1 丹羽家の正月
萬和十二年(1942年)一月
秋津皇国帝都 丹羽宅
「えー、開けまして、おめでとう」
丹羽家の家長である丹羽一造がかしこまって、それでいてどこか据わりが悪そうに新年の挨拶を述べた。
「こうして一家揃って新年を迎えられて、誠にめでたい」
そう云って一造は家族の顔を見回す。端の方で視線を一度止めた。
「たまにしか見かけない親不孝な顔もあって、めでたい限りだ」
視線の先にいた丹羽家の次男、丹羽洋一は肩をすくめてみせた。
「まあまあ」
一造の後を長男である真一が挨拶を引き継ぐ。
「去年は丹羽家にとって飛躍の一年だった。支店も出せたし売り上げも六倍になった。洋一のおかげだよ」
兄真一が飛行機乗りである弟洋一のために作った飛行靴。
これを簡易化して売り出したところ、名前の通り飛ぶように売れたのである。
本物は遠心力に耐えるためにすね全体を締め上げるような構造になっていたが、売り物は靴紐が一周足首を巻いているだけである。
それでも子供たちには「丹羽印の飛行靴」は大人気で、ここ大須の店の他に栄町にも支店を出して、更に江戸や大坂に毎月八百足も卸している。
数年前までの大須の片隅にある下駄屋からは想像もできないほどの大繁盛だった。
確かに洋一のおかげであった。
正確には彼が中京毎々新聞で連載している『実録紅姫様空戦記』の賜物であった。この中で宣伝になるかと兄の作った飛行靴について何度か書いたところ、飛行機乗りに憧れる少年たちの間で評判になってしまった。
「今年も忙しい年になるだろうし、洋一も時局柄ますます大変だろうけど、みんな健康で頑張っていこう」
そう云って皆、おせち料理に箸を伸ばした。家族だけのこぢんまりとした正月風景である。
父に兄に自分。そして今年はそこにもう一人増えていた。
兄真一の嫁である満子さんである。
去年の八月、洋一がキール攻撃から帰ってきた頃にめでたく祝言となった。
洋一もなんとか休暇を取って駆けつけることができた。
付き合いのある布問屋の娘さんで、気立ても良いし算盤も立つ人だった。
彼女が来てくれたおかげで支店を出すのも上手くいったのではないだろうか。
兄と二人お内裏様とお雛様みたいに並んで食事を取っているところを観ていると、洋一もなんだか安心してくる。
「いやあ、兄貴もいい嫁さん貰ったもんだ」
しみじみと洋一は頷く。
「新婚さんをじゃましちゃ悪いから、早めに帰隊しようかな」
「おいおい、つまらない気の回し方をするなよ」
「そうです。洋一さんには丹羽家のお台所について、まだまだ教えて頂かなければならないことが沢山あります」
満子さんは妙に真剣な眼差しでこちらを見る。
母親が早くに亡くなったので、飛科練に入るまでは洋一が丹羽家の台所当番であったのは事実である。
しかしどうにも彼女は自分の料理の腕を過剰評価しているのでは。洋一にはそう感じられていた。
「去年は三回ほど帰ってこれたけど、今年はどうだい?」
「どうだろうねぇ。こいつばかりは作戦次第だからなぁ」
何しろ洋一は海軍の戦闘機乗りで、今は戦争の真っ最中である。人並みの休暇が取れる身分ではない。
「まあこれでも母艦搭乗員だからね。いざ決戦のときには駆り出されるけど、それ以外はまあ普通に訓練だからまだましかな」
戦争は激しいが、洋一たちの飛行隊はなんだかんだで訓練、実戦、補充のサイクルを回せている。
空母も本国の基地を中心に活動をしているでこうして正月休みも取りやすかった。
「陸上の航空隊は張り付きっぱなしになるから大変だよ。なかなか帰れない」
開戦直後は特にひどかった。海軍で最初に欧州へと派遣された第十二航空隊は、激戦で消耗しても補充を送り込まれて、なんと八ヶ月も前線に張り付き続けたそうだ。
しまいには反乱計画まで立てられていたと噂で聞いた。正月を本土で迎えられないなら全機海軍省に突入してやるとかなんとか。おっかない話である。
