始動
王宮の廊下でサルム様を見つけて嬉々として話しかける。
「サルム様!先日の針仕事の先生の件なのですが、知り合いに頼んだら、来てくれるそうです」
「助かります!ありがとうございます、妃殿下」
「あと、退所後の就職先なのですが…」
リロイの店で一人なら退所希望者を雇ってもらえそうだと話すと、彼は目を丸くした。
「ありがとうございます、妃殿下。退所者が出れば、新たに困っている女性を受け入れられます」
「そうですね」
「妃殿下には親身になっていただき、どう言えばこの感激が伝わるやら。お礼を申し上げてよいか」と彼は私の手を握る。「少なくとも、手は握らなくても感謝の気持ちは伝わる」と声がして振り返ると、レオだった。
「これは殿下…失礼いたしました」
レオは私の肩をいつもより強く抱いて、「メグ、話があるから執務室へ」と促す。「ちょっと待って」と言っても聞いてくれない。執務室の扉が閉まると、私はレオに噛み付いた。
「まだサルム様に相談したいことがあったのに。職業訓練のこととか、寄付のことととか…」
「…あまりサルムには近づきすぎるな」
「やきもちなの?」
「昔のあいつは無類の女好きだった。注意しろ」
「そうなの?でも今はご立派よ。人は変わるものでしょ。それにいくらなんでも私は王太子妃だよ。いくら女好きでも簡単に手を出せる相手じゃないでしょ」
「まあそうだが。とにかくあいつには近づきすぎるな。変な噂が立つぞ」
私は肩をすくめ、レオに睨まれて「わかった」と返事した。
翌週、私はエレクタを連れてシェルターに向かう。
「妃殿下、よく私なんぞに声をおかけになりましたね」
「ふふ。今は真面目にやっていると父から聞いておりましたので」
エレクタは父の取引先のひとつで働いていて、その腕前と真面目な勤務態度で早くも主任になっているらしい。詐欺師とはきっぱり別れ、勤務先の経営者の息子との関係が進展しそうだと教えてくれた。その彼の好みなのか、服装もすっかり落ち着いている。
「人は変われると信じておりますの。中には骨の髄まで腐っていて手の施しようがない人もいるけれど、あなたは違う」
彼女をちらりと見ると「周りのレベルが高過ぎて、邪なことを考えている暇がございませんの」と冗談めかしながら、嬉しそうだ。
「それに、あなたなら彼女たちに寄り添えると思いましたの」
「ええ、それはもちろん。私ももしかしたらこのシェルターにいたかもしれませんから」
そう言って彼女はシェルターを見上げる。
「初めて来ましたが、思ったより綺麗ですね。こんな立派な施設を私財で運営されているなんて、ローランド伯爵は優しくて熱心な方なのですね」
「そうなのよ」
今日は伯爵はいない。エレクタを運営責任者と入所者に紹介する。早速技術を披露したエレクタに、みんな興味津々だ。
「エレクタさんのようになれたら、どこの店でも雇ってもらえるわね。でも、私にできるかしら」
「大丈夫。私も最初はとても下手だったのよ」
「本当ですか?」
彼女たちの様子を見て上手くいきそうだと笑みが溢れてしまう。私もこの素晴らしい施設に貢献できている。立場の弱い女性たちを助けられている。ここは規模が小さいから、公的にもっと大きな施設を作ったり、職業訓練専用の施設を作ってもいいかも。ああ、それから学校に行きたいという女性のために奨学金を創設するのはどうだろう…シェルターの中に子どもが遊べるようなスペースも欲しい…
王宮に戻ってからもニヤニヤしながら想像を膨らませる私に、「楽しそうだな」とレオが後ろから抱きついてくる。
「ようやくやりたいことができてる感じ。エレクタやリロイにも協力してもらえてるし、何だかすごく楽しい」
「そうか、何よりだ」
レオはそう言うけれど、顔は笑っていない。
