結婚してください
カエラスがまた熱を出した。仕事の日ならネモフィラおばあちゃんが「男の子は、女の子に比べて風邪をひきやすいよねぇ。うちの息子もね…」なんていいながら、私の代わりに診療所に連れて行ってくれる。今日は私が休みだから、自分で診療所に連れて行けた。でも、お医者様に出してもらったお薬を飲ませても、なかなか熱が下がらない。むしろ熱は上がってきて、カエラスはぐったりしだした。
「カエラス!カエラス!」
カエラスを抱えて診療所に走ると、その診療所ではもう対応できなくて、王都で一番大きな病院での入院が必要だと言われた。大きな病院での入院費なんて、慎ましい生活の中でようやく貯金を始めたばかりの私には、今すぐ用意できる額ではない。それでも入院させないわけにはいかない。薬で穏やかに眠ったカエラスを病院に残し、着替えを取りに帰りがてら、お給料を前借りできないか相談しにカフェに寄る。
「カエラスが入院!?」と、リロイさんも先輩たちも心配してくれる。
「入院費用を払えるだけの蓄えがなくて。申し訳ありませんが、お給料を前借りできないでしょうか。あと、しばらく病院でついていたいので、お休みもいただかないと」
「どっちも大丈夫だよ。入院費用はどれくらいかかりそう?」
「とりあえずすぐ必要なのはこれくらいで、場合によってはもっと…」
「大丈夫。お金の心配はしなくていい」
「はい…」
リロイさんの優しい言葉に、答えながら涙が溢れてくる。頼っていい?今の私が唯一頼れるあなたを。
「あの、あと私…お医者様の説明が難しくてよくわからなくて…カエラスに何かあったらどうしようって不安で不安で…」
「じゃあ一緒に病院に行って話を聞こう」
そう言ってリロイさんはお店を先輩たちに任せ、病院の診察室までついてきてくれた。肩を抱いてくれるわけでもない、手をつないでくれるわけでもない。でも、隣にいてくれるだけで安心する。
「ローマン先生!」
「これはこれは、リロイ・レイダーじゃないか。君が部隊をやめて以来だから…もう随分と久しぶりだね」
「ご無沙汰しています。先生、今はここで働いているんですね」
「そう。たまに治安部隊に応援に来てくれと呼ばれることもあるけどね。それにしても、リロイが元気そうで何よりだよ」
カエラスの主治医のローマン先生は、以前はリロイさんが所属していた治安部隊のお医者様だったらしい。
「僕もポピーと一緒に話を聞きます。カエラスはどんな状態ですか」
「この高熱は尿道が…男の子に多い症状でね…入院期間は…けれど心配いらない、私は神の手の持ち主…」
リロイさんがそばにいてくれて落ち着けたからか、今回は先生が丁寧にゆっくり話してくれるからか、前よりは話がわかる。わからない言葉が出てきたら、リロイさんが説明してくれたり、代わりに先生に質問したりしてくれる。カエラスは珍しい病気ではなく、命の危険はないことがわかり、一週間ほど入院して落ち着いたら無事に帰れそうで心からホッとする。
「ええと…ところでいいかな。ポピーさんは一人で子どもを育てていると聞いたけど、あのカエラスはリロイの子なのかな?」
先生からの思わぬ質問に私は「違いますっ」と声を裏返す。ローマン先生は「でも、ポピーさんはリロイの恋人?」と食い下がる。「いいえ」とリロイさんが苦笑すると、ローマン先生は「でも、彼女を襲おうとした男を半殺しにしたんだろ?」と思わぬことを言う。
あの男を?治安部隊の詰所に連れていくと行っていたけど…
「半殺しは言いすぎです」
「嘘をつけ。ロナルドと常駐のルカ医師が言ってたぞ。リロイが詰所に連れてきたとき、犯人は息も絶え絶えだったって」
「多少痛めつけはしましたが」
「普段は穏やかなのに、大切な女性のこととなると豹変するのは変わってないな。昔、ネズミの殿下を陥れようとした装備係を殺しそうになってただろ」
リロイさんは曖昧に微笑み、私たちは先生に礼を言って診察室を出た。
