決意
目が覚めたら病室だった。私の腕には管が繋がれていて、輸血されていたようだ。「目が覚めたか」と心地よい声がして、レオ…王太子殿下が私の顔を覗き込む。殿下は私の手を握っている。温かい。
「なぜ…」
「死んでしまうのではと…居ても立っても居られなくて飛んできた」
王太子妃候補であるエビネ様を治安部隊の隊員が警備していることは、王宮ももちろん知っているし、何かあれば連絡も行く。「ハルクレイブ邸に侵入者があり、対応したネイト班の女性隊員が重体」と聞いて、真夜中にも関わらず彼は病院にやってきたのだ。
「よかった。本当に」と殿下が私の右頬に手をやり、親指だけ動かして頬をなぞる。引きはがすべきなのに、刺された右腕には力が入らないし、何よりこの温かくて大きい手が愛おしくてされるがままになる。もう二度と触れられないと思っていた手。「死ぬかも」と思ったときに思い出した手。目を閉じて顔を右に傾けたら、知らぬ間に涙が頬を伝って、自分が泣いているのだと気づく。
生きててよかった。また殿下に会えて、こうやって触れてもらえて本当に嬉しい。
目を開けたら、殿下の後ろにエビネ様が立っているのが見えて、我に帰る。
「申し訳ありません、エビネ様!殿下!あの…ご婚約者様の前でこのような…」
「あら、私はまだ婚約者ではなくてよ」とエビネ様は屈託なく笑う。殿下とエビネ様が顔を見合わせて「そうですわよね」「ああ」と微笑み合う様子に胸がズキンと痛む。エビネ様は他にお慕いしている方がいるとおっしゃっていたけれど、殿下とも仲良くやっていらっしゃる。お似合いの二人…頭ではわかっているのに、心がついていかない。
「そしてこれから先も、殿下の婚約者になることはありません。もちろん王太子妃にもね」
エビネ様の言葉に、私の頭は一瞬フリーズする。
「え…?では、どなたが…」
もう候補者はエビネ様しか残っていないのに。
「あなたよ、マーガレット」
目覚めたばかりのぼんやりした頭は、会話の内容に追いつけない。混乱している私に、「マーガレットが起きるのを待っている間、殿下のお気持ちを伺いましたの」とエビネ様は言う。そして「伺わずとも、病院に来たときの殿下を拝見して、全てを察しておりましたけれど」とイタズラっぽい笑みで殿下に目配せする。
真っ青な顔で病院に駆けつけた殿下は、なんと自分の血を私の輸血用に提供した。輸血が終わってからも、私が目を覚ますまでずっとここで手を握って待っていた。殿下の気持ちを察したエビネ様は「自分にも他に慕っている男性がいる」と殿下に伝え、二人は婚約しないことを決めたのだという。
「そして、さっきのマーガレットを見て、あなたも同じ気持ちだとよくわかりました。お二人のこと、心から応援しますわ」
「そういうことだ」と殿下が私に向けて微笑む。でも、身分の問題は何も解決していない。振り出しに戻っただけだ。
「でも…」
「よく聞け。時代は変わるし、変えられる。メグは過去だけ見て、正しいとか普通だとか思っている。けれど未来の正しさや"普通"は俺たちで作れる」
例えば、平民や女性が騎士になることなど昔はできなかった。けれど今は違う。身分や性別問わず騎士学校に入って騎士になる道が開けていて、それが普通になっている。昔は考えられなかったようなことが、今は当たり前。
「愛し合う者同士が、身分や性別や、いろんな偏見を超えて結ばれることが普通の世の中にも、きっとできる」
「その通りよ、マーガレット」とエビネ様。「王族も、貴族も、愛する人と結ばれるのが一番幸せだと思わない?」と、彼女も私の手を握る。ここで彼女の言葉を否定することは、彼女の恋を否定することになる。
「それは、そうですね…」
「でしょう?身分の差は超えられるって、あなたたちが身をもって示すのよ。みんなのお手本になるの」
殿下が椅子から降りてベッドの横に跪く。私の鼓動がどんどん早くなる。
「メグと結婚できないなら、一生妃は迎えない。メグのことを愛しながら他の女性と結婚しても、俺も相手も不幸になるのがわかっているから。家族にもそう伝えて、もう理解は得てる。俺を幸せにできる女性は、この世にただ一人。誰かわかるな?」
殿下が私の手の甲にキスをする。
「勇敢で優しく美しいマーガレット・フリン。心から愛してる。結婚してくれ」
私は息を吸って覚悟を決める。「死ぬ」と思った時に頭に浮かんだこと。彼を愛しているし、一生愛し続けるということ。そして、彼の愛を受け入れないまま死んだら、後悔するということ。
「ええ、殿下。喜んで」
ちゃんと答えたのに、殿下は「違う、やり直しだ」とため息をつく。
「レオだよ。敬語もなしで」
「そこ、あくまでこだわるんだね」
レオが笑顔でもう一度言う。
「メグ、結婚してくれ」
「レオ、愛してる。あなたと結婚する」
「ありがとう。反対する者がいても、俺が守るから」
「ありがたいけど、守られるだけなんてごめんよ。私も闘うし、あなたを守ってあげる」
レオは「メグらしい」と吹き出してから、そっとキスをくれた。甘い。本当はもっとしてほしいけれど、今はエビネ様の前。
「エビネ様の前だよ」
「関係ない。どれだけ待たされたと思ってる」
「お熱いこと。火傷しそうなので退散いたしますわね」とエビネ様が病室を出て行こうとしながら、「あ、マーガレット。気づいてないみたいだけど、ご家族も同僚の皆様もここにいらっしゃるのよ」と告げる。
「ええっ!?みんないたんですか!?言ってください!」
病室の壁に張り付くように立っている家族と班長、ロナルド様、ギルバート様に向かって大声を出してしまう。「今のやりとりのどこに、僕たちが口を挟むチャンスがあったと言うんだい?」とお父様が涙目で呟き、全員が頷いた。
何はともあれ、まずは班長にお礼を言わないと。
「班長は命の恩人です。適切に止血してもらえなかったら死んでいました。ありがとうございました」
「礼はいい。部下を守っただけだ」
「ネイト、俺からも礼を言う。愛する人の命を救ってくれてありがとう」という殿下の言葉に、班長は敬礼で応える。殿下は班長に握手を求めて、その背中を抱く。
「本当にありがとう。ネイトは俺の恩人でもある。メグが死んだら、俺の心も死んでた」