「もしかして…自分のこと見てもらえなくて拗ねてるの?またやきもち?」
「そうかもな。最近ベッドに来るのが遅いぞ」
「ごめんね。でも今日はもうちょっとだけ考えさせて。先に寝てて、お願い」
「あまり無理するなよ」
「はいはい」
額と額をこつんと合わせ、レオはベッドに向かった。見送ってから私はまたシェルターのことを考える。でも、私が自己満足で考えていてもだめだ。私が「いい」と思うことと、本人たちの求めていることが違っては意味がない。
「今日は皆さんの意見を聞かせていただきたくてここへ来たの」
社会復帰のためにどのような支援が必要なのか、シェルターにいる女性たちの話を聞く。奨学金や職業訓練について提案をしたが、彼女たちにはいまいちピンとこないらしい。
「それよりも、ここを出た時にまず住むところを確保しないといけません。だからまとまったお金をもらえるか、せめて貸してもらえたら助かります」
「いきなり借金を背負うのは嫌だわ」
「でも施しを受けるのも嫌よ」
誰かが口火を切ると、次々に意見が出る。「施しを受けるなんて嫌」と言ったブルーベルは、「私たち、そんなこと言える立場?」と反論されて口をつぐんでしまった。
「お待ちなさい。施しを受けたくないというブルーベルの気持ちはわかりますわ。”私なんて””私たちなんて”という遠慮は捨ててくださいませ。あなたたちがここにいるのは、あなたたちのせいではないのですし」
みんなは顔を見合わせる。「そんなことを言われたのは初めて」といった風だ。
「あなたたちが本当に必要としていること、やってほしいことを聞きたいのです。すべて実現できるかはわからないけれど、とにかく要望や悩みを聞かせてちょうだいな」
一番若い入所者のフィドラが、不思議そうな顔で手を挙げる。
「フィドラ?」
「あのう、マーガレット殿下は、本当に王太子妃なのですか?」
「え?」
フィドラは「なんてこと聞くのよ、フィドラ」「このお馬鹿さん」とみんなから小突かれて、慌てて質問の意図を説明する。
「だって私、今までは王族なんて実在するとも思っていなかったんだもの。それが突然目の前に美しい王太子妃様が現れたと思ったら、私たちのことをこんなに気にかけてくださって、今じゃ一緒にテーブルを囲んであーだこーだとまとまらない私たちのお話を熱心に聞いてくださっているんだよ」
「とても信じられなくって。みんなはどうなの?」とフィドラは他のメンバーを見回す。みんなは顔を見合わせて「確かに不思議」というような顔をしている。その顔が面白くて、私は笑ってしまう。
「こう見えても、私は本当に王太子妃よ。変な詐欺じゃないから安心して」
フィドラのおかげで場が和んで、そのあとはまた積極的に意見が出た。退所するときにお金に困らないように、シェルターにいながら少しずつ働けたらいいのではとか、施設に針仕事を依頼してくれる人がいればいいとか。
王宮に戻らないといけない時間が来てしまったので、みんなにお礼を言って馬車まで戻る。と、ポピーという名の若い母親が「妃殿下、あの…」とシェルターの出口まで見送りに来て話しかけてきた。キャラメルブラウンの髪。肌の色艶はあまりよくないが、可愛らしい顔立ちをしている。
「ポピー、どうかした?」
「あの…」
何か言いにくい話のようだ。しばらく待ってみるけれど、彼女は上手く言葉が出ないらしい。アサファが「妃殿下、もうお時間が。次の予定がございます」と急かす。ポピーは「私たちのこと気にかけてくださって、本当にありがとうございます、誰にもそういう風にしてもらったことがなかったので、嬉しいです」と言って頭を下げた。
「いいのよ。でもほら…伯爵や運営責任者もあなたたちのこと気にかけてくれているでしょ」
ポピーは少し身を震わせて、小さな声で「ええ」と答えて中に戻っていった。




