達は身動き取れないので三番機と四番機が翼を振って味方であることをアピールする。四番機は張り切りすぎてバンクを取り過ぎたのか、一気に高度が落ちてしまった。
やがて艦隊の全体が見えてきた。八隻の駆逐艦が周囲を囲んだ輪形陣。
その中央にいる空母〈翔覽〉が大きく舵を切って風上に向かうところだった。




