アズマ
アヤメ殿下がアズマ王国初の女王として即位することになった。今日、レオと私は国王陛下夫妻の代わりとして、その代替わりの儀式に出席している。
アズマ王国ではいわゆる「戴冠式」は行われない。代替わりの儀式も、堅苦しいものではなくて無礼講に近い。木造平屋の宮殿から続くだだっ広い庭に、自国他国の王族、貴族、富裕な平民が席次も何もなく集められ、舞や劇を見たり音楽を聴いたりしながらひたすら酒を酌み交わすのだ。
「噂には聞いていたけれど、王宮での催しがこんなに無秩序だなんて。式次第すらないの?」
「アズマ流だ。近衛泣かせだな」
確かにそうだ。人が多すくて入り乱れている。門も多いし壁は低い。私が警備や警護の担当だったら愚痴が止まらないはずだ。班長も「できることなら出席しないでいただきたいくらいです」とこぼしていた。
「武器は装着してるか」
「一応ね。使わないことを祈るけれど」
「俺もだ」
「おや、愛しの妃殿下」と声がしてサヘルのナウアート前国王陛下が近づいてきた。私の手を取って甲にキスをする。その様子をレオが苦々しげに見ている。
「またお会いできて光栄ですわ。サウード陛下とネリネ様はどちらに?」
「向こうにいるよ」
見ると、ネリネレッドで仕立てたドレスを着たネリネ様が、サウード殿下の隣でにこやかに誰かと話している。ネリネレッド、着てくださっているんだ。嬉しい。
「ネリネも美しいが、妃殿下も美しい。それが名高いマーガレットグリーンかな?」
「ええ、さようでございます。そしてここがカロライナパープル、ここがクレオメピンク、ここがクイーンイエローで…」
今日はマーガレットグリーンをベースに、カロライナパープル、クレオメピンク、クイーンイエローを部分使いしているドレスだ。トップセールスのために入れられるだけ色を入れ、今日は何度も営業トークを繰り返してきたのだ。
「もっと近くで見せて」とナウアート陛下がドレスのスカート部分をつまみ上げたところで、レオが「そこまでです」と制した。ニヤリとする陛下とイライラしているレオ。レオもこんなわかりやすい挑発にのることないのに。私が溜息をつきそうになったところで、鐘の音がした。アヤメ殿下…いや陛下の代替わりの舞が始まるのだ。
招待客の視線が舞台に集まり、奈落から女王陛下がせりあがってきた。アヤメブラックで仕立てた男物の衣装に、老人の面。手には扇子、頭には帽子を被っている。
扇子を持った手を前に出し、アヤメ陛下が歌うとも話すともなく声を出す。五穀豊穣と子孫繁栄、そして天下太平を願う祝詞らしいが、アズマの古い言葉なので何を言っているかは全くわからない。太くて男性的な声は、アヤメ陛下の普段の女性らしい声とは全然違う。顔が見えないこともあって、本当に陛下本人なのか疑ってしまうほどだ。
太鼓と笛の音がして、女王陛下は舞い始める。舞といってもごくごくゆっくりした動き。ロミテイの舞踏会で踊られるようなダンスとは全然違う。
舞は極めてゆっくりしているのに、退屈するどころか目を離すことができない。優雅で、それでいて緊張感に溢れている。もっと近くで見たい。私は思わず舞台に吸い寄せられるように歩き出す。しばらくいったところで、後ろから腰と胸を抱きとめられた。
「レオ…」
「見惚れるのはわかるが、離れるな」
「ごめん。この舞、すごいね。神秘的」
「ああ。でも本当にすごいのは後半、面を外してからだ」
アヤメ陛下が面を外すと、場が盛り上がる。疑っていたけど、本物の陛下だった。盛り上がった雰囲気に呼応するように、陛下の動きが激しくなる。足を踏み鳴らし、飛び跳ねる。袖を翻す動きも美しい。命を持たない袖までも、陛下の意思の通りに動いているように見える。
汗だくの陛下が舞台の床に手をついて奈落に戻っていき、しばらくの静寂ののちに、会場は拍手喝采に包まれた。感動のあまり泣き出したり、「舞を見て脚が痛いのが治った」と言い出す人までいる。そんな奇跡があってもおかしくないと思えるほどすごかった。
そんな舞の余韻に浸りながらレオのそばで各国の王族貴族たちと語らっていると、舞を終えた陛下が戻ってきた。見る限り、すでにかなり酔っている。
「アヤメ、飲みすぎだぞ」とレオに注意されても、陛下は座った目でレオを睨みつけて「ヴァレオ、私が今日のあの舞のためにどれほど節制していたか知らないでしょ。ようやく解放されたんだから今日は思う存分飲みたいのよ。黙ってなさい」と言い返す。
「女王陛下、素晴らしい舞でございました。感激いたしました」
「あらそう?良かったわ。ね、衣装も良かったでしょ。いただいたアヤメブラックで仕立てたの。軽くて踊りやすかったわ」
「それはようございました」
「あら妃殿下」と陛下は私が持っているグラスに目をやる。
「それジュース?アズマに来たなら酒を飲まなきゃ。みんな代替わりにかこつけてアズマの酒が飲みたくてここへ来てるのよ。給仕、こちらに大吟醸を!」
「いえ、陛下、私はお酒は苦手で…」
大吟醸なるお酒が運ばれてきて、私はくんくん匂いを嗅ぐ。匂いだけで酔ってしまいそうだ。両親譲りの下戸には辛い。躊躇っている私を見て焦れた陛下は、レオが止めるのも聞かずに「少しだけでいいから舐めてみて」と、自分の指をお酒に浸して私の口の前に差し出す。
