アヤメ
「ん?あれはアヤメ殿下?」
レオの執務室から廊下を眺めていると、アズマ王国伝統の民族衣装、オヒキズリに身を包んだ妖艶な女性が歩いていくのが目に入った。ゆらりと垂れ下がる長い袖、床にする裾、腰に帯、手には扇子。その全てに花や鳥が染め抜かれたり刺繍されたりしていて華美だ。青紫の髪は凝った形に結われ、大きな花が飾られている。
「アヤメ?本当か?」
レオも窓際に来て下を見る。
「確かにアヤメだ」
そのときアヤメ殿下がこちらに気づき、レオに向けて投げキッスをした。レオは目を逸らして窓から離れる。
「お見えになる予定なんてあった?」
「ないはずだ。あいつはいつも突然だから」
「陛下のところへいらっしゃるのかしら」
「ああ。ここには来ないといいが」
「なんで?中等科では仲のいいクラスメイトだったんでしょう?」
ロミテイ王国の東隣にあるアズマ王国の第一王女であり、将来の女王であるアヤメ殿下。中等科時代にはロミテイに留学しており、レオとクラスメイトだったことは、結婚式でお会いした時にたっぷりとお伺いした。
「だからだよ。あいつは遠慮がなさすぎる。無駄話も多い」
「レオのような立場の人にとって、遠慮なく本音で話せる相手は貴重だよ」
「メグがいる」とレオが私の頰に手を伸ばしてキスをする。
「国外にも必要だよ。しかも彼女は将来の女王で立場も同じだから、悩みも共有できるでしょ」
「まあそうだが…アヤメでなくてもいい」
口ではそう言っているが、レオは「アヤメ」と親しく呼び捨てにしているし、彼女の政治手腕も評価しているようだ。
しばらくして「アズマ王国第一王女アヤメ殿下がお見えになりました」と声がして、レオはため息をつきながら「お通ししろ」と返事をする。と同時に、アヤメ殿下ご自身が扉をドーンと押し開けて入ってくる。この部屋の扉は結構重いはずなのだが、殿下は見かけによらず力があるらしい。
「ヴァレオ!久しいわね!」
「私の結婚式にご臨席賜りましたときにお会いいたしました、アヤメ殿下」
「あら、他人行儀ね。それにあなたの結婚式ってもう随分前じゃない?」
レオは殿下に座るようすすめ、殿下はストンと腰を落として扇子をひらひらと揺らめかせる。無造作な振る舞いのようでいて、どことなく上品だ。そしてこの国では嗅いだことがない香水の匂いがして、艶っぽい。女の私でもドキドキしてしまうくらいの色気が、左右合わせの胸元から立ち上ってくる。各国の王族、貴族、富豪など、数々の男を手玉にとってきたと噂されるだけある。
「アヤメ殿下。この度の突然のご訪問は、どのようなご用件でしょうか。あの懸案事項についてでしたら、先日お手紙を出したばかりですが」
「ヴァレオを寝取りにきたのよ」
「殿下…またきわどいご冗談を」
「あら、私は本気よ。離婚して私の王配になるのはどう?」
レオの妃である私が同じ部屋にいるのに、アヤメ殿下の言葉には何の躊躇いもない。レオに流し目を送って反応を確かめている。レオはほんの少し眉をひそめただけだ。
「殿下、本題をお願いいたします。お互い忙しい身ですので」
「少しくらい冗談に付き合ってくれてもいいでしょ」と扇子をパチンと閉じ、アヤメ殿下は「最近、ロミテイ北部のエトル地方からアズマにたくさんの子どもたちが売られてきてるの。まだ幼い女の子が多い。知ってた?」と聞く。
ピオニがいるローナ村も、エトル地方にある村のひとつ。エトルはもともと先住民の土地で、ロミテイの中でも特に貧しい。子どもたちは「いい働き口がある」「仕事を紹介する」と騙されて、人身売買に巻き込まれる。
「ええ。先日もエトルに住む女性から、子どもが売られていると手紙をもらったばかりです。確かにその子どもたちの行先もアズマでした。今回は子どもを無事取り返すことができましたが…」と、レオの代わりに私が暗い気持ちで答える。
今回はピオニの手紙と、エバスの治安部隊の素早い対応で子どもを救出できた。けれど、あの地方では他にも子どもがさらわれる事件が頻発している。辺鄙な土地かつ件数が多すぎて、対応しきれていないのが現状だ。
アヤメ殿下は「事情はわかるわ」と頷いて、「さらわれた子たちは、アズマ北部にいる仲買人を経由して、踊り子としてサヘルに売り飛ばされたり、ロミテイやアズマや他国の売春宿に売られたりしているの」と説明した。
アヤメ殿下が指揮をとり、仲買人やアズマ国内の買い手の取締りはしているけれど、誰かを逮捕しても、別の誰かが次から次へと湧いてきてキリがないそうだ。「どんなに不景気でも人身売買は儲かる。だからなくならない」とアヤメ殿下はため息をつく。子どもたちは、私たちが食べるお菓子一袋の値段で売られてくる、と。
「不名誉ながらアズマの北部は未だ無法地帯だけれど、私はアズマ全土に法の力が及ぶようにしてみせる決意よ。国民がどこでも安心して暮らせるようにね。けれど、この問題は我が国だけで対応したところで解決しない」
「ええ、確かにそうですね。需要と供給を同時に叩きませんと」とレオが応じる。ロミテイ国内で貧しい家庭の子どもたちが売られていくことそのものを防止しない限り、問題は解決しない。アズマで需要をつぶし、ロミテイでは供給を断つのだ。
「そういうこと。だから、供給を断ってほしいのよ。本気で対応してほしい」
「どうかしら、ヴァレオ」と殿下はまた扇子を広げてゆらゆらと動かす。
「内政に干渉するつもりはないの。だけど、ロミテイの国民のためにもなることだから」
「確かに」
「国王陛下に直談判しようと思って来たのだけれど、”ヴァレオとマーガレットに相談しろ”と言われてこっちに来たの」
「そうでしたか。もちろん協力いたします」
「ありがとう。相変わらずヴァレオは話が早くて助かるわ。軍人だから?」とアヤメ殿下は立ち上がり、「急いでよ、ヴァレオ。子どもたちが傷ついてからでは遅い。救い出して癒そうと思っても、どうやったって心の傷は一生消えないのだから」と付け加えた。
そう、事件が起こってから、誰かが傷ついてからでは遅い。アヤメ殿下と私の考えは同じだ。ただ、殿下はもっと大きく広く考えておられる。かっこいい…
殿下はすっと封筒を差し出す。光沢ある髪にうっすら模様が入った美しい封筒。
「子どもたちを売り買いしている組織の情報などなど、資料はここに入ってるわ。あと、こっちはかねてからのあの懸案事項の資料。ごっちゃにしないでよ。じゃ、こう見えて私も忙しい身だからまたね。次はストレチア王国と貿易協定の話をしにいくの」とアヤメ殿下は扉に向かう。人身売買のことから貿易のことまで…マルチな方だ。
そして「あ」とレオと私の方に向き直って、扇子で口を隠して目を細める。長いまつげの奥から、深い青の瞳が可笑しそうにこちらを見つめる。
「ヴァレオを寝取りに来たというのは、半分本気だったのよ。妃殿下がこの場にいたから思いとどまっただけで」
「アヤメ、いい加減にしろよ」とレオは思わず呼び捨てになる。
「俺じゃなくてもいくらでも相手はいるだろ。アズマの未来の女王は男をとっかえひっかえしてるという噂はロミテイまで届いてる」
「ふん」とアヤメ殿下は目を逸らした。不満げに「そこらの男どもじゃ満足できないから、次々交代させるしかないのよ。それに、私から男たちに声をかけたことなんてないし」と首を傾げる。
「私が自分から言い寄ったのはヴァレオだけなのに、あなたはちっとも私のことを見てくれない。ま、そこにそそられるんだけどね」と呟いて、アヤメ殿下は出て行った。
「あいつ、男癖さえなければいい君主になると思うんだが」
そう…彼女はきっと立派な女王になる。私にはアヤメ殿下が眩しく見えていたのだった。




