不安
レオの好みなのか事務的にあっさりと行われた婚約発表も、フリン邸に王宮からの使者を迎える正式な婚約の儀式も滞りなく終わった。あとは結婚式と披露宴を待つばかり。
今日も私は王宮での講義を終え、近衛騎士に付き添われて廊下を歩く。彼らはどこに行くにもついてくるので鬱陶しい。「先輩方、自分の身は自分で守れます」と伝えたが、これが決まりらしい。私一人に対して護衛が五人もついている。それも、近衛の中でも選り抜きの隊員をつけてくれているのが、彼らが醸し出す雰囲気でわかる。腕がちゃんと使えるなら、業務をちょっと休憩してもらって、ぜひ手合わせ願いたいところなんだけど。
王宮での講義や訓練、右腕のリハビリ、そしてたまにシュミール様に会いに行っては「事件の情報は渡せない」と拒まれることを繰り返して私の日々は過ぎていく。ふと気づいたら、最近レオと過ごす時間が少ない。講義のついでに執務室に寄って挨拶したり、たまに二人でダンスの練習はするけれど、それ以外のスキンシップが減ったような…
レオも忙しいのだから当然か。でも、少し寂しい。明日はうんとおしゃれして王宮に行って、久しぶりにハグとキスをしてもらおう。リリナに「今夜は顔にパックをしてほしいの」というと、満面の笑みで頷かれて、パックどころかフルコースのエステを施してくれた。髪もしっかり保湿してつやつやに。髪に天使の輪ができたのを見て、「まさに”ピンクの天使”ですわね」とリリナが微笑んだ。
リリナが「これが最新流行です」というクリーム色に控えめなフリルがついたドレスを着て王宮に向かう。目ざとく私を発見したカロライナ殿下が「お義姉様、今日は一段とお美しいわね。シンプルなドレスの方が、お義姉様の美しさと可憐さを引き立てますわ。リリナはいい仕事をいたしますわね」と褒めてくれる。
「そういえば今日はいつもより少しお早い…ということは、まずはお兄様のお部屋に?」とカロライナ殿下がにやけを止められないといった表情で聞くので、少し赤くなりながら頷く。「きっとお兄様も見とれてしまいますわね」という声を背に、少し急ぎ足でレオの執務室へ向かうと、ちょうど執務室から誰かが出てきた。
初めて見る方だけれど、間違いない。彼女はきっとレオの元婚約者、リード伯爵令嬢ローズ様。
ロベリアが「繊細さと華やかさが同居したような方」と言っていたとおりの美しい女性だ。艶やかな黒のストレートヘアに、夢を見ているかのようなグレーの瞳。肌は血管が青く透けてしまうくらい白くて、薄くて柔らかそう。当たり前だけど、露出している腕にも首筋にも傷ひとつない。
彼女がレオの執務室で何をしていたのだろう。そう疑問に思って立ち止まった私に、彼女は「これはこれはマーガレット様…お初にお目にかかります、リード伯爵家の長女、ローズでございます」と優雅に挨拶をする。私がこれからの一生かかってももう身に着けられないような、上品で女性らしい仕草。
慌ててとってつけたようなぎこちない挨拶を返した私に、彼女はそっと近づいて囁く。
「マーガレット様、僭越ながらご忠告を」
「ぜひお伺いしたいですわ、ローズ様」
「少しドレスの裾を上げすぎですわ。そして声が少し大きすぎるようです」
「はしたない」と指摘されて赤くなる私に、彼女は勝ち誇ったような笑みをくれて、音もなく去っていった。
「レオ、いい?」
「メグか、入れ」
「レオがローズ様を呼んだの?」と聞くと「そうだ」と答えが返ってくる。では何のためにローズ様を呼んだのかと聞く私に、レオはいつものあの口角を片方だけあげる表情をする。この表情のときは、何を聞いても答えてくれない。「言えるのは、俺を信じろってことだ」としか言わないレオに、イライラしてくる。
「もういい。講義に遅れるから行くね」
講義を受けている間、「せっかくおしゃれして来たのに、レオは何も言ってくれなかった。ハグもキスもなしで」と気づいて落ち込む。部屋に入ってすぐ問い詰めるようなことをしてしまったからだろうか。それともローズ様のほうが美しいから、私を見ても何とも思わなかった?
