20 王女様から女王様へ
三月二十六日
ビザンツ王国 アテネ ミトロポリス大聖堂
数千年の歴史を誇るビザンツ。
その中であってはこのミトロポリス大聖堂は1862年完成と新しい部類である。
しかしビザンツ正教の総本山ともなると人を畏れさせる重たい空気をまとっていた。
荘厳な大聖堂の中には多くの人々が居並んでいた。皆着飾り、威厳に満ちた恰好をしている。
そんな中に、洋一も混ざっていた。
彼だけでなく秋津海軍の搭乗員が三十名ほど、第一種軍装に身を包んで末席に並んでいた。
洋一はどうにも落ち着かない。
普段式典でもないと着ない第一種軍装の襟が硬いのもあるし、どう考えても場違いな空気で居心地が悪い。背筋がむずむずする。
「ほらふらふらしない」
隣にいた朱音が小さな声でたしなめる。そう云う彼女も足が少し震えていた。
何しろこれから始まるのは、ビザンツ王国国王の戴冠式なのだ。
秋津海軍の下士官で、下駄屋の息子の洋一がいていい場所には思えなかった。
ラッパのような音が鳴り響く。
それを合図に全員が居住いを直す。秋津海軍の一行も、士官を先頭に二列で並んで手足をピンと伸ばした。
扉が開き、二つの人影が前に進み出る。
前に立つ小さな影、礼服に身を包んだ少年はノルマン共和国大統領ジョージの第一子。
エリオット・ウィンザー。
小さいながらも堂々とした足取りであった。
エリオットに手を引かれているのはこれまた小柄な、ビザンツ風の豪華なドレスに身を包んだ少女。
ビザンティナ・ティス・エラザス。
彼女こそが、この戴冠式の主役であった。
あの救出劇のあと、アテネに乗り込んだビザンティナ王女はあれよあれよという間に勢いで即位に持ち込んでしまった。
戦争の真っ最中に、国王を空位にしておくわけにはいかないと。
そして一週間も経たずに戴冠式となった。
あまりに急であったためにいろいろと準備不足は否めない。
王冠確保に参加した洋一達秋津の搭乗員全員を招待したのも、人数を確保するためだったのかもしれない。
〈翔覽〉はまだイオリア海で作戦行動中だというのにいいのだろうか。
視線を巡らせると洋一達の隣に並んでいたキャンベル中尉がにやりと笑った。
そのさらに隣にはカサンドラ半島から救助された七人も並んでいた。
最初にフォッカー・トライヘッドに乗っていたパイロット達もいる。
まだ怪我も癒えていない人たちもいるのに、晴れの舞台だからと張り切っているのが端から見ても判る。
王冠確保に功のあった人たちの前を通る時、少女はわずかに頷く。
秋津の一団の指揮官である朝倉大尉が見事な敬礼をする。洋一達もそれに合わせる。
一糸乱れぬ、と云えるくらいにはなったであろうか。
ビザンティア王女は玉座の前まで来る。大司教が厳めしい顔で待っていた。
曲が変わり、その頭上に抱くべき証が運ばれてきた。
緋色のクッションに載せられた金色に輝く王冠。
あれのために大勢が苦労させられた。それに見合う美しい輝きだった。
参列者からうっとりとした声がさざ波のように聞こえてくる。
そりゃ王冠はきれいだけど。そう思いながら洋一が視線をわずかに転じると、思わず息を呑んだ。
王冠を運んできたのは古代ビザンツ風の装束に身を包んだ女性であった。
華麗な衣装はもとより、栗色に煌めく髪、何より美の女神が降臨したかのようなその麗しい容貌は、誰もが心を奪われた。
足取りまでも優雅なその姿は、捧げ持った王冠よりも輝いて見えた。
そして他の誰よりも洋一は衝撃を受けていた。
「……隊長」
この王冠確保に重要な働きをした紅宮綺羅は、最も王冠に近い場所にいた。
ノルマン人のエリオット少年と秋津人の綺羅が立ち会うことで、連合国の団結を示す狙いがあったのは確かであろう。それ以上に彼らは式を美しく彩っていた。
「ほんときれいねぇ。美術の教科書に載せるべきよ」
隣で朱音がうっとりと語っていた。
秋津人であるにもかかわらず、綺羅はまるでビザンツ彫刻のように参列者を魅了していた。
王冠を渡された大司教も、指折り数えられるほどの時を綺羅の顔に見とれていた。
咳払いをして気を取り直し、大司教は王冠を掲げた。
参列者にそれを示してから、少女の頭上にそれをゆっくりと載せる。
ビザンティア女王の誕生の瞬間であった。
押し戴いた少女はゆっくりと振り返った。万雷の拍手が新女王を祝福した。
戦時下故いろいろと足りないことも多いだろう。今もなお前線では兵士達は苦闘している。
それでもビザンツ王国の威信を示せる良い戴冠式だったのではないだろうか。
拍手をしながら洋一はそんなことを考えていた。
拍手が止むのを待ってから、ビザンティア女王は一歩踏み出して声を張り上げた。
「本日この場を持って、わらわビザンティナがビザンツ王国の王となった」
再び万雷の拍手に包まれる。
「知っての通り我らがビザンツ王国は今未曾有の危機にある。こんな国難の中神に召された父もさぞ心残りであったであろう。しかし」
力強く少女は拳を握りしめる。
「わらわは必ずビザンツを取り戻す。イオアニアを、テッサロニキを、そしてコンスタンティノープルを!」
コンスタンティノープルはちょっと大きく出すぎじゃないかな。
洋一はビザンツ語の中から聞き取れた単語で内容を推し量りながらそう突っ込んだ。
コンスタンティノープル、現イスタンブールはオスマン帝国の首都である。
しかしビザンツの人たちには大いに受けているようだった。
「多くの困難が待ち構えていよう。しかし国民が一丸となればきっとできる。皆、力を貸してくれ」
喝采を持って新たな女王を国民達は称えた。
少なくとも、彼女には人を惹きつける魅力はあった。
「それともう一つ知らせたいことがある」
少女は傍らの少年を招き寄せた。
「わらわは今日、このエリオット・ウィンザーと結婚する! 我ら二人、共にこのビザンツを支えていくことを誓おう!」
女王の力強い言葉に、大きなどよめきが走る。
そしてなぜかエリオット少年は突然の言葉に慌てていた。
「なあ、予定じゃ婚約発表じゃなかったっけ」
洋一は小さな声で隣に居た朱音に尋ねた。
「王女様、じゃなくって女王様、仕掛けたねあれは」
したり顔で朱音が答える。
声は聞こえないが二人の口は動いていた。
「婚約までって話だったでしょう。なんで」
口の動きに合わせて洋一はエリオット少年の真似で喋った、
「あ、ごめん、ついうっかり」
朱音がビザンティナ女王の真似で応じる。
「でももう発表しちゃったから、しょうがないよね、エリ君」
婚約破棄される前に結婚を宣言して、既成事実を積み上げてしまえという雑な手であった。
しかし明るい話題に飢えていた国民にはそんなことでも良かった。
「皆様。お二人の門出と、王国の繁栄に祈りを」
女神のような綺羅が促すと、ミトロポリス大聖堂は割れんばかりの拍手に包まれた。




