妻たち
相変わらず毎日毎日事件続きで忙しい。ここしばらく休日はないし、家に帰るのは遅く、朝出てくるのは早い。火事で髪が焦げて短く切らざるを得なくなったのは怪我の功名だった。髪を乾かす時間が短くなって楽だから。ロナルド様に「少年のよう…というより幼児みたいだぞ」とからかわれ、シュミール様に「あの美しいピンクのロングヘアが焦げちゃうだなんて」とことあるごとに涙目になられるのが少し鬱陶しいだけだ。
さっき見てきた現場は事件ではなく事故だったので、まだ痛む右手でペンを握りながら報告書作成を流れ作業でやっつけていると、黒髪に黒い目、ふくよかな体つきでやや派手な身なりの御婦人が早足でやってきた。かなり怒っているご様子だ。
「ネイトはいるかしら」
「班長…男爵でしたら今は会議中でして」
「すぐ呼び出してちょうだい」
「でも大事な会…」
「こちらのほうが大事ですわ。私が来ていると伝えてくださるかしら」
「”私”と言われましても、あなたはどなた?」と固まっていると、リロイが私の肩を叩いて「僕が」と交代してくれる。リロイが薄く笑いながらさらさらとメモを書いて会議室のドアの隙間から差し込むと、バターン!とドアが開いて、班長が慌てた様子で出てきた。いつも冷静沈着な班長のこんな姿は見たことがない。この女性は一体誰なのだろう。
「ベル!」
「ネイト!いったいどういうつもりですの!?もう三週間も家に帰っていないことよ」
「ああ、本当にすまない、事件が続いて忙しくて…」
「それにしたって、泊まり込む必要がありますの!?ここ宛に手紙も送ったのに、返事もくださらないで」
彼女…ベル様は班長の奥様だった。なかなか帰ってこない夫に業を煮やして押しかけたらしい。ロナルド様もシュミール様もリロイも、笑いを堪えながら二人を眺めている。さっきのリロイの手慣れた様子といい、どうやらここでこの光景が繰り広げられるのは初めてではなさそうだ。
「事件は一区切りついたんですの?そう、では、今から一緒に家に帰りましょう。子どもたちもお父様に会いたいと申してますわよ」
「いや、いやいやいやいや、今は大切な会議をしていて…」
「十五分で終わらせてくださる?ここで待っておりますから。一分でも遅れたら、今度こそ離婚よ」
「離婚は…頼むから…努力する」
「努力だけでは足りません。きちんと時間内に終わらせてくださいませ」
班長はきっかり十五分で会議を終わらせ、奥様と一緒に早退した。重度の恐妻家だったとは驚きだ。リロイが笑いながら「驚いたでしょ?」と聞く。私はコクコク首を縦に振る。
「事件が立て込んでくると、たまにああやってお見えになるよ」
「そうだったの。あの班長が奥様の尻に敷かれてるなんて驚き」
奥様が大きくて重そうなお尻でドーンと班長の背中に乗っている図を想像して、ニヤニヤしてしまう。と、ふと気になる。ロナルド様とシュミール様の奥様はどんな方なのだろう。聞いてみると、シュミール様は「僕は独身だよ。結婚する気ないから」という。それはそれで、なんだかシュミール様らしい。ロナルド様は「うちの奥方は、家に帰らなくても怒ったり押しかけて来たりは絶対にしない」という答え。
「へえ…おおらかな方なんですね」
「違う。夫婦関係が冷え切ってるんだ」
聞いたこっちが悪いのだが、急にそんな話をされて、どうしろと。仲良しの両親の元で育ってきた独身の私には、何のアドバイスもできない。
「難しいものだ、夫婦って。結婚当初は何の問題もなかったんだが、俺が仕事を優先しすぎるんだと。俺なりにカレンドラを愛しているんだがな」
「愛しているだけじゃだめなんですね」
「みたいだな」
「行動で示さないと。今日は花束でも買って帰ったらいかがですか」
そんな話をしていると、「ねえ、班長帰っちゃったし、僕らもみんなで早退しない?」とシュミール様。「乗った!」と三人とも返事をしたところへ、ひとりの男性がやってきた。「旦那様」とロナルド様に声をかける。
「クリス?どうした、こんなところまで来て」
「奥様が…」
