あなたのそばに
火事の現場でレオにきつく叱られて以来、私たちの仲はどことなくぎくしゃくしている。険悪ではないし、公務は一緒にこなすし、腕を組んだり腰を抱かれたりはするのだが、皮膚と皮膚の間に紙かガラスの板が一枚挟まっているようなもどかしい感じ。まだ怒っているのか、もう私のことは諦めているのか…聞きたいけどなんとなく聞けずにいる。彼の答えを聞くのが怖いのかもしれない。
「え…失火じゃなく放火だった?」
そんなある日、「フリン邸の家事は放火だった」と侍女のひとりが口を滑らせた。現場で執事のニコラスに「厨房で火が出た」と聞かされたから、てっきり失火だと思っていたのに。新しく雇った厨房係が火をつけたとして逮捕されたそうだ。
「なぜ私に知らされなかったの?」
「王太子殿下が口止めされていたそうです」
いても立ってもいられなくなり、レオの執務室へ急ぐ。あの火事が放火だったなんて、そんな大事なことをどうして私に隠していたのか。
「いくらあの場での行動が王太子妃にふさわしくなかったと言っても、そんな罰の与え方がある!?私の実家なんだよ!姉みたいだったマルタが死んで、他にも幼いころから仕えてくれてた使用人が…」
「ずっと隠しておくつもりだったの?もう私には信頼がないの?」という言葉が涙で詰まる。喉が痛い。「罰のつもりではなかった。まだショックが大きすぎると思ったし、メグが知ったら”自分で犯人を捕まえる”と言い出すかもしれないと思ったから。しばらくしたら伝えるつもりだった」という答えが返ってくる。
「私も、もうさすがに学習してる」
「そうだな…もう泣かないでくれ」
「それから、あの時はきつく言いすぎて悪かった。ずっと謝りたかったが、言えなくて」とレオがようやく抱きしめてくれる。
「だが、"メグが死ぬかもしれない"と恐怖するのも、もうまっぴらなんだ。怖かった」
レオの声が震えているのを聞いて、私は火事に飛び込んだことをまた後悔した。心の奥底から。私は、私の一番大切な人、そして私を心から愛してくれてる人の気持ちすら置き去りにしていたんだ。
「私もごめん。レオが正しいし、もう二度としない」
「頼む」
ところで、その新しい厨房係は、何が不満で火をつけたのだろう。そう呟くと、レオは「失火として処理された火事や、未解決のままの放火事件への関与を認めてる。常習犯だ」と教えてくれた。それは嘘ではないと思うが、レオの態度と口調があっさりしすぎていて少し気になる。何か隠している。
「レオ、隠し事はやめて。私にだって諜報部や治安部隊に声をかけて報告をもらうくらいの力はある。いくらレオが彼らに口止めしてもね」
「アーサーの頭に傷があった。火事の前に殴られてた、と」
「そもそもアーサーを殺すつもりだったってことなの?」
「まあ、そうだろうな」
「なぜアーサーなの?」
アーサーはやや身体が弱く、穏やかで大人しい性格だ。食卓に嫌いなものが出ても残さず食べるし、使用人にきつく当たることなどない。新人の厨房係にそこまで恨まれるなんて。小言と食べ物の好き嫌いが多いお兄様ならまだしも…
それに、なぜあのタイミングで?普通、放火事件は夕方から増える。白昼堂々、隣の屋敷で披露宴が行われているタイミングで火を放つなんて。本当にアーサーを殺したいなら、みんなが寝入っている夜の方が都合がいいはず。
「いろんなことがおかしい。レオ、知ってること全部話してる?」
「…犯人はローズの屋敷に出入りしてたことがあるらしい。ローズが関わったという証拠は今探してる」
ローズ様。王太子妃候補を次々に襲わせた女。今は獄中だが、私への復讐を諦めるはずはない、か。きっと私を苦しめるために、私の目の前で弟を殺そうとしたのだ。体の弱いアーサーなら、お兄様よりは殴りつけるのも簡単だ。
「ロナルドがローズに会いに行ったら、アーサーが死ななかったことを残念がってたそうだ。”使用人五人しか死ななかったのか”とな。それに、火事に飛び込んだメグを俺が叱りつけたことも知っていて、その様子を嬉々として聞きたがったらしい」
「なんて女…」