陛下の指を舐めろってこと?いや、いくらなんでも…
「ほれ」と言われて観念した私は、おずおずと陛下の人差し指を舐める。舌がピリピリする。やっぱり無理だと目をつぶった私に、アヤメ殿下が笑い出す。
「んふふ。可愛いわね。ヴァレオが夢中になるのもわかるけど、妬ける」
「え?」
「私は本気の本気でヴァレオが好きだったの。留学していた時からずっとね。第二王子のままだったら私の王配になってくれるかもと思っていたのに、王太子になって平民と結婚すると聞いて地団駄踏んだわ」
「アヤメ、その話は」と割り込もうとするレオを制して、アヤメ陛下は「女同士の話なの。あっちで二人で話しましょ。妃殿下も話したいでしょ」と私を会場から少し離れた東屋に誘い、人払いをした。そう、聞きたい。腹を割って話さなければいけない相手だ。私だって、妖艶で有能な陛下の影にいつまでも怯えていたくはない。諦めてくれるように言わなければ。
「本当に嫉妬しちゃう。でももう諦める決心がついたの」と、私が「諦めてくれ」と言う前に陛下はあっさりと話し出す。
「何かきっかけがあったのですか」
「条約よ」
なぜ不戦条約が長年の想いを諦めるきっかけになるのか、私にはわからない。
「不戦条約なんて夢みたいなこと、なんで言い出したのかってヴァレオに聞いたのよ。そしたら、あなたのおかげだって」
「私?私は条約に関しては何も…」
話が具体化してくるまで、条約締結に向けて動いていることすら知らなかったくらいなのだ。そう言うと陛下は首を振って「あなたがね」と話し始めた。
「少しずつでもいいから国や世界を変えたいって地道に取り組んでるのを見て刺激されたんですって。誰もがもう当たり前だ、仕方ないって、気にも留めなかったり諦めたりしているようなことに正面から向き合っている姿を見たら、自分も何かやらずにはいられないって」
「知りませんでした」
「そういう大事なこと、照れちゃって言わないのよ。ヴァレオは」
私から目を逸らして、「私は決してあなたのような存在にはなれないってわかったの」と陛下は寂しそうに前を向いた。視線の先にはレオがいる。
「それにね、レオが条約締結を言い出したのはもうひとつ理由があると思うの。これは推測だけど」
「なんでございましょう」
「いつか生まれる子どものため。ヴァレオとあなたのね」
「子どもを戦火に巻き込まないため…?」
「というよりも、子どもに自分と同じ思いをさせないため」
「自分と同じ思い…」
「兵士を戦場に送る者だけが知る思いよ。今度ヴァレオに聞いてみて」
陛下はふうっと空を見上げた。
「失恋ね。わかってたけど、これで本当に。妃殿下に伝えてすっきりしたわ」
「あの…ありがとうございます、陛下」
「なんだか変な返事ね」
「そう…ですわね」
「飲むわ!」と陛下が立ち上がり、「給仕!にごり!」と叫ぶ。
「私もお付き合いいたします」
「あら、大丈夫なの?」
「挑戦します」
「ふふ、どうなっても知らないわよ」
「覚悟の上です」
「気に入った。とことん付き合いなさい」
一人の給仕が盆に酒をのせてやってくる。「どうぞ」と恭しく盆を差し出し、私たちが盃を手に取ると礼をする。その腰に何かが光った。剣だ。
給仕が剣?おかしい…
そう思った瞬間、彼は腰の剣を抜いた。
「陛下、危ない!」
私は陛下の頭と腰を抱えて横に飛ぶ。警棒を抜いて、振り向きざまに給仕の脚を強く打つ。相手が崩れ落ちて手をついたところ、剣を蹴り飛ばして短刀を喉元に突きつける。遠くから、レオや班長が走ってくるのが見える。
「おとなしくしろ。変な動きをしたら頸動脈を掻き切ってやる。私は迷わない」
アヤメ陛下はお尻をさすりながら立ち上がり、「妃殿下の言う通りになさい。この方はそこらの王太子妃とは違うのよ」と給仕に告げる。
「メグ、伏せろ!」
レオの声が飛んで、私は地面に伏せる。私の上で、剣が空を切る。後ろにもう一人いたのだ。茂みに隠れていたのだろう。
空振りした男とさっきまで私に脅されていた男は、二人して体勢を立て直して、私に剣を振り下ろそうとする。思わず目をつぶったとき、剣が身体を斬る音がした。
目を開けると、一人をレオ、もう一人を班長が斬り伏せていた。レオが実際に剣を振るうところは初めて見たかもしれない。血しぶきを浴びてる姿もかっこいいと思うのはおかしいだろうか。
「メグ、怪我は?」
「無傷」
「よかった」
「私のことは抱きしめてくれないの?」と笑う女王陛下に、レオは「黙ってろ。そういうことを言うからメグが不安がる」と一言くれて私にキスをした。
「レオ、私もう大丈夫。不安がったりしない」
「あら、じゃあ、もっと言っていい?」
「それはやめてください、陛下」
犯人は、女性が王になることに反対している一味だろうと陛下は言う。そんな時代錯誤な人がまだいるなんて。
「残念ながら。でも今、妃殿下のおかげで二人減った」
「そうですね」
けれど、ほんの少し減っただけ。捕らえるべき悪人も、改めるべき悪習や考え方も、きりがない。私はこれからも続く長い道のりを思って溜息をつく。
「でもそんな長い道を諦めずに進んでいけるのが、あなた」
アヤメ陛下は私の目を見つめて頷いてくれる。
「ええ、陛下」




