ネズミ
「メグちゃん、好きな男性でもできた?」
休日明け、朝一番でシュミール様にそう聞かれて言葉が出ない。「いいえ」と絞り出すと、「僕は誤魔化されないよ。先週とは顔が全然違うもん。それは恋してる乙女の顔。素敵」と、目を覗き込まれる。「恋なんてしてません」と目を逸らしたけれど、「百歩譲って恋ではないとしよう。でも出逢いはあったでしょ。後方支援担当の情報収集力をなめちゃいけないよ。僕がその気になれば、王都中に散らばっている情報屋たちから目撃情報が続々と集まってくるんだよ」と半ば脅されて観念する。
「へえ…素性を明かさない隻眼の大尉?」
「はい。名前は偽名かもしれませんが」
本物の軍服や階級章は中古市場に出回っているから、もしかしたらレオ様は軍人ですらないかもしれないとシュミール様は言う。昨日はそんな風には思えなかったが、「ハンサムに心を奪われて、警戒心がなくなってたんじゃない」と笑われると、そんな気もしてくる。
「もう会わない方がいいでしょうか」
「んふふ。でも気になるんでしょ?危険じゃなさそうなら、会って探ってみれば。両足に武器は忘れずに」
「はい、もちろんそれは昨日も」
「さすが女性騎士」
「僕のネットワークを使って調べてあげようか」と言われて、「さすがにそれは」と断ったとき、ネイト様…班長の声がとんだ。
「出動だ!強盗、怪我人あり」
班長、ロナルド様、リロイ、私は現場に向かう。怪我をした家人である男爵の手当てが終わってから話を聞くと、犯人は排気口から現れ、男爵を殴りつけて脅し、現金や宝石類をあらかた袋に詰めて、また排気口から出て行ったという。
「この排気口を?かなり狭いですね」
「よほど細身の男か…もしかしたら女か子どもか」
「女子どもが男爵を殴りますかね」
とにかく排気口の中を調べたいが、細身のリロイでもギリギリという狭さだ。
「仕方ない。新人、行ってこい」
「はい!」
「メグ、危険だと思ったら笛を吹いて、すぐに戻ってくるように」
「大丈夫よ、リロイ。心配しないで」
灯りを持ち、排気口の中を這って進んでいく。灯りがあっても暗い。誘拐されそうになった時に詰め込まれたトランクのことが頭に浮かんで、慌てて振り払う。今はそんなことを考えている場合じゃない。追いやれ、追いやれ、追いやれ。排気口に集中。ここはトランクの中じゃない。
排気口の中は油でベタベタだ。この制服はもう洗っても汚れが落ちないだろう。まだ二週目なのにもう制服をダメにしてしまった。そんなくだらないことを考えて、トランクを頭の隅に追いやる。
「ん?ベタベタ…?」
前方と後方の床を見比べる。後方の床には私が這った後があるが、前方にはない。誰もここを通っていないということだ。家人は嘘をついている。急いで戻ろうとしたとき、何かカサリとしたものが手に触れた。
「ひゃあああああああ!」
これは…これは…
「新人、どうした!?」
「班長、私も入ります」
「おいリロイ、待て!何があるかわからん、危険だ」
「いえ、メグを助けないとっ!メグ、今行く!」
悲鳴を聞いたメンバーに呼び掛けられても、私は「あ…あ…」としか声が出ない。班長の制止を振り切って、リロイが助けに来てくれた。
「メグ、どうした!?」
「リロイ、これ…」
「え、これ…?で、あの悲鳴?」
ネズミの死骸。リロイが首を振りながら、「班長にどやされるぞ」と呟く。その言葉通り、悲鳴のわけを説明すると「馬鹿者!」と叱責がとんできた。
「これからは人間の遺体も見ることになるんだぞ。ネズミくらいで逃げ帰ってきてどうする。女だてらに騎士学校を卒業したんだから、もっと根性があると思っていたぞ」
「申し訳ありません。どうしてもネズミは苦手で」
「克服しろ」
「…はい」
ロナルド様は笑いをかみ殺しながら、「新人、手掛かりはなにかあったか」と聞く。
「はい!排気口の中に、人が這った形跡はありませんでした。犯人がここから来て、ここから逃げて行ったというのは嘘です。被害はでっちあげです」
班員全員の目が家人に向けられる。男爵はへたり込んで「賭博にはまって借金ができてしまって…どうかお情けを」と縋るような目で班長を見る。怪我も自作自演だ。班長は「まったく人騒がせな。連れていけ」とロナルド様に命じて、私に向き直る。
「ネズミに腰を抜かしたことは黙っておいてやる。だが次こんな情けないことをしたら承知せんからな」
「はい」
「リロイ、お前もだ。今回は何もなかったからよかったが、今度命令を無視したらどうなるかわかってるな」
「はい」
班長は黙っていてくれると言ったのに、詰所に帰ったら、もう誰もがネズミの件を知っていた。
「班長、これは…」
「ロナルドだ。あいつに口止めし忘れたから」
ロナルド様は、ギロリと睨む私にウインクして「新人。その擦り傷、医務室で消毒してもらえ」と額を指差しながら朗らかにいう。
「これくらい大丈夫ですっ!」
「ネズミがいた排気口でついた傷だぞ。何かの菌が入って、化膿してくるかも」
ゾクリとしながら慌てて医務室に向かう私を、「何しろあそこはネズミがいたとこだからな」とロナルド様の楽しそうな笑い声が追いかけてくる。すれ違いざまに憧れのヘクトル隊長に笑われ、医務室のローマン医師にも「君がネズミの…」とまた笑われる。ピッピと消毒されて絆創膏をパチンと貼られ、私は逃げるように医務室をあとにした。
私はしばらく詰所内で「ネズミのメグ」という不名誉な名前で呼ばれることになってしまった。
ネズミの一件について話すと、レオ様は堪えきれないというように吹き出して、しばらく笑い続けた。「そんなに面白いですか?」と怒気を孕ませて聞くと、涙を拭きながら、「すまない。でも面白い」と答えて、思い出したのかまた吹き出す。
「虫はゴキブリでも平気ですが、ネズミはどうしても。しかも油まみれで死んでいるなんて」
思い出してまた身震いしてから、班長に言われたことを思い出す。これからは人の遺体も見ることになる。そういうと、レオ様は頷いた。
「覚悟していても辛いぞ」
レオ様は戦場でいくつもの遺体を見てきたことだろう。敵だけではなくて味方…仲間の遺体も。
「慣れるもの…なのでしょうか」
「そうだな。残念ながら、場数をこなすとある程度は慣れてしまう。そうなると、遺体を見るたびに心を痛めていた元の自分には戻れない。けれど…」
少し間があく。私の目を真っ直ぐに見つめながら「救えなかった仲間の死に顔は忘れない。自分の目の前で死んでいった戦友の死に顔は。慣れるものではない」と言うレオ様の声が震えている。辛い記憶を呼び起こさせてしまったことを後悔する。思わず彼の手をとったら、手も小さく震えていた。
「申し訳ありません、私…」
「いいんだ。聞いてくれ」
奇襲を受けた時に仲間を守ろうとして左足を負傷したのだが、一緒にいた七人のうち三人しか守れなかったのだという。レオ様は四人の戦友の死に顔を今でも夢に見ると言った。
「このライオンハート勲章はそのときのものだ。これを見るたびに、死んだ四人を思い出す。勲章など俺には何の意味もないが、彼らを忘れないためにつけている」
勲章は軍人にとっての誇りだと思っていたが、レオ様にとっては違う意味を持っているのだ。私はもう片方の手も彼の手に重ねる。震えを止めてあげたい。
「レオ様。救えなかった四人への責任を感じるよりも、守った三人のことを誇りに思うべきです。亡くなった四人も、きっとそう思っているはずです」
「ありがとう」
ふと気が付くともう家に帰らないといけない時間になっている。ちらりと時計に目をやった私に気づき、レオ様は「帰る時間だな」と呟く。辛い話をさせてしまったまま帰るのが気まずい私に、微かな笑いが投げかけられる。
「戦友にも軍医にもこの気持ちは話したことがなかった。聞いてくれてよかった」
「それなら…よかったです。私でよろしければまた」
「ああ、頼む」
「あ、けれど来週の火曜日はここへは来られません」
「仕事か?」
「いいえ。諜報部配属の同期生と約束がありまして。女性騎士同士、近況報告会をしようと」
「そうか。楽しんでこい」
帰りがけに手の甲にキスをされながら「ところで、今後は"様"はやめて呼び捨てにしてくれ。敬語もなしだ」と言われて、「できる気がしない。あなたは自分が纏う雰囲気をご存知か」と思いながらも、私は頷いた。




