3 初の地中海、新型機、そして新人
三月十九日
空母〈翔鸞〉艦上
甲板上に並べられた十式艦戦がイオリア海の日差しを浴びて輝く。
雨の多い冬の地中海にも、わずかな晴れ間がある。
同じ冬でも秋津海の凍てつくねずみ色とは違う、柔らかく雲の漂った空であった。
これが地中海。なんとも遠くへ来てしまった。洋一は自分たちの機体と空を見上げた。
今年もまた、激しい戦場へと送られてしまうのが自分たちの運命なのだろうか。
「やあ洋一君、絶好の飛行日和じゃないか」
先に甲板に立っていた人影が大きな海原を見回す。
亜麻色の髪が柔らかい日差しを浴びて煌めいていた。
「おはようございます隊長」
洋一は彼の指揮官である紅宮綺羅に敬礼した。
「もう少し日差しが強い方がビザンツらしい景色になるんだ。神々の住まう地ビザンツ。是非とも夏まで派遣が長引いてほしいものだ」
何しろ洋一の上官が激しい戦場を望んでいるのだ。平穏な日々は送れそうにない。
「海の色が違うんですよ。見慣れない景色で落ち着きませんよこちらは」
軍に入らなければ洋一も一生秋津から出ることは無かったかもしれない。
それがノルマンやら北海やら巡って今度はビザンツとは。
「私も十四の時に一度来ただけだが、良いところだよ。景色は良いし何千年も前の遺跡があちこちにある」
観光に来たのではなく、戦争しに来たのだが。
そんなことは彼女には些事であるらしい。
「十式艦戦も新しくなったことだし、早く試したいね」
二人は振り返った。
去年の暮れに配備された真新しい翼、十式艦戦五三型がそこに並んでいた。
「一番良い十式艦戦は一番新しいのだよ。何より速い」
そう云って綺羅様は翼端をなでる。これまで乗っていた切断翼と同じ長さで、丸く成形されていた。
「エンジンの見た目はあまり変わらないですけどね」
「そこがすごいのよ!」
突然朱音が乱入してきた。
「この葛葉四五型。基本構造はそのままで吸気流路の見直しと過給器の改修だけでブーストを+600㎜まで上げちゃって1450馬力と一気に300馬力もパワーアップしたのよ。布川さんやっぱりすごいわぁ」
また知らない名前が出てきた。布川さんって誰だよ。
解説が止まらない朱音を洋一は冷ややかな目で眺める。
「おかげで300ktの壁を一気に越えて315kt(583㎞/h)だからね、速い速い」
綺羅様も上機嫌に発動機の辺りを叩く。外から見た限りその差はうかがえない。
「まあ、排気管の形は変わったけど」
洋一からすれば見えないエンジンよりも、そこから左右に突き出た排気管の変化の方が気になる。
「この魚の尻尾みたいな排気管、効果あるんですかね」
V型12気筒の左右にそれぞれ並んだ排気管は、2気筒を一つに束ねているのは同じだったが、その末端の形が円筒から、平たく潰した魚の尻尾のような形状に変わっていた。
「排気口を絞ることで流速を上げてそれで速度を稼ぐんですって。ほら、ホースの口を指で潰すみたいに」
確かに水まきの時にホースの口を潰して遠くまで飛ばす。そんなもので速度が稼げるのだろうか。
「ホースが魚の尻尾になるの?」
綺羅様がきょとんとした顔になる。
しまった、ここに水をまいたことの無い人がいた。
「今度水まきするときに教えますから」
やんごとなき身の上の方だということを時々思い知らされる。
「それにしても、今度の十式艦戦が五三型っていきなり云われても。一号艦戦二号艦戦ときて何で三号じゃないのかなって」
十式艦戦の型式は時期によってコロコロ変わっていた。
洋一が最初に乗った時は特に何も云われていなかったが、去年に翼端をカットしてエンジンを換装した新型のことを「二号艦戦」と呼ぶようになり、遡ってこれまでのを「一号艦戦」と呼ぶようになった。
ところがさらに基準が変わって、目の前にある新型は機体が五番目、エンジンが三番目で五三型と分類されることになった。
そこから逆算して、最初に乗っていた機体を二一型、去年乗っていた機体を三二型と呼称することになった。
ちなみに去年の機体の派生で、主翼の長さが最初のと同じ機体が二二型、主翼を50㎝延ばした高高度型を四二型と分類された。
「整備書もどんどん分厚くなってきて大変なんですよ」
「こんなに種類をたくさん造ることになるとは思わなかったって、塚越さんもぼやいてたね」
