第13話 思いやり合うからこそ
出口さんが願っていたのは、お兄ちゃんの幸せだった。深川さんだって、保さんに対してそんな思いもあったのだろうが、どうしても自分の気持ちが先行していた。
だから、お兄ちゃんとのことを受け入れられなかった。
好きな人には、自分のそばで幸せになってほしい。それは当然の感情で、多くの人たちが抱くものだと思う。だが結局、深川さんの思いは一方通行になってしまった。
接し方が違えば、また異なる今、もしくは未来があったのだろうか。
今さら、たらればを言っても仕方がない。保さんはすでにお兄ちゃんを選んでいるのだから。
「元ちゃんと姫ちゃんは、やっぱり松比良くんのことは、推しの域を超えてへんかったんやて。でも深ちゃんの思いを汲んで、協力したって。あたしも一緒やろうって思ってたから、あたしが別の人好きやったことには驚かれたけど、でも裏切られたって思いはせんかったって。推し心と恋心は別もんやもんね。でも深ちゃんはちゃうかったから、本気で松比良くんが好きやったから」
「うん」
保さんが相槌を打ち、出口さんは小さく息を吐いた。
「あたしも友永くんが好きやったから、深ちゃんの気持ちも分かるんよ。でもこればっかりね、お相手あってのもんやから」
「せやな」
「あ、元ちゃんと姫ちゃんには彼氏さんがおって、姫ちゃんは結婚決まってるんやって。でもなかなか言えんくて、特に深ちゃんに。せやから今回、こうなってむしろよかったんやないかなって言ってた」
「めでたいやん」
お兄ちゃんが言うと、出口さんは「うん」と嬉しそうに頷く。
「ふたりには、もちろん深ちゃんにも、幸せになって欲しいんよ。ひとりでも、誰かと一緒でも、周りも自分も満足できるように」
「出口って、ほんまええ女よな」
お兄ちゃんが不意にそんなことを言うものだから、出口さんはふっくらとした顔を赤らめて大慌てである。
「え、ええっ!?」
そんな様子がおもしろいのか、お兄ちゃんは「くく」と笑みをこぼす。
「いや、そうやって相手を慮れるってさ、すごいことよなって思うわ。自分の思いを押し付けるんやなくて、相手を大事にするってな、なかなかできることやないって思うわ」
「そんなん、当たり前のことやん。友永くんかてできてるやん。那津さんとのこと、聞いたよ」
「ああ、それはまぁなぁ、それはな。元は他人や。他人同士が一緒に暮らすんやから、それぐらいはするやろ。でもそれって、誰とでも一緒やないか? それができて、初めて人とまともに付き合えるんや。できひんやつが人を傷つける。それは肝に銘じとかんとな。おれも気をつけんと」
那津からしてみたら、お兄ちゃんは充分那津に気遣ってくれていると思う。思いやってもくれる。だって、今もそばににてくれる。保さんと一緒に暮らすことだってできるはずなのに。
那津にはスイがいるから、ひとりになることはない。それでもお兄ちゃんがいるのといないのとでは、心強さが違うのだ。
勝手だと思う。お兄ちゃんはきっとそんな那津の気持ちを見透かしていて、家から出ないのだろう。もういい歳なのだから、那津こそが結婚とかしていてもおかしくないのに。
那津とて、恋愛経験がないわけではない。だがお付き合いをしたとしても、どうしてもその人を優先にできないのだ。自分よりは大事にしていたと思うが、どうしても那津のなかでは家族がいちばんだった。
今はもういないお父さんとお母さん、そしてお兄ちゃんとスイ。特別で大切なのは、この4人だった。
那津は家族依存が強いのだと思う。だから離れられないし、離してあげられない。鬱陶しい人間だなと思うが、今は現状に甘えてしまっている。
でも、もう少しだけ待ってほしい。必ず独り立ちできる心を身につけるから。
「あたし、そんなこと考えたことないけど、でもこれから大切にしたいって思える人と出会えたら、そうやって思いやり合えたらええなって思う」
「おう、出口やったら会えるわ」
「ぼくも、そう思う」
「わたしも。応援してます」
「ありがとう」
出口さんはとても可愛らしく微笑んだ。
出口さんは21時ごろに帰っていき、オーダーストップの22時半も越し、ほかのお客さまも退店して、閉店を迎えた23時。後片付けを終わらせたのが23時半。
いつもならここで帰宅をするところなのだが。
「保、なっちゃん、ちょっと付きおうてくれへん? 奢るから」
お兄ちゃんに問われ、保さんと那津は思わず顔を見合わせる。那津に断る理由はない。お家は同じ長居だし、終電を気にすることもない。なにより帰る場所はお兄ちゃんとスイと同じなのだから。
「ぼくはええよ」
「うん、わたしも」
「ありがとうな」
お兄ちゃんはショットの「知多」を出す。「知多」はサントリーが醸造するジャパニーズウィスキーである。甘みがあり、だがスモーキーさはあまり感じられない。そういう部分で評価が割れるとも聞いたが、さっぱりと飲みやすい一品である。
「保はいつもの水割りでええか? なっちゃんはどうする?」
「うん、ぼくは水割りで。「知多」久々やわ」
「わたし、ハイボールにしてもろてええ?」
「はいよ。なっちゃん、客席におりぃ、すぐに作るから」
「ありがとう」
那津はエプロンを外して客席に回る。保さんの横はお兄ちゃんが座るだろうから、ひとつ離れて腰を掛けた。




