表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響  作者: ゴンザレス清盛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

216/283

『終わったあとの火』

終わったはずのものは、消えない。


形はなくなる。

音も、匂いも、やがて薄れていく。


けれど。


選んだことだけは、残る。


残したものも。

残せなかったものも。

選ばなかった一瞬も。


全部が、あとから追いついてくる。


これは、戦いの続きの話ではない。


終わったあとに、残ったものと生きる話だ。


風が、普通に吹いていた。


 それだけのことが、今は少しだけ不思議だった。


 終わらない戦場を抜けてから、どれくらい歩いただろう。

 空はゆっくりと夜に沈み、遠くの地平には薄い紫が残っている。


 雲は流れている。

 草も揺れている。

 風は何も引きずらず、ただ通り過ぎていく。


 それが、妙に現実味を欠いていた。


 誰も、大きな声を出さなかった。


 ネリネは列の少し外れを歩いている。

 いつもなら何か言うのに、今は黙っている。

 アスモデウスは軽い足取りのままついてきているが、余計なことは言わない。

 ヴァレフォルはランタンを抱え、小さく羽を震わせている。

 ナベリウスは鼻を鳴らしながら、何度か後ろを振り返っていた。


 クチナシも、振り返りそうになった。


 けれど、振り返らなかった。


 あの場所は、もう終わった。


 倒れたものは、そのまま。

 終わったものは、終わったまま。

 戻らない。

 繰り返さない。


 分かっているのに。


 身体のどこかが、まだ警戒している。


 また音が戻るんじゃないか。

 また、立ち上がるんじゃないか。

 終わったはずのものが、追いかけてくるんじゃないか。


 そう思ってしまう。


「ここで止まる」


 ヘルハウンドが言った。


 短く。


 それだけで決まる。


 小さな林の端だった。

 風を遮る岩。

 枯れ枝。

 少し離れた場所に水の音。


 野営には十分だった。


 誰も異論はない。


 ネリネが枝を集める。

 アスモデウスが火を起こす。

 ヴァレフォルはランタンを置いて、何度も周囲を確認してから、ようやく息を吐いた。

 ナベリウスは地面に鼻を近づけて匂いを探る。


「……変なの出すなよ」


 ぼそりと文句。


 だが動きは止めない。


 クチナシは、少し遅れて荷物を下ろした。


 重い。


 止まった瞬間に、全部戻ってくる。


 戦った。

 見た。

 知った。

 終わらせた。


 全部が、身体の奥に沈んでいく。


 焚き火が灯る。


 ぱち、と音がした。


 クチナシの肩が、わずかに揺れる。


「……」


 すぐに気づく。


 ヘルハウンドが見ている。


「……なに」


「別に」


 短い。


 でも視線は外さない。


 クチナシは、少し目を伏せた。


「……音が」


「火だ」


「……うん」


 分かっている。


 剣じゃない。

 骨でもない。

 誰かが倒れる音でもない。


 ただの火。


 クチナシは焚き火の前に座る。

 膝を抱える。


 火の温度が頬に触れる。


 違う。


 あの熱じゃない。


 血も、焦げも、残らない。


 ただの火。


 ただの夜。


 ただの野営。


 遠い。


 ネリネが鍋を火にかける。


「今日は簡単なものしかないわよ」


「食えりゃいい」


 ヘルハウンドが即答する。


 アスモデウスが笑う。


「君、本当に味に興味ないよね」


「いらねぇ」


「損してるよ、それ」


「知らねぇ」


「こういう時くらい味わえば?」


「黙って食え」


 いつものやり取り。


 それを聞いて、クチナシは少しだけ息を吐いた。


 普通だ。


 それが、戻ってきている。


 器を受け取る。


 温かい。


 両手で包む。


 少し、安心する。


 ひと口。


 塩気。

 甘み。

 少し焦げた匂い。


「……あったかい」


 ぽつり。


 ネリネが横を見る。


「温めたんだから当たり前でしょ」


「……うん」


 当たり前。


 その言葉が、ちゃんと落ちる。


 ヴァレフォルが器を抱えて息を吹きかける。


 けれど。


 ぱち、と音。


 びくっと肩が跳ねる。


 ランタンを抱き直す。


「……ヴァレフォル」


 クチナシが呼ぶ。


 慌てて顔を上げる。


「だ、大丈夫……! ちょっと……怖い、けど……」


 最後は小さい。


 ネリネがため息。


「怖いなら怖いって言いなさいよ」


「……こ、怖い……」


「よし」


「……よし?」


「言えたならいいの」


 短い。


 でも優しい。


 ヴァレフォルは、こくりと頷く。


 アスモデウスが笑う。


「優しいじゃん」


「うるさい」


「今のは優しかったよ」


「黙れ」


 少し、空気が緩む。


 クチナシは火を見る。


 炎が揺れる。


 同じ形にならない。


 変わり続けている。


 それが、少しだけ安心する。


 夜が深くなる。


 火が小さくなる。


 クチナシは、無意識に火の向こうを見る。


 ヘルハウンドが薪を足す。


 言われる前に。


 自然に。


 火が消えないように。


 ぱち、と音。


 今度は、揺れない。


 ヘルハウンドの視線が、わずかに動く。


「……静かだな」


 低い声。


 クチナシは火を見る。


 また、小さな音。


 大丈夫。


「……うん」


 一拍。


「でも、それでいい」


 ヘルハウンドは何も言わない。


 ただ、火を見る。


 クチナシも、同じ火を見る。


 言葉はいらなかった。


 嫌な沈黙じゃない。


 何も起きない夜。

 誰も死なない夜。

 終わったものが、終わったままでいられる夜。


 そういうものを。


 身体が、思い出していく。


 クチナシは器を包んだまま、息を吐く。


 火の温度が、指先に残った。

静かな夜は、優しい。


何も起きないことは、本当は救いだ。


それでも。


何も起きないからこそ、思い出す。


あのとき止まった一瞬を。

選ばなかった可能性を。

残らなかったものを。


全部は持っていけない。


全部は覚えていられない。


それでも。


消えなかったものだけが、残る。


それが、これからの重さになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