第3話 不器用な少年
森崎史郎は不器用である。
それも手先だとか指先だとか、そうゆう一般的な話では無い。もちろんそれらも不器用ではあるのだが、彼の場合は徹底していた。
具体的には、勉学や運動と言った基本的なもの。絵画や音楽と言った芸術的なもの。他にも機械いじりにパソコン、趣味の園芸や料理に至るまで、ありとあらゆる習い事に対して、彼は不器用で物覚えが悪かった。
とにかく殆どの事に対して出だしで躓くため、当然ながら幼少時の学校の成績はとても悪い。授業態度の良さと、何事に対しても手を抜かない真面目な性格のおかげで、教師達のうけだけは良かったが、ただそれだけの目立たない少年であった。
その当時友達も少なかった史郎少年が夢中になった事と言えば、古武術を嗜む祖父から教わる護身術の稽古ぐらいで、それ以外はただ淡々とその日出来なかった事の復習を繰り返し、飽きること無くそれを続けた。
そんな史郎ではあったが、小6の時に受けた全国テストで、その評価は修正を余儀なくされる。
クラス全員が受けると言う理由だけで受けたこのテストで、なんと彼はいきなり全国100位以内に入ってしまったのである。
クラスの秀才どころを差し置いてのこの快挙に、周囲は大いに驚嘆した。確かに史郎の成績は徐々に上がってはいたが、せいぜいクラスの上の下辺り、とても全国トップクラスの成績を収めるとは、想像すらされていなかったのである。
ここで何人かの教師やクラスメイト達は、彼の特異性に気付き始めた。
史郎は相変わらず不器用で物覚えは悪い。何をするにも人より時間がかかるし、平たく言ってクラスのお荷物だ。
しかし、そうして苦労して覚えた事一つ一つを、彼はほぼ完璧に記憶していたのである。テストで間違った問題や、今日出来なかった事の数々、たとえ鉄棒の逆上がりであっても、史郎がそれを途中で投げ出すことは決してなく、どんなに時間がかかったとしても必ずそれをやり遂げた。そして、そのことごとくを全て記憶してきたのである。
全てを完璧に記憶する能力。それは知識のみならず、身体的な面でも発揮され、史郎はその後もゆっくりと、しかし確実に成長していった。
塵も積もれば山となる。史郎の真価は、正にそれら全てが実となり山となっている事実に尽きた。
不器用で物覚えは悪いが、決して記憶力は悪くない。ただ単に覚えるのに時間がかかるだけで、例えるなら、書き込みスピードが遅いだけの大容量パソコンと言ったところだろう。究極の大器晩成型、それが森崎史郎と言う少年であった。
学校の勉強が基礎の積み重ねである以上、その基礎を完璧に修めた史郎の成績は、当然その後も順調に上がり続けた。
中学校入学時点で普通に優等生であるばかりか、運動、美術、家庭科に至るまで、もはや彼の苦手とする科目は無く、それら全てで人並み以上の成績を収めると、彼を見る周囲の目はすっかり別のものになっていた。
もっとも陶芸などのやった事の無いものや、知らない楽器、スポーツと言った未知のもの関してはその限りではなく、初っ端から躓く不器用っぷりはやはり健在であったが。
今まで散々出来ない子として名を馳せてきた史郎少年。
サッカーやドッジボールでは当たり前のように後方に回され、クラス演劇では村人AかB、男女ペアで踊るはずのフォークダンスなどは、人数の関係で先生と踊ったりもした。
しかし中学に入り、徐々に頭角を現すようになってからは劇的に違った。
サッカーではフォワードでシュートを何本も決めたし、文化祭のクラス劇ではセリフの多い重要な役を任された。当たり前のようにクラス委員長にも抜擢され、先生やクラスメイトから相談もされるようになった。
今まで誰からも期待されず、頼られた事の無かった史郎にとって、人に頼まれ、その期待に応える事は、画期的な成功体験であり、自己肯定感を満たす唯一の方法でもあった。
とは言え彼の頭の中では、常に不器用で出来ない自分が存在していて、それは優等生の輪の中にあっても容易に脱却出来ないほどに根深い。史郎の断われない性格の根底にあるのは、その劣等感ゆえだ。
