2 そもそもビザンツとは
三月 地中海東方
洋一の嫌な予感は見事に当たってしまった。
一九四二年三月に、オスマン帝国はブランドル帝国と同盟を結んだのである。
ビザンツ王国がやや優勢であったところへ、アルバニア国境側からブランドル帝国軍がなだれ込んだのである。
これを受けてビザンツ王国はノルマン共和国、及び秋津皇国の陣営に加わった。
バルカン半島の紛争は、世界大戦の仲間入りをした。
オスマン帝国とブランドル帝国によるビザンツ王国侵攻を受けて、連合艦隊は救援のために第一航空戦隊、〈翔覽〉を地中海へと派遣した。
年末に新機材を受領して、正月明けから慣熟訓練をほどほどに切り上げて、針路を東へと向けてしまった。
秋津海軍の拠点があるジブラルタルまでは行ったことのある人間もいる。しかしそこから東は大半の乗組員にとっては未知の海である。
そのため簡単な勉強会があちこちで開かれた。
「えー、これが地中海沿岸の地図。東のここがオスマン帝国です」
なぜか下士官向けの教師を押しつけられた整備員の小野朱音が、搭乗員控え室の黒板に貼った地図を指し示した。
「はーい、朱音せんせーおしっこー」
年かさの軍曹がふざけるのを、朱音は渋い顔で睨む。
「まったくもう、私だって歴史とか地理はそんなに得意じゃないんですよ」
学業優秀で知られる彼女ではあるが、そもそも技術軍曹である。得意科目は理科や数学なのだ。
「で、ここら辺に紀元前三十年アントニウス帝によって建国された東カルタゴ帝国、またはビザンツ帝国と云うのがありましたが、一四五三年にオスマン帝国によって滅ぼされました」
地中海の東の辺りを朱音は指し示す。
「十八世紀に入ってオスマン帝国の力が衰えてきて、ビザンツ人たちの独立運動が盛んになってきました。クロムウェルのオスマン遠征がきっかけとなって一八三二年にビザンツ王国が誕生します。名前はビザンツですが四百年も離れているので直接関わりは無いんですけどね」
図書室から持ってきた教科書を見ながら朱音は講義する。
ビザンツ帝国滅亡辺りは洋一も中学で習った気がする。たしか中世の終わりだとかなんとか。
「独立なんか本音では認めたくないオスマンと、できればかつての首都コンスタンティノープルまで取り戻したいビザンツ。両者の利害がぶつかり合っているので、独立以降も何度か戦争しています」
双方昔から仲が悪いということだけはなんとなく判った。
「先の欧州大戦でもビザンツは協商側、オスマンは枢軸側で戦っています。戦後にブランドルの血筋の人がビザンツの王様になったりといろいろあったんですが、結局またオスマンとブランドルで同盟が結ばれたみたいですね」
欧州情勢、いや世界情勢というものは複雑怪奇である。
秋津皇国とオスマン帝国との間にも非キリスト教国同士としての友好はあったはずなのに、こうして敵対関係となってしまった。
「えっと、ビザンツ王国はクロムウェルの支援で独立した経緯から、伝統的にノルマンと関わりが深いです。軍もノルマン式で、士官以上でしたらノルマン語は通じるそうです」
秋津も士官は一応ノルマン語ができるので、なんとか意思の疎通はできるだろう。
他国と連合して戦うときに言葉の問題はどうしてものしかかってくる。
「朱音はビザンツ語できないの?」
「文字は読めるけど流石に会話とかは無理よ。欧州古代史が専攻ならラテン語とかビザンツ語は必須なんだけど」
星座の元になったビザンツ神話なら洋一もなんとなく知っているが、それ以上は縁の遠い世界である。
まさか世界史で聞いた場所と関わることになるとは思いも寄らなかった。
「ええっと、ビザンツは地中海性気候で、秋津よりも暖かい地域です。冬期は雨が多いですが夏は雨量も少ないそうです」
朱音は観光案内をそのまま読み上げる。暖かいのは良いが、冬は飛行可能日が少なくなりそうだった。
確かにこの時期にしては艦内も寒くは無い。秋津的には春先のような気候である。
ついこの前まで秋津でこたつに包まって正月を過ごしていたのが嘘みたいだった。