その反省を踏まえてか今は三ヶ月ごとに交代するようになったが、やはり大変は大変である。
「いいじゃねぇか、俺ん時は与論島に一年半も居たんだぞ」
父一造は欧州大戦より更に前、琉球戦争に従軍していた。
「スペ公は来なかったが味方からも忘れられて南の島にほったらかしだ。何しろ戦争が終わったのに帰るまで半年待たされた。ずっと穴掘ったり木を切ったり桟橋作ってたりだぞ。食いもんだって自分たちで作った芋ばっかりだった」
その芋で酒屋の息子と芋焼酎を作った話は何度も聞かされた。
「真一さんは行かれなかったんですか」
新婦の問いに真一は答える。
「僕はずっと内地でね。靴が繕えたんであまりしごかれなかった」
兄も徴兵されたが、幸いにも戦地に行くことはなかった。
「ちょうどスペイン内戦が始まって、第一師団も派兵されるかも、ポルトガル行きの船が用意されたとか噂は聞こえてきたけど、結局流れたらしくってね。海外旅行しそこねた」
真一は笑って見せたが、その方が良かったと洋一は思っている。
兄貴は兵隊なんかよりも靴屋の方がはるかに向いている。
「大体なぁ、戦争なんてものは仕方なく行くもんだぞ。俺は島でのんびりしてられたが、石垣島の守備隊は大変だったそうだし、ジブラルタルじゃ何万も死んだ。好き好んで志願する神経が判らん」
「まあいいじゃないか」
洋一は父の話を適当にいなす。
「しかし去年もずいぶんと出撃したなぁ」
洋一たちの所属する第一航空戦隊第一戦闘機中隊は、大事な戦まで温存される決戦兵力である。つまり参加する作戦は激戦になる可能性が高い。
そして指折り数えてみるとその大事な戦が次から次へと起こっていた。
まず春にブレストからの撤退戦。そしてすぐにキール攻撃。一息ついたかと思ったら今度は九州地方へのブランドルの空襲が始まった。
陸上基地からの迎撃戦はさすがに空母は関係ないかと思いきや、洋一に高高度型十式艦戦での実戦経験があったために講師のような事もやらされた。
そして空襲を防ぐには元を絶つべしと、空母部隊は欧州の基地を襲撃して回った。
なんだかんだで張り付き続けた陸上の飛行隊と大差の無い出撃回数だった気がする。
今年は大人しい年だといいんだが。雑煮の餅をつつきながら洋一は思った。
しかし自分の上官は紅宮綺羅なのである。
あのあらゆる運を引き込み、そして首を突っ込む稀代の花形が指揮官であるならば、そこは最も華やかで派手な舞台になってしまうのだ。
「ま、すごく遠くで戦争にならなきゃ、何ヶ月も張り付きっぱなしてことにはならないと思うよ」
そう云って洋一は雑煮をすする。
鰹出汁のすまし汁に鶏肉の味が出て良い味だった。添えられた小松菜も彩りがいい。
丹羽家伝統、というほど大したものではないが、正月と云えばこの味だった。
明日は満子さんの実家風の味噌仕立て雑煮に挑戦してみよう。
久しぶりの休暇で、久しぶりの正月を、洋一は堪能することができた。
来年もこんな正月が迎えられればいいのだが。正月の餅に願いを込めて、洋一は飲み込んだ。
「さあて、正月ぐらいはおとなしい世の中であってほしいが」
食べ終えた真一はラジオのスイッチを入れる。
報道で流れていたのは昨年末に、遂に奪還したアイスランドの様子だった。雪と寒さでとにかく大変らしい。
「こっちはさすがに行ってないんだろ」
「うん、十一月じゃ天気が悪くて飛行機は飛べないよ」
アイスランドは酷寒の島である。まともに軍事作戦ができる季節は限られている。
九州空襲やらなんやらで奪還作戦が遅れてしまい、誰もが年が明けての春まで動かないと思っていた。
そんな十一月にアイルランド奪還作戦は強行された。
萬和十年(1940)に洋一たちも参加した第一次アイスランド海戦は十月だったが天候はかなり悪かった。