クリスはロナルド様の屋敷の執事だった。奥様のカレンドラ様が昨日から屋敷に帰っていないと言うのだ。何も言わず外泊することなど初めてで、心配になって報告に来たという。ロナルド様はここ数日詰所に泊まり込んでいたから、奥様の不在にまったく気づいていなかったらしい。
「ロナルド様、手分けして探しましょう」とシュミール様。
「カレンドラのことだ、ふらっと戻ってくるさ。まあ俺は少し探してみるが。みんなはせっかく早退できるチャンスなんだから」
「調べてみて何もなければそれで構いません。でももし誘拐事件だったら、初動が遅れるのは文字通り命取りです。わかっておられるでしょう」
そう言われてロナルド様は「”お騒がせしてすみませんでした”と謝るのが目に見えているのに」と言いながら、仕方なさそうに頷く。シュミール様が情報屋に連絡をとっている間に、ロナルド様、リロイ、私が手分けしてカレンドラ様が行きそうなお店や友人宅をしらみつぶしに探す。けれど彼女は見つからない。さすがのロナルド様も顔色が変わってきた。
詰所に戻るとシュミール様がメモを片手に「カレンドラ様はグランドホテルにいらっしゃるかも」という。ちょうど三日前から、普段は遠くの領地で生活しているカレンドラ様の弟が王都に出てきていて、なぜかロナルド様の屋敷には泊らずにホテルに滞在しているそうだ。ホテル従業員も、カレンドラ様に似た女性を見たらしい。
「良かった。弟さんに会っているだけなら心配なさそうですね」
「念のため行ってみる。カレンドラの弟のケインはなんていうか…少し変わってるから」
「じゃあ私も同行します」
フロントで部屋番号を聞いてドアの前に立つ。ドアに耳をつけたロナルド様は、顔色を変えてそのままドアを蹴破った。
部屋の中には、椅子に括り付けられ猿轡をされて泣いている女性と、痩せて暗い顔をした男。男はロナルド様を見ると、女性の首に短刀をつきつけた。
「ケイン、短刀を下ろせ。カレンドラから離れろ」
「嫌だね。義兄上こそ剣を捨ててよ」
「これは何の真似だ。何してるんだ。カレンドラ、怪我は無いか」
カレンドラ様は泣きながらコクコク頷き、「僕が悪いんじゃない。姉様が悪いんだよ」とケインは悲しそうな顔をする。「僕だけの姉様だと思っていたのに、義兄上と結婚してしまうんだもの。領地にも全然帰ってきてくれないし」とカレンドラ様に向かって訴える。カレンドラ様は横目で弟を見やりながら、まだ泣いている。
「"義兄上が仕事優先で寂しい"と手紙が来たから、会いに来たのに。薄情な義兄上なんか捨てて、僕と領地に帰ろうと言ったのに。姉様は"そんなことできない、夫を愛している"って」
ケインは短刀を強くカレンドラ様の首に押し付ける。首の皮膚が少し切れて、血が一筋垂れる。
「どうしてなの、姉様!?僕の方が義兄上よりも強く深く姉様のことを愛してる。義兄上は姉様を独りぼっちにしてるじゃない。僕なら絶対そんなことしない。朝も昼も夜もずっとそばにいるって約束するよ」
足が震える。ケインは実の姉を、女性として愛しているのだ。しかもその愛は歪んでいる。
「もう終わりだね」
そう言ってケインは短刀を横に引いた。
「カレンドラ!」
「カレンドラ様!」
カレンドラ様の首から血が吹き出し、ロナルド様が止血しようと駆け寄る。私は、ロナルド様に向かって短刀を振り下ろそうとしているケインにタックルして取り押さえた。ケインの背中に馬乗りになり、後ろ手に縛りあげて動きを封じる。
「ロナルド様、カレンドラ様はっ!?」
「傷は深くなさそうだ。頸動脈は切れてない」
「よかった。もっとタオルを」
「ありがとう」
カレンドラ様は一週間ほど入院して、屋敷に戻った。ロナルド様は休みをとって、カレンドラ様の看病に専念している。ロナルド様は「夫婦仲が冷え切っている」とおっしゃっていたけれど、ケインによればカレンドラ様はロナルド様をまだ愛している。今回の事件は大変なことだったけれど、お二人がまた夫婦としてやり直すきっかけになるかもしれない。