殺してやりたい。私にとっても姉のようだったマルタを始め、長年フリン家に仕えてくれた使用人が五人も犠牲になったのだ。獄中に乗り込んで斬りつけたり、呪い殺したりできるものならこの手で殺してやりたい。けれど、正規の捜査の結果を待つしかない。
そう思った矢先に、思いもかけない知らせが飛び込んできた。
「ローズ様が牢で死んだ!?なぜ?」
「毒殺されたらしい、と」
「誰がそんなこと」
その疑問は獄中から私宛に届いた手紙で判明した。
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敬愛なる妃殿下
ローズ様を殺したのは私です。ローズ様に手足となる信奉者がいるように、私にも手足となってくれる者がおります。
あなた様はただ一人、私に「またカーマイン様と幸せになることを願っている」と言ってくださった方。私の大切なお友達と思っております。あなた様のためなら、私の汚れた手をさらに汚すことに躊躇いはございませんでした。
捜査が進んで別の方から聞くことになるよりは、と思いこの手紙を書いております。この手紙をどう扱うかはお任せいたします。
どうか、心安らかな日々を。
エビネ
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私は手紙を暖炉に投げ込んで燃やそうか迷って、机の中の小箱に閉まって鍵をかけた。しばらくして、レオの執務室にやってきたロナルド様から、「放火をローズ様と結び付けることも、ローズ様殺害犯の特定も、暗礁に乗り上げた」と報告を受けた。
「そうですか。残念ですね」
「妃殿下、申し訳ございません。もうしばらく捜査は続けるのですが、もしかしたらこのまま打ち切りになるかもしれません」
「そうですか」
「珍しくあっさりしておられますね。いつもならもっと…」
「今の治安部隊でもっとも優秀なロナルドやシュミールに無理なのでしたら、もう誰にも無理なのだとわかっておりますから」
「…はい」
レオは「ご苦労だった、下がれ」とロナルド様に告げてから、私に向き直る。
「確かにあっさりしてるな、メグ。隠し事はしない約束だが」
本当はあの手紙を読んだ時から、ずっと聞いてほしかった。教えてほしい、どうしたらいいのか。
「殺したのはエビネ様なの。私のためにあの方は自分の手を汚した。私は…私は彼女がやったことを憎めない。マルタたちの敵を取ってくれたエビネ様のこと、どうしても憎めないの」
エビネ様の罪を告発するのが正しいのだとはわかっている。彼女の罪をもみ消すなんて間違ってる。けれど実際、私がエビネ様の手紙を処分して、治安部隊にこれ以上の捜査をしないように一声かければすべて終わる。立場を利用して、彼女の犯罪をもみ消すなんて簡単にできてしまうのだ。
「任せる」
「え…」
「選択するのはメグだ。ただひとつ言っておく。どちらの選択をしても俺はメグを理解できるし、メグを愛し続ける。後悔しない選択をしろ」
「なんで言ってくれないの。手紙を送るべきだって。そうするのが正しいって」
レオはそっと手を伸ばして私の頬をなでる。愛おしそうに、大切そうに。なんだかそれだけで、涙が出そうになる。
「自分で決めろ」
「背中を押してほしいと思うのもダメなの?」
「いつか、ひとりで決めないといけないときが来るから」
私はエビネ様の手紙をロナルド様に送り、彼女の刑期は追加された。
「エビネの手紙、送ったんだな」
「辛い決断だったな」とレオが頭を抱えて、髪にキスしてくれる。
「俺たちが正しくいないと、いつかそのしわ寄せが誰かに行く。俺たちの立場が大きいほど、しわ寄せが及ぶ範囲も深さも大きくなる」
「わかってる。レオの王太子としての在り方が決断させてくれた」
私は姿勢を正してレオから少し身体を離し、彼の手を握る。
「私…まだ王太子妃らしくないとは思うけれど、これだけは守るって決めたの」
「何を」
「迷ったときには、あなたのそばに立つにふさわしいかどうかを判断基準にする」
「ああ…それでいい」
「そして、ずっとそばに立っていてくれ」とレオはキスをくれた。
読んでいただいてありがとうございます!
次からは「リロイとポピーの馴れ初め」を準備しております。ぜひそちらも読んでいただけたら嬉しいです。




