「メグ」
「ポピーさん、一日で考えてくれたの!?このアイデア、すごくいいよ!」
次の日の仕事が終わったあと、絵とたどたどしい字を書いた紙を手渡すと、リロイさんが感激したように私を見る。そこまで褒めてもらえるなんて思ってもみなかった。そもそもお菓子なんて嗜好品にあまり触れない人生を送ってきた私は、新しいお菓子を考えても考えても思いつかなかった。私の記憶にあるお菓子は、まだ本当の父が生きていたとき、たまに母が焼いてくれた手作りの素朴なクッキーだけ。クッキーの型抜きをさせてもらうのが、とても楽しかった。
だから、クッキーに春らしいフリーズドライの苺や、桜の花びらをトッピングしてみてはどうかと提案したのだ。そして、小さな子どもにクッキーの型抜きやトッピングを体験させて、自分で型抜きとトッピングをしたクッキーを、その場で焼いて食べてもらってはどうかと付け加えた。
「カフェのお客さんが少ない時間帯ならできそうだね。あまりカフェに来ない親子連れにも気兼ねなく来てもらえそう」
「はい。子どももすごく喜ぶと思います」
「さすが、お母さんならではの視点だね」
「いえ…というか、クッキー作りって、私にとっては家族との数少ない楽しい思い出なんです」
「そう…」とリロイさんは少し困った顔をして、落ちた涙が乾いて歪んでしまった紙に目を落とす。妃殿下から私の身の上を聞いているとはいえ、直接傷を見せられると困ってしまうのも当然だ。
「すみません。暗い話をするつもりはなかったんですが」
「ううん、僕はいいんだ。話したくないことや、思い出したくないことを言わせてしまったかと思って」
「いいえ…あの…」
リロイさんに聞いてほしい。母のこと、父のこと、辛かったこと、でも今は幸せを感じていること、そしてリロイさんに感謝していること。気が付いたら、私はしゃくりあげながら話していた。
「そんな風に言ってもらえて嬉しいよ」
「本当に感謝してます。ありがとうございます」
「遅くなっちゃったし、アパートまで送るよ」と言われて時計を見ると、いつも店を出る時間より三十分以上も遅い。大変、今日はお隣のおばあちゃんにカエラスを預かってもらっているのに。早く帰らないと。
「いいえ!急ぎますし、私は一人で大丈夫です。カエラスと隣のネモフィラさんが待ってるので!お先に失礼します」
「あ、ちょっと!あの辺は夜は…」という言葉を振り切って、私は家に急いだ。
ようやくアパートが見えてきたとき、背後に人の気配を感じた。私みたいな女性は、その雰囲気に敏感だ。これは強盗じゃない。私を犯そうとしているのがわかる息遣いと湿度。察してしまって、動けない。怖い。声が出ない。口を塞がれスカートをまくられて目をつぶったとき、「ドスッ」「バキッ」という音と、男の悲鳴が聞こえて、男がずるりと私から離れた。
目を開けると、道の上で呻きながら転げまわる男と、左手に棒きれのようなものを持ったリロイさん。いつかカフェで私に住所を聞いて絡んできた男だ。「大丈夫?」と聞かれて、思わず彼に抱きつく。リロイさんは一瞬戸惑った後に、トントンと背中を叩いてくれた。
「怖かった…です」
「だから送るって言ったのに」
それから毎日リロイさんは私をアパートまで送ってくれるようになった。帰り道でいろんな話をしてくれる。お店のこと、騎士だったときのこと、腕を怪我したときのことも。私たちの距離はどんどん近くなっていると思う。
アパートの近くで私たちを見かけたネモフィラおばあちゃんが、目をキラキラさせながら好奇心剥き出しで話しかけてくる。
「優しそうな人じゃないの。あの人がポピーのいい人?」
「まさか!働いてるカフェの店長さんだよ。こないだ襲われそうになったから、心配して送ってくれてるだけ」
「そうかねえ?親切心だけで毎日毎日ここまで送ってくれるとは思わないけどねえ」
本当に?こうやって親身になってくれるのは、目が合うたびに微笑んでくれるのは、私が彼にとって特別な存在だからなの?