しかしさすがの史郎も、こうして周りから高く評価をされ、頼られもすると少しづつ自信もついてくる。ここで順調に成功と自信を積み重ねていけば彼の人生はもっと前向きなものになっていた事だろう。しかし中1のバレンタインデーの時、ある事件が起きた。
その年のバレンタインデー当日。史郎は無計画どころか無関心であり、無警戒ですらあった。付け加えて言うなら、その日がバレンタインである事も知らずに、のこのこと学校に登校したのである。
何も知らない史郎を待ち構えていたのは、手に手にチョコを持った女の子の集団だった。正面玄関から溢れんばかりの女の子達に思わず立ちすくむ史郎少年。全くの無防備であった彼と違い、この日の為にありとあらゆる策を練ってきた少女達の熱量は高く。史郎にとって絶望的な戦いが始まった。
目の前に立ちふさがる女子の群れに史郎少年は大いにうろたえ、防戦一方で逃げ回る。史郎が規則正しく毎朝同じ時間に登校する事は周知の事実であり、彼の長所でもあったが、今回ばかりは完全に裏目に出た。
教室に辿り着く迄にいったい何人の女生徒に呼び止められただろう? 大多数は列をなしたが、待ち伏せや、露骨な泣き落とし、ありとあらゆる手段で、女生徒達は史郎を翻弄した。
教室に着く頃にはクタクタになっていた史郎だが、本当の悲劇はここからだった。
なんと、彼はチョコを渡そうとする女の子全員を振ったのである。ゆえに彼の荷物は一切増えなかったが、昼休みに差し掛かる頃には、学校中が史郎への反感で溢れかえっていた。
たった半日の間に戦犯扱いである。
正確な数こそ分らないが、史郎が振った女の子の数は二桁はゆうに超えていて、その親しい友達はもちろん、中には彼氏がいるのに史郎に告白してきた不心得者もいたが、理不尽にもその彼氏までもが、史郎に恨みを向けてきた。
もちろん史郎にも言い分はある。好きでも無いのにチョコを受け取る訳にはいかないと言うのは、その最たるものだが、この場合、圧倒的に足りないのは経験値であった。
とりあえずチョコだけでも受け取っておけばいいし、今は誰ともつき合わないとの定番の言い訳もあっただろう。しかし史郎は、バカ正直にも女の子全員と向き合い、はっきりと断ったのである。
彼としては誠実に対応したつもりだろうが、思春期の少女達にそんな余裕などある訳が無い。もてない男達のやっかみも加わって、気がつけば学校中敵だらけであった。
訳の分からない内に女生徒の敵になってしまった史郎少年。当然、彼は頭を抱えた。そもそも自分が女の子にモテるとすら思っていなかったのだから、頭の中はクエスチョンの嵐である。
女の子達にして見れば、真面目で成績優秀スポーツ万能、しかも手付かずの優良物件である。知らなかったのは本人だけで、ずいぶん前から女の子の間では、熾烈な争いが始まっていたのだ。せめて特定の誰かを選ばずとも、幾つかのチョコを受け取っていれば、そこまでの反感は買わなかっただろうがもはや後の祭りである。
つまるところ、史郎は男女間についても不器用だったのだ。
この日を境に、史郎にとってのトラウマの日々が始まった。
露骨なイジメこそ無かったが、人に避けられ、陰口をたたかれる毎日は、十分過ぎるほど彼の心に傷を付け、その後の生き方に影響を与えるものとなった。
明るくなりかけていた性格は、元の内向的なものに逆戻りし、前髪を極端に伸ばして顔を隠すと、視力も悪くないのに、伊達メガネをかけた。
生真面目な性格のため、勉学へのやる気は失っていなかったが、必要以上に目立つ事だけは避けた。
人の役に立ちたいし必要とされたい、でも反感を買うほど目立ちたくもない。この奇妙な二律背反は、そのまま彼のスタンスとして定着し、今に至っている。
今の高校を選ぶに当たって彼が希望した条件はたった一つ。たとえ寮やアパートで一人暮らしをしようとも、家から遠く離れた知り合いのいない高校である事。
森崎家の親子仲は良好で、史郎の両親はそんな息子をいたく心配したが、彼の決心は固かった。長い家族会議の後、最終的にその希望は叶えられ、入学したその学校では一つの出会いが彼を待っていた。
氷姫こと吉瀬真白、史郎が今まで見た誰よりも綺麗で可愛らしく、自分と同じように不器用な女の子と。
次回はヒロイン吉瀬真白のターンです。