世の中予定通りには行かないようだった。
「まあ相手もどんどん新しくなりますし、こちらも新しくしないと勝てませんよ」
「そうそう、十月にブレストで出てきたフォッカーの新型、速かったよね」
去年の十月、九州爆撃の拠点となるブレストの基地を、〈翔覽〉航空隊で攻撃した。その際迎撃に上がってきた戦闘機は明らかにこちらの三二型より速かった。あれがフォッカーFo109の新型、F型であろう。やっかいな敵だった。
「そんなわけで、今日は五三型の初陣になるわけだ。良い結果を持ち帰って塚越さんを喜ばせないとね」
そう考えるとなかなか責任重大である。今五三型を装備して、実戦参加可能なのは〈翔覽〉の航空隊だけなのである。姉妹艦の〈瑞鸞〉はまだ全機を受領していないので一月到着が遅れることになった。
出撃前にもう一周チェックするか。自分の機体に近づいた辺りで後ろから声がかかった。
振り返ると二人の搭乗員が歩み寄ってきた。
「中隊長、それに丹羽も」
声をかけてきたのは同じ中隊の小暮一飛曹だった。今日紅宮小隊の三番機を務める。
「今日こいつ初陣なんですよ。ほら、挨拶しろ」
そう云ってもう一人の背中を押して前に出す。
「村瀬歩三飛曹、本日は、クレナイ小隊の四番機を務めさせて頂きます! よろしくお願いします!」
小柄な身体全体を使って、声を張り上げていた。若さと緊張の塊のようだった。
村瀬歩三飛曹。一月から中隊に配属になった新人の搭乗員である。飛科練を出たばっかりの十七歳の少年であった。
「紅宮少佐と、丹羽飛曹の僚機になれるなんて、夢のようです!」
ずいぶんと大げさな言葉であったが、お世辞ではなくどうやら心の底からそう思っているらしい。
「こいつ例の新聞連載読んで飛科練入ったんだそうで」
「へぇ、すごいじゃないか洋一君」
まさかそんな人が現れる日が来るなんて。書いている本人にはどうにも理解できないが奇特な人たちもいるものだ。
「すごいのは隊長ですよ」
紅宮綺羅。その名の示すとおり皇族紅宮家のご息女で、絶世の美貌を持ち、そして現在撃墜20機を超える凄腕の戦闘機乗り。
その凄さを市井の方々に届けるのが自分の書く『実録紅姫様空戦記』の意義であると洋一は考えていた。
「いえ、綺羅様だけでなく、丹羽二飛曹もすごいのです!」
村瀬少年はずいとにじり寄ってきた。
「丹羽飛曹は、ぼくたち飛科練の希望の星、飛行機少年たちの憧れなんです!」
「ええぇ?」
思わず洋一は仰け反ってしまう。結構失敗話も書かされているのに。
「へぇ、人気者じゃない洋一」
朱音が気安く肩を叩く。
「あ、小野技曹も女学生の間では人気です。技科練の女子の応募すごいですよ」
「えぇ? どうしよう。困っちゃうなぁ」
朱音はくねくねし始める。全国の女学生に見てほしい気持ち悪さだった。洋一は呆れて眺めた。
「ま、ちょっと頑張れば自分たちでも成れそうってのがいいんだろ」
小暮はいつの間にか人気者になってしまった二人を見てにやにやする。。
「いつまでも浮かれてんじゃないぞ。今日は娑婆のお遊びじゃなく本物の戦場だからな」
「はい!」
「余計なことは考えず、とにかく俺についてくるんだぞ」
「はい! 絶対に離れません!」
「自分の機体をしっかり見て、整備のみんなにもご挨拶してこい!」
音がするほど村瀬の背中を小暮は叩く。はじき出されたように村瀬は走って行った。
「まったく初々しいもんだ」
まぶしそうな目で新人を眺めた。
洋一にも実に眩しい。彼はついこの前までの自分の姿であった。
洋一や自分の過去を見ながら、小暮は洋一の耳元で囁いた。
「そんなわけで、四番機はド素人で俺はそのお守りだ。後ろの目がちょっと足りなくなる」
「判ってます。任せてください」
三,四番機がどうであろうと、自分の任務はあの人を護ることだ。
「おうおう、頼もしくなっちゃって」
小暮は軽く洋一の肩を叩いてから、自分の機体に向かった。
新しい翼に新しい戦場、新しい敵。それに新しい仲間。いつだって自分はそんなところに飛び込まなければいけない。洋一は自分の命を預ける愛機を見上げた。
「では行こうか洋一君。何が起こるか楽しみだ」
最後に綺羅が洋一の肩を叩く。どんな逆境も、彼女にとっては新たな楽しみなのだ。その屈託の無い笑顔に迷いも恐れもない。
なら自分は、ただついていくしかないのだ。洋一は強く頷いた。