そうだとしたら、すごく…すごく嬉しい。私にとっても、きっと彼は特別な存在だから。
カフェの仕事に慣れ、リロイさんとの距離も近づいてきたと感じていたある日、妃殿下がお忍びでカフェにやってきた。目立つピンクの髪をブラウンに染めて、商家の奥様風の格好で。私に声をかけてくれる。
「頑張っているんですってね。リロイからいつも聞いてるわ」
真面目に働いていることや、読み書き計算の勉強をしていること、子ども向けのイベントを考えたことなどを褒めてくれるが、「リロイからいつも聞いてる」という言葉が邪魔をして、あまり頭に入ってこない。いくら幼馴染でも、王太子妃とカフェの店長が、そんなに頻繁に連絡をとるほど仲がいいの?それって普通?
「襲われそうになったと聞いたわ。大丈夫?」
「ええ、妃殿下。お気遣いいただきありがとうございます」
「リロイ、あなたがついていながらどうなってるのよ」とリロイさんを責める妃殿下に、付き添いを断った私が悪いのだと慌てて説明する。
それにしても、妃殿下と話をしているリロイさんはとても楽しそう。屈託がない。妃殿下がお忍びだからということもあるけれど、「妃殿下」じゃなく「メグ」と呼ぶし。私のことはいまだに「さん」付けなのに…
楽しそうな二人。どちらもお金持ちで、幼馴染で、騎士として一緒に働いていた同僚で、親友。それに妃殿下はとっても綺麗。変装してても隠せないくらいのキラキラオーラ。小柄で可愛らしいけれど、威厳と優しさが溢れ出ている。それにこんな私にも気さくで、非の打ち所がない。
ずっとこんな人のそばにいたリロイさんが、無学で子持ちの私のことを特別に思うなんてありえない…そういえば、助けてもらって抱きついたときも、背中をトントンとしてくれただけで、リロイさんからは抱きしめ返してくれなかった。私ったら何も勘違いしていたんだろ…
妃殿下が「リロイ、ポピーのことくれぐれもよろしくね。襲われるなんてことが二度とないように」と言い残して帰った後も、惨めな気持ちは消えない。暗い顔の私を、優しいリロイさんは気遣ってくれる。そう、彼が親身になってくれるのは、彼が優しいから。それに、妃殿下から私のことを頼まれているから。
「ポピーさん、どうしたの?メグ…妃殿下がお帰りになってから、顔が暗いよ」
ああ、また「メグ」って。もう堪えきれない。私の目にみるみる涙が溜まってくる。これが失恋っていうんだ…
「えっ、ポピーさん泣いてるの!?どうしたの」
恥ずかしい。一人で舞い上がってた。私はリロイさんに背を向けて駆け出す。
「待って!」
リロイさんが私の手を掴む。細身のリロイさんだけど、さすがは元治安部隊だけあって力が強い。振り解けない。
「辛いことがあるなら抱え込まないで話して。聞くから。ポピーさんに店を辞められたら困るし」
「私が辞めたら困るのは、妃殿下に顔向けできなくなるからですよね」
リロイさんは驚いた顔をしてから、首を振る。
「違う。ポピーさんは店にとって必要な人だからだよ」
「店にとって必要」。ありがたい言葉だ。以前の私なら、その言葉だけで、そうやって必要とされるだけで、十分嬉しかったはず。でも今は…従業員としてじゃなく、一人の女性として大切に思ってもらいたい。そんなの、あり得ないけど。
「あ…ありがとうございます」
これからも店にとって必要だと言ってもらえるように頑張ることしか、私にはできないんだ。リロイさんのそばで働き続けられるように、それだけ考えて頑張るしかない。




