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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第8章 薔薇と王冠編(ルーカス/レナート/クラリス)

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第386話 アルヴェーン公爵邸「手紙」

夜。


アルヴェーン公爵邸は、灯りが落とされていた。


社交の家ではない。

軍の家だ。


夜は静かであるべきだと、

この家では昔から決まっている。


廊下の足音は抑えられ、

扉は静かに閉じられる。


だが今夜は、

その静けさにわずかな揺れがあった。



執務室の扉が叩かれる。


公爵は顔を上げた。


書類の束。

机の上に並ぶ軍務報告。

すべて通常の夜だ。


「入れ」


扉が開く。


家宰が一礼する。


その後ろに、

黒曜宮の使者が立っていた。


公爵の目が細くなる。


夜の黒曜宮使者。


良い知らせではない。


使者は静かに言う。


「黒曜宮より」


封書を差し出す。


封蝋。


アルヴェーン家の紋章。


公爵は手を止めた。


これは黒曜宮の書簡ではない。


自分の家の封蝋だ。


「……娘か」


使者は答えない。


答える立場ではない。


公爵は封を切った。



紙は短い。


クラリスの字だ。


整っている。

震えていない。


娘らしい、

真っ直ぐな字。


公爵は声に出さず読む。


――父上へ。


――海へ出ます。


――国益の任です。


――境界は曖昧な場所ほど必要です。


公爵の指が、

紙の端を少しだけ強く押さえた。


クラリスの理屈だ。


小さい頃から変わらない。


正しい方を選ぶ。


それがこの娘だ。


続きを読む。


――ですが、もし。


そこから先は短かった。


――何かが起きる前に、

――娘として伝えます。


――私は必ず帰ります。


――それでももし帰れなかったら。


公爵の目が止まる。


次の行。


――父上の娘でいられたことを、

――誇りに思います。



沈黙。


部屋には誰も声を出さない。


使者も。

家宰も。


公爵も。


しばらくして、

公爵は紙を畳んだ。


丁寧に。


乱暴には扱わない。


そして机の引き出しを開け、

そこへ入れる。


鍵は掛けない。


必要な時はすぐ取り出す。


それが軍人の癖だ。



家宰が低く言う。


「お嬢様は――」


公爵は手を上げる。


言わせない。


「報せは」


使者が答える。


「海上にて事故」


「王太子殿下」

「聖女殿下」

「原種」


「三名落水」


部屋の空気が止まる。


だが公爵の顔は変わらない。


軍人は、

最悪を想定して生きる。


想定していることは、

驚かない。



公爵はゆっくり立ち上がる。


窓へ歩く。


外は夜。


遠い海は見えない。


だが風の匂いは分かる。


海風だ。


「捜索は」


「海軍船が即時」


使者が答える。


公爵は短く頷く。


「……ヴァルディエか」


それなら遅れない。


海軍は海を知っている。



家宰が言う。


「兵を出しますか」


公爵は首を振る。


「海だ」


陸軍は無力だ。


出しても邪魔になる。


それは軍人として理解している。


理解しているが。


指が、

窓枠をわずかに握った。


ほんの一瞬だけ。



公爵は振り返る。


声は平静だ。


「報告は」


「黒曜宮へ」


「王家へ」


「海軍へ」


順序を言う。


軍の順序。


感情は挟まない。


家宰が頷く。



使者が去る。


扉が閉まる。


部屋には公爵だけが残る。


机へ戻る。


引き出しを開ける。


クラリスの手紙。


もう一度だけ読む。


――必ず帰ります。


公爵は紙を見つめた。


そして低く言う。


「帰れ」


命令だった。


父の言葉ではない。


軍人の命令。


アルヴェーン公爵の命令。


「生きて帰れ」


夜は静かだ。


だが遠い海では、

まだ嵐が続いていた。

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