「先生が変なこと言ってごめん。気にしないで」
「あの…はい」
ローマン先生は「大切な女性のためなら豹変する」と言った。もしも先生の言った通りなら、私がリロイさんの大切な女性で、そのためにあの男を痛めつけたってことだよね?「気にするな」と言われても、つい考えてしまう。カエラスのことも心配だし、リロイさんのことも気になるしで、あまり寝られない。お見舞いに来たリロイさんが、酷い顔の私を見て心配してくれる。
「ポピーさん、あんまり寝てないんじゃない?僕がしばらくカエラスを見てるから、寝ててもいいよ」
「でも…」
「ポピーさんが倒れたら大変だよ。いいから寝て」
「ね?」と黒い瞳でじっと見つめられて恥ずかしくなり、「はい。ありがとうございます」と頷く。病室のソファで二時間くらい寝て目を覚ましたら、リロイさんはカエラスの手を握って寝ていた。
リロイさんも寝ちゃってるじゃない。可笑しくなって、眼鏡が少しずれた顔を覗き込む。穏やかで優しそうな綺麗な寝顔。朝目覚めた時にこの顔が目の前にあったら、どんなにか幸せだろう。思わず、少し癖のある彼の黒髪を撫でてしまったとき、リロイさんが目を開けた。
「ごめんなさい、私…つい…」
「いいんだ」
そう言ってリロイさんは私の手を取った。そのまま私の手のひらにキスをする。それだけで私の心臓はドキドキして、顔も真っ赤になっているのがわかる。耳まで熱い。
「あの…あの…」
戸惑っている私を見て、リロイさんは手を離す。
「ごめん。僕もつい…ずっと、ポピーさんには触れないように抑えてたんだけど」
「え?」
私の過去を知っているリロイさんは、怖い思いをさせないように必要以上に私に触れないようにしてくれていたのだ。私が抱きついた時に抱きしめ返さなかったのも、病院についてきてくれた時に私に触れなかったのも、そのため。
「本当はずっと触れたかった。こんなこと言われて嫌かな?ごめん」
「いえ、謝らないでください。嬉しい…です…」
本当に嬉しい。私のことを大切に思ってくれたこと、怖がらせないように気を遣ってくれたこと。でも、リロイさんは妃殿下のことを好きだったんじゃ…
「以前はね。もう振り切ったし、今はいい友人だ。みんなが思うほど、僕は未練がましくないんだけどな」
嬉しい。でも信じられない。私みたいな、何もない小娘のことを好きになってくれるなんて。
「ポピーは強い。辛いことがあったのに、新しい人生を精一杯生きてる。仕事も勉強も、それに育児だって、できることを怠けずにコツコツやって。それってなかなかできないことだよ。そこが一番好き」
嬉しい。すごく嬉しい。
「キスしていい?」と聞かれて、真っ赤な顔のままで頷く。そっと軽く唇が触れる。優しい。伯爵にされたような、強引で暴力的なキスとは全然違う。
「愛してる、ポピー。もしポピーさえ良ければ、僕と結婚してほしい」
頷きそうになって、やめる。私はあの男の子どもを産んだ。ここにいる可愛いカエラス。私のこと、カエラスのこと、リロイさんの重荷にならないだろうか。
「嬉しいです…けど…」
「カエラスのこと気にしてる?」
「はい」
「僕は二人とも愛してるよ」
「それに…それに、私の過去も」
「僕は条件付きで人を好きになったりしない。それに、ポピーの過去は恥じるようなものじゃない。ポピーは何も悪くない、そうだろ?」
私にこんなことを言ってくれる人が現れるなんて。そしてそれが、私が愛している人だなんて。
リロイさんは小さな箱を取り出す。箱を開けると、綺麗な宝石がついた指輪。こんなの見たことない。
「ポピー・ジェイド、僕と結婚してください」
「ええ…喜んで」
リロイさんは私の左手の薬指に指輪をはめてくれる。
「すごく綺麗…」
涙が後から後から溢れてきて、すぐに指輪は見えなくなった。
読んでいただいてありがとうございます。
リロイ&ポピー編はこれにて終了です。




