カロライナの一歩
かねてから希望していた立法に関する講義を受け、講師を務めてくれた大法官と廊下を歩く。工場の件で少し自信がついた私は、今までやったことがなかった分野にも挑戦してみる気になったのだ。興味があるといって一緒に講義を受けたカロライナ様もそばにいる。
「とても有意義でしたわ」
「妃殿下ほど熱心な生徒は初めてです。ご質問も鋭くて。これほど熱心ということは、実際に提出されたい法案がおありになるのですか?」
「ええ、そうなんです。差別的言動を取り締まれるような法律を作りたくて」
「ほう…」
「差別がいけないというのは、初等科の授業でも習うこと。それを法律で規定するなんて違和感がないではないのですが…実際に傷つけられている人が後を絶たない以上は、法律を整備すべきと思いましたの」
「メグお義姉様らしい」とカロライナ様が小さく声に出したとき、廊下の向こうに見覚えある顔が目に入った。以前は毎日のように顔を合わせていた、けれど、今ここにいるはずではない男。
「クレイトン!」
「これはこれは妃殿下、ご機嫌麗しく」
「なぜあなたがここにいるのかしら?」
「今は財務大臣閣下の護衛を務めております。閣下のお供で参りました」
同性愛の隊員に不当に低い評価を与えて退職に追い込んでいた、前近衛隊長クレイトン。また王宮で顔を見ることになるとは。こいつのような差別的な輩を取り締まるために、今日の講義を受けていたのだ。私は全力で彼を睨みつける。
クレイトンは私の後ろに控えているベロニカに目をやり、「まだいるのか」と小さく言ってから、財務大臣のあとについて廊下を歩いて行った。
「ベロニカ、大丈夫?」
「はい、妃殿下」
「クレイトンに何か言われたら、私に報告しなさい。必ずよ」
「ええ」
しばらくして、ベロニカが涙をこらえて私の部屋にやってきた。悪い予感がする。
「クレイトンに何か言われたの?」
「ええ」
そう言ったきり涙が止まらないベロニカの背中をさすり、落ち着かせる。
「私は役立たずで生きている価値がない、と」
「見当違いにもほどがあるわ。あなたは立派に務めを果たしているじゃないの。私はあなたに全幅の信頼をおいているし、ネイト隊長も働きを評価してくれているでしょう?」
「仕事のことではないのです」
「女性を愛するがゆえに自らの子どもをもうける見込みがないベロニカは、子孫繁栄国力増強に貢献できない役立たず。生きている価値がない」と、他の近衛騎士の前で言い捨てられたというのだ。ベロニカの恋愛対象が女性だと知らない隊員の前で。クレイトンのくそったれ。澄ました顔で王宮に舞い戻ったと思ったら、前よりひどい。
私はクレイトンと彼の雇い主である財務大臣を呼び出して詰問する。
「クレイトン、ベロニカに心から謝罪して発言を撤回なさい。財務大臣は即刻クレイトンを解雇するように」
けれど、クレイトンも財務大臣も反省する気配はない。
「妃殿下、クレイトンは優秀な護衛です。解雇する気はございません」
「なんですって!?」
「近衛隊長の職を解かれたのは、近衛隊の内規に触れたから仕方がありません。しかし差別的言動を取り締まる法律はございませんので、私が彼を解雇する必要はありません。クレイトンは自分の考えを正直に述べたまでですので」
「彼女の気持ちも考えずに、周りの人間に彼女のデリケートな情報を暴露したのよ!?」
「法には触れておりませんので。そんなこともご存じないのですか?さすが平民出身の妃殿下は、知識の浅さが違う」と財務大臣は笑う。私はギリギリと歯噛みするが、全て財務大臣の言う通り。「作りたい」と私が思っているだけで、彼の発言を罰する法律はまだないのだ。
「妃殿下、お話はそれだけですか?他にないなら失礼いたします」と二人が部屋を辞そうとしたとき、カロライナ様が入ってきた。二人は「これはカロライナ殿」と、私に対するおざなりな礼とは全く違う、丁寧で恭しい礼をする。私に見せつけるように。
「二人とも、私にも同じことをいう勇気がありまして?」
二人には質問の意味がわかっていないようだ。私は察して息を呑む。カロライナ様、今ここで言うつもりなの?
私の視線に少しだけ微笑んで応えたカロライナ様は、「私の恋愛対象は女性よ。少なくとも今はね。このまま性的指向が変わらなければ、そしてそれを無理やり捻じ曲げて男性と結婚するようなことがなければ、私は子どもを成す見込みがない」と二人に告げた。
財務大臣とクレイトンは口をあんぐり開けて、言葉を発することができない。カロライナ様はその二人を静かに追い詰める。
「私がこれまで公務に励んできたことは二人も近くで見て承知のはず。ヴァレオお兄様の従軍中は、リヒトールお兄様に代わり、王太子がこなすべき公務すら務めてきたのだから」
「おっしゃる通りでございます」
「それでも、私はロミテイに貢献できない役立たずで生きる価値がない人間なの?」
「いいえ…いいえ、殿下、誠に申し訳ございませんでした」
財務大臣とクレイトンは床に伏して詫びる。そこへ、「私も一言いいかな」とリヒトール様も入ってきた。
「私とクレオメは愛し合っているが、子どもには恵まれない。私の病気のせいでね」とリヒトール様。私の目を見て、小さく頷く。お二人がそのことでどれだけ辛い思いをしてきたか、幽霊騒動に首を突っ込んでしまった私もよく知っている。
「クレイトンの論理に照らすと、私たち夫婦も子孫を残せない役立たずということだね。生きる価値のない人間だ」
普段は声を張り上げることなどないリヒトール様だが、今は違う。怒りのこもった声を二人にぶつけている。
「そう言われて、どれほど傷つくか。私たちの辛さも知らないで、傷をえぐっているんだよ」
クレイトンは「そんなつもりは」とガタガタ震えだした。もともとクレイトンは、生母の身分が高いリヒトール様には特別思い入れがあったのだ。王太子の交代にも、最後まで反対していたと聞いた。忠実に仕えてきたつもりのリヒトール様にこんなことを言われるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「自分より立場の弱い者だけではなく、目上の者にも堂々とぶつけられる意見かどうかを考えてから発言するべきだね、クレイトン」
「はい…」
「財務大臣には、命令ではなく忠告として言おう。クレイトンを解雇すべきだよ。そして君も態度を改めるか、辞任するかだ」
「クレイトンを解雇いたします。私の進退につきましては、何卒ご猶予をいただきたく」と財務大臣が消え入りそうな声で告げ、二人は小さくなりながら部屋を辞した。
二人の背中を見送ってから、私はカロライナ様とリヒトール様に代わる代わるハグをする。
「なんと勇敢なお二人…心から尊敬いたします」
「勇気が出たのはお義姉様のおかげですわ。お義姉様が法律を整備しようと頑張っておられるのを見て、私も何か行動しなければと思いましたの」
「君が私たちの苦しみや悲しみに寄り添ってくれたから、心の声を表に出す勇気が持てた」
「ありがとう」とお二人に手を握られて、「私こそ」と返すのが精いっぱいだ。
「お義姉様、法律の件は私も手伝いますわ」
「メグ、私も手伝おう」
「本当にありがとうございます。心強いです」
「一緒に頑張りましょう」