それより遅くなって戦争するのは正気の沙汰ではない。敵もそう考える。だからこそなのだろう。
航空機はハナからあてにならないので連れて行かなかった。
攻略の主力として秋津海軍は戦艦をかき集めて送り込んだ。吹雪の北海で向こうの駐留艦隊と撃ち合ったらしい。
艦隊といっても向こうはロシアから買ったネヴァ級二隻で、こちらは多分六隻以上なので一方的な戦いだったことは想像がつく。
「新型戦艦の〈大和〉ってのが大活躍だそうだが、そんなにすごいのか?」
「知らないよ。俺だって名前始めて聞いたんだから」
ペテルスブルグ条約が失効してから初めて建造された戦艦〈大和〉。
機密のヴェールに包まれて存在すら明かされてこなかった謎の新型戦艦であったが、このたびの第二次アイスランド攻略戦に始めて投入されたようだ。
ここに来て名前だけは派手に報道しているのも戦意高揚の一環なのだろう。よく判らないがいろいろ大変だなぁ。いささか他人事に洋一は感じられた。
まあこれでアイスランドから飛んでくる重爆の心配はしなくて済むようになった。
欧州大陸から九州を攻撃されている中、直接帝都中京を狙われるのは非常にやっかいだった。幸いなことにたまにしか飛んでこなかったので当初恐れていたほどではなかった。
どうも半ば成り行きで確保したフェロー諸島が思ったより役に立ったそうだ。
アイスランドから秋津を目指す爆撃機はみなフェロー諸島の近くを通るので、ここで観測して本土に警報を送れば、迎撃機が待ち構えることができたらしい。
何でも開発中の電探とか云う電波で飛行機を見つける装置をフェロー諸島に持ち込んだそうだ。
フェロー諸島に関しては洋一も関わっていたので、あの羊だらけの北の島々が役に立ったのだったら喜ばしいことだった。
今はもう雪に閉ざされているだろうか。とにかく寒い島だった。
アナウンサーはその他の地域の戦況も伝えてくれる。
ノルマン国内は中央高地で戦線が膠着したらしく一進一退の攻防が続いているらしい。
その他はインド洋に跋扈する通商破壊船や、中東での紛争など、世界中が戦乱に明け暮れているのが判った。
「ところで洋一」
父親はラジオを覗き込んだ。
「最近押しくら饅頭とかびちゃびちゃとか云ってるのは何なんだ?」
「何もかもが判らないよ親父」
首をひねっていると父親はラジオを指差す。
そこではちょうどオスマン帝国とビザンツ王国の話題だった。それでようやく理解した。
「オスマンが押しくら饅頭は中々判らないよ」
長男の真一が通訳してくれた。
「洋一、地図帳持ってきてくれ」
「へいへい」
洋一は中学時代に使った社会科の地図帳を本棚から引きずり出す。
「俺たちの秋津がここ、ノルマンがここで、これが地中海」
ページを開いて兄は解説を始める。
「地中海の東の方、この辺がオスマン帝国だ。回教徒の国だよ」
「随分と遠いなぁ」
洋一だってその辺りの知識は皆目無い。
教科書に描かれたスルタンの顔に落書きをしたことぐらいしか覚えていない。
『そのお隣がビザンツ王国。ビザンツ文明で有名なところね』
「ビザンツ?」
星座で有名なビザンツ神話とかアレクサンダー大王辺りは洋一も知っている。
しかし尋常小学校しか出ていない父には首をひねるしかない。
「去年の暮れからこのオスマンとビザンツの間でも戦争が始まったんだよ。昔から仲が悪いみたいだからね」
どこもかしこも、戦争ばかりであった。
「洋一さんに関係があるのでしょうか?」
満子さんが訪ねる。
「どうでしょうねぇ。こっちの戦争とあっちの戦争は別物ですから」
できれば関係はあってほしくはなかった。しかし云われてみると段々と嫌な予感がしてきた。
遠くで転がった石がすぐそばの山を動かしてしまうのが世の中である。
今年もなかなか面倒な年になってしまうのだろうか。
広くなってしまった地図帳をみて洋一は首をかしげた。




