命の選択
カフェから出たところで臭いに気づく。火事だ。見回すと、東の方角で煙が上がっているのが見える。
「大変!行かないと」
「メグ、俺も」
「怪我人はお呼びじゃない!」
一緒に行こうとするレオを置いて、私は走り出す。スカートだと走りにくくて仕方がないが、とにかく急ぐ。現場に着くと、周辺の住民が集まって上を指さしている。四階の窓から子どもの顔。消防隊はまだ着ていない。四階を見上げている男性に聞く。
「おじさん、はしごは?」
「取りに行ってるが、まだ時間がかかりそうだ。それにあんな高いところまでかかるかどうか」
はしごが届けられるのを待っていたら間に合わないかもしれない。目の前で子どもが煙に巻かれるのをただ見てるなんてできない。住民が汲んできた水が入ったバケツと、誰かが持ってきたらしいロープはある。私は男性に背中を向ける。
「おじさん!私の背中の紐をほどいて!」
「え、お嬢さん何を言って…」
「中に入るのにドレスが邪魔なの!早くほどいて!」
私の剣幕に拒否もできずに、男性は言われるがままに紐を緩める。ドレスを脱いで肌着姿になって水を被り、ロープにも水をかけて私は中に入った。口を抑え、姿勢を低くしながら急いで階段を駆け上って四階へ。確かこの部屋。
「助けに来たよ」
窓際にいる子どもに声をかけて、大きなダイニングテーブルを窓際までもっていって脚にロープを結ぶ。茶色の巻毛の男の子の顔はススで汚れているけれど、大きな火傷はなさそうだ。良かった。
「名前は?」
「ウィル」
「よーしウィル。しっかり私に掴まってて。ロープで一緒に下に降りるからね」
「だめ」
「大丈夫、私が一緒だから怖くないよ」
「だめ、行けない。妹も一緒じゃないと。ブリーダを助けて、お姉ちゃん」
嘘でしょ!?部屋を見回しても女の子の姿はない。
「ブリーダはどこ?」
「あの部屋」
この部屋から続く扉の向こう。
「ここにいて」
扉を開けるとベビーベッドで赤ちゃんが泣いている。よかった、生きてる。急いで抱きかかえて窓のそばまで戻る。一人ずつ降ろしていたら時間がないから、二人同時に降ろすしかない。ふくらはぎのナイフで肌着の裾を切り裂き、赤ちゃんを自分の身体に縛り付ける。左手でウィルを抱え、右手一本でロープを掴む。どうか持ちこたえて、私の右腕とロープ。
気は急くけれど、足を滑らせたりしないように慎重に壁を伝う。赤ちゃんが泣いてお腹の上で暴れる。動かないで、振動が辛い。右の手のひらが焼けるように痛くて、もたないかもしれないと思い始めた時、「左の子どもを下ろせ!」という聞きなれた声がする。レオだ。下を見ると毛布を抱えたレオが腕を伸ばしている。「受け止めるから離せ!」とまた叫ぶ。
「ウィル、聞いて。三で手を離すよ。下のお兄ちゃんが受け止めてくれるから怖くない」
不安気なウィル。
「彼は強い軍人さんだから大丈夫だからね。君もブリーダも助けるためには、こうするしかないの。いい?」
頷いたウィルの額に「強い子」と言いながらキスをして、レオを見ながら手を離す。
「一、二、三!」
ウィルはレオが広げた毛布の上におさまった。よかった。これで両手が使える。この状態で赤ちゃんだけなら問題なく降ろせる。
安心して「さあ」と思った時、「ロープが切れるぞ!」と誰かの声が聞こえて私は上を見る。炎でロープが焼けて切れかかっているのだ。まだ二階。最悪、背中から着地して赤ちゃんを守れば、彼女は怪我せずに済むかもと思った時、ロープが切れた。
赤ちゃんを抱きしめて目を閉じながら落ちた先は、ふわりとした毛布の上だった。「間に合ってよかった」とレオが私の顔を覗き込む。「この軍人さんに指示されて、みんな家から毛布を持って走ってきたんだよ」と背中の紐をほどいてくれたおじさんが嬉しそうな顔でいう。
「お嬢さんのおかげで子どもが二人とも助かってよかったよ、ありがとう」
「英雄だな」
「まさに命の恩人」
「お嬢さん、何者だい?勇気があるね」
みんなは私をそうやって褒めてくれるけれど、本当は違う。私の腕力では一階まで到底もたなかった。レオがいなければ、三人とも落ちて死ぬか大怪我をしていた。たぶん、二人とも助けようとしたのは間違いだった。どんなに難しい選択でも、確実に命を救うならブリーダかウィルのどちらかを選ぶべきだったのだ。今回はたまたまうまくいっただけ。
「レオのおかげで助かったよ、ありがとう」
「無茶するな」
私を抱えて起こして、少し顔を赤くしながら、「目のやり場に困るから、とりあえず着とけ」とレオは軍服を脱いでかけてくれる。もともと肌着姿の上、ブリーダをくくりつけるために裾を切ってさらにスカート部分が短くなっている。感覚としてはほぼ裸みたいなものだ。恥ずかしくなると同時に、彼の体温に包まれて、温かくて安心して嬉しい。彼の匂いがする軍服に思わず顔を埋める。
レオと目が合うと、彼は少し厳しい顔になった。
「ひとつ言っとく」
「なに」
「どちらも救いたいという気持ちはわかるが、いつもうまくいくとは限らない。どちらかだけを選ばないといけないこともある」
きっと、レオがこれまで戦場でそうやってきたように。
「よくわかってる。私も今同じこと考えてた」
「そうか」
「今回はレオがいてくれて運が良かったんだって…私一人だったら三人とも死んでたんだってわかってる。本当にありがとう」
「メグは素晴らしい勇気の持ち主だ。だけど見ているこっちの心臓が持たない」とレオは私の頭を抱いた。彼の顎が私の頭に乗って、身体が密着してドキドキする。レオが私の髪に鼻をつけて息を吸う。え、これって…
「髪が焦げ臭い」
それかあ…
ドキドキが消えて、ロープで擦り切れた右手の痛みが増していく。
「だね。切らなきゃ」
「それならお嬢さん、うちの店へ!」と集まっていた人達の中から声がした。私は理髪師に案内された店で髪の毛をボブくらいに短く切ってもらって帰り、その髪を見たお母様とリリナは悲鳴をあげた。