その次の週も、そのまた次の週も、王宮でローズ様を見かけた。いつも彼女は優雅な仕草で挨拶をくれて、そのたびに私は育ってきた環境の違いを見せつけられて落ち込む。それにしても、これまでは王宮でお見かけすることなんてなかったのに、急にどうして。毎回レオが王宮に呼んでいるのだろうか。一度気になってしまうと、どんどん気になってくる。暗い顔の私に、カロライナ殿下が心配そうに話しかける。
「お義姉様、最近元気がないようですけれど、どうかなさいましたか」
「最近ローズ様がよくお見えになっているようで、気になって」
「確かにそうですわね」
「あの、もしかして王太子殿下とローズ様はまだ…というか、また…?」
「まさか!お兄様はどう見てもメグお義姉様に夢中ですわ」とカロライナ殿下は大きな声をあげ、通りかかったネリネ殿下も「あら、おもしろそうなお話をされているわね」と参戦してくる。
「けれど婚約が破談になった理由は、お二人の不仲ではありませんでしょう?」
「それはそうですけれど」
婚約中も、どちらかというとローズ様が甲斐甲斐しくレオに話しかけたりお世話をしようとされていた印象だとカロライナ殿下は言う。「お兄様もローズ様を婚約者として大切にされておられたとは思いますけれど、お義姉様に対する態度とは全然違いますわ」と。
「ローズ様は婚約が破談になったあとも、戦地にいるお兄様にお手紙を送っておられたそうよ」とネリネ様が新たな情報を追加する。「あら、それは初耳」とカロライナ殿下。
「ローズ様はまだお兄様に未練があるのかもしれませんわね」
そりゃそうだろう。本人の意思に関係なく父親が婚約辞退を申し入れたのだし、順調に結婚していたら今頃第二王子の妃ではなくて王太子妃だったのだから。未練がないというほうがおかしい。
ローズ様を見ていたら、私なんて王太子妃の器じゃないと思えてくる。「レオと二人なら大丈夫」と決意してプロポーズを受けたのに、本当にやっていけるのか不安になる。頼りのレオとはあまり会えていないし、ローズ様のことははぐらかされるし…
「とにかく、お兄様はメグお義姉様に夢中です!私たちもお義姉様のことが大好きですわ。だから何も心配することはございません」と妹殿下たちに励まされる。少し気分が良くなって、レオに会ってから帰ろうと執務室へ向かう。けれど、執務室の前で警備に止められた。
「今はリード伯爵令嬢がいらしておりますので」
またローズ様…
「わかりました」と踵を返して廊下を歩く。俯いて歩いている私の耳に、王宮に出入りしている貴族令嬢のひそひそ声が聞こえる。
「マーガレット様もおかわいそうに」
「最近ローズ様が王太子殿下のお部屋によく招かれていらっしゃるのよね」
「元婚約者ですもの、なにがあってもおかしくはありませんわ」
「やっぱり平民より名門貴族のほうが…ねえ。ローズ様はあの美しさですし」
「婚約破棄はあり得ると思われますか?」
「そうねえ。私、今からでも黒薔薇様に媚を売っておこうかしら。リード伯爵邸で開催されている勉強会にでも参加して」
「ま!現金すぎますわよ、ほほほ」
平民だからと陰口を叩かれたり妬み嫉みの対象になることは覚悟していた。それでも、「レオが愛してくれてさえいれば耐えられる」と思っていたのに…頼りのレオがあんなことでは。
なんて惨め。彼女は大輪の薔薇、私は小さなマーガレット。とにかく早く家に帰りたい。




