『綺麗に壊れた、その外側』
すべてが残るわけではない。
選ばれたものだけが残り、
選ばれなかったものは零れ落ちる。
名前も。
形も。
記憶さえも。
だが。
消えたわけではない。
ただ、触れられない場所へ移っただけだ。
そこに立つ者がいる。
壊れる前と、壊れた後の――その“途中”に。
誰もいない。
そう見えているだけだ。
そこに、いる。
ずっと。
最初から。
終わるまで。
その外側に。
ナアマは、立っていた。
風は、触れない。
音も、届かない。
血の匂いも、ここまでは来ない。
戦場の“途中”だけを、切り取った場所。
その縁。
そこに、いる。
黒い傘が、静かに開かれている。
花びらのような影が、わずかに揺れる。
濡れない雨みたいに。
落ちずに、そこにある。
ナアマは、見ていた。
クチナシを。
アンドロスを。
そして。
“落ちたもの”を。
「……そう」
小さく、呟く。
柔らかい声。
けれど、温度はない。
「残したのね」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、確認するように。
視線が、戦場の奥をなぞる。
もう、そこには何もない。
少女も。
花も。
あの一瞬も。
形としては、どこにも残っていない。
けれど。
確かに、“残っている”。
ナアマは、それを知っている。
見ていたから。
壊れる前を。
壊れた瞬間を。
そして。
壊れたまま、変わったものを。
「全部じゃなくていい、か」
一拍。
わずかに、首を傾げる。
「ずいぶん、都合のいい祈りだこと」
否定でも、肯定でもない。
ただ、そういうものとして置く声。
黒い傘の内側で。
小さな影が、もぞりと動く。
ムルムルが、顔を出す。
片目のボタンが、きらりと光る。
「……いたか?」
小さく、囁く。
さっきのネリネの言葉を、なぞるみたいに。
ナアマは、微笑む。
変わらない、柔らかい形で。
「ええ」
一拍。
「いたわ」
即答だった。
迷いも、濁りもない。
「でも」
少しだけ、目を細める。
「あなたたちは、もう思い出せない」
それが、この世界の“継ぎ目”。
残るものと。
零れるもの。
繋がるものと。
消えるもの。
その境界。
ナアマは、ゆっくりと視線を上げる。
クチナシの背中。
遠ざかっていく。
振り返らない。
でも、確かに何かを抱えている背中。
「……いいのよ、それで」
小さく言う。
誰にも届かない声で。
「全部、持っていかれたら」
一拍。
「壊れてしまうもの」
傘が、わずかに揺れる。
黒い花びらが、音もなくほどける。
だが、落ちない。
途中で止まる。
ナアマは、そのまま視線を落とす。
何もない地面。
けれど、そこに。
“あったはずのもの”を見るように。
「……ねえ」
今度は、誰かに向けて。
でも、やはり誰にも届かない。
「あなたは、どう思ったのかしら」
一拍。
返事はない。
当然だ。
ここには、もう何もいない。
それでも。
ナアマは、少しだけ笑った。
いつもと同じ。
柔らかくて、空っぽの笑み。
「――綺麗に壊れたわね」
その言葉だけを残して。
輪郭が、ほどける。
黒い傘が、閉じる。
花びらが、静かに消える。
ナアマの姿は、どこにも残らない。
最初から、いなかったみたいに。
ただ。
わずかな違和感だけが。
そこに、残っていた。
それは、失われたのではない。
選ばれなかっただけだ。
思い出せないものは、消えたのと同じに見える。
だが、完全に消えることはない。
触れられないだけで、そこにある。
残ったものと、零れたもの。
その境界は、誰にも見えない。
けれど。
見ている者がいる。
壊れる前を。
壊れた瞬間を。
そして、壊れたまま変わったものを。
それを“綺麗”と呼ぶのは、きっと残酷だ。
それでも。
そう呼ぶしかない場所が、確かにある。




