第7話 心配だから
「……蛍」
お祖父さまが少しあらたまったように問いかける。
「蛍はあの、いや、調査結果で見とったけど、蛍の性別って、あの」
言いづらそうだ。お兄ちゃんもそれを感じ取ったのだろう。
「せやねん、おれ、今は「これ」なんやわ」
お兄ちゃんは屈託なく、ひらりとその場で1回転して、ワンピースを翻した。今日のウィッグはスカイブルーで、ワンピースは生成色と黄色の太いストライプだった。
「そ、そうか」
お祖父さまは戸惑っているように感じる。お祖母さまは平然としているが。年齢的なところでも、心と身体の性が違うことを、受け入れるのが難しいのだろうなということは、那津でも分かる。
「そういうのんは、その、治療とかで治ったりはせんもんなんか?」
するとお兄ちゃんは苦笑いを浮かべて。
「こういうんは、そもそも病気やないから、治療とか治るとか、そういう話やないんやわ。強いて言えば、心と身体の不一致そのものが障害。性同一性障害って聞いたことあるやろ?」
「ああ、あるけど」
「せやから、治療っちゅうんやったら、身体を変えることが治療やな。おれは今んとこするつもりないけど」
お兄ちゃんはあっけらかんとそう言う。お祖父さまは「そうか……」とうなだれた。
するとお祖母さまが「ええやないですか、お父さん」と何気なく言う。
「蛍は蛍なんですから。優しくて、啓太の、お父さんのために怒れて、でも今、こうしてわたしらを受け入れてくれてる。充分やないですか」
「そんなええもんやないけどな」
お兄ちゃんは言うと、にっと笑う。
「おれは、おれが生きやすいように、やりたいようにやってるだけや。それに、おれが優先するんは、やっぱりなっちゃんたちやから。そこは揺るがんから」
その「なっちゃんたち」の「たち」には、きっと保さんも含まれているのだろう。当の本人は最奥の席で、涼しげな顔で「ジャックダニエル」の水割りを傾けている。今日は金曜日ではないので、出口さんは来ていない。
そして、スイも。スイはお母さんから引き継いだ、大切な家族だ。そのことはお兄ちゃんだって分かってくれているはずである。
「こうやってまた交流するようになったんやから、祖父ちゃんも祖母ちゃんももちろん大事にしたいけど、おれの軸はぶれへん。そこは分かってて欲しいわ」
「もちろんやで。蛍は蛍のままでええんよ。無理して自分の心に背いたりして欲しくないんよ」
お祖母さまが優しく言うが、やはりお祖父さまは複雑そうな表情を崩さない。
これは那津の肌感なのだが、こういったことに理解が早いのは、女性の方なのだと思う。かつて保さんの一件でこの「ウィスキーバー TOMO」に足繁く通っていた深川さんのような場合ももちろんあるが、多くはそう気にしないのだと思う。
でも、これがお父さんだったらどうだっただろうか。お父さんだったらきっと、お兄ちゃんを理解して、応援してくれるのだと思う。お父さんはお兄ちゃんを信じていたし、那津のことも尊重してくれた。お兄ちゃんは単に、間違えた身体で生まれてきただけなのだ。
お母さんはそんなお父さんを慕っていたから、スイもお父さんに全幅の信頼を置いて、猫又という正体を明かしたうえで懐いていたのだ。
「お父さんもへそ曲げんと。わたしらジジババが孫を否定したらあかんでしょう」
「わ、分かっとるわい」
お祖父さまが拗ねたように、ぷいとそっぽを向いた。なんだか可愛らしいなんて失礼なことを思ってしまって、那津は笑いを堪えた。
「ありがとうな、祖母ちゃん。ま、祖父ちゃんも追々な。おれ、別に自分がおかしいとかそんなん思ってへんから、心配とかいらんし」
「そりゃあ、心配するやろ」
お祖父さまがぽつりと言う。
「わしもやけど、やっぱりな、そういうのって、理解せんのが一定数おる。そんなんは肉親やからとかそんなん関係ないんや。わしもな、調査で見たときにはびっくりしたし、怒りすら沸いた。なんでわしの孫がおかまになっとるんやって。そんなんは、きっとぎょうさんおるんや。いくら蛍がええて言うても、堂々としとっても、心ない言葉とかに傷つけられたりとか、あるやろ。女の格好して化粧までして、こんな店やっとったら、失礼な客かておるかも知れんやろ」
ああ、お祖父さまは不器用なだけで、きっと愛情深い人なのだ。自分の感情は大事にすれど、お父さんやお兄ちゃんのことを、心から心配しているのだ。
両親の再婚を反対されたことを聞いたときには、那津だって辛い思いをしたが、その奥にあるのは、肉親への情である。だからお祖母さまもお祖父さまに寄り添っているのだ。
「ありがとうな、祖父ちゃん」
お兄ちゃんは優しい笑顔を浮かべる。お祖父さまの本質なんて、お兄ちゃんの方が分かっているはずなのだ。だからこそ、その思いやりが沁みるのだと思う。
那津は心にぬくもりが広がっていったのだった。




