22話 シモンの婚約者
「初めまして。わたくし、スカーレット……と申します」
もう私に貴族のファーストネームは無い。ただのスカーレットだ。それでも自信を持って挨拶をしようと思っていたのに、カリナ様の姿を捉えたとたん、私は言葉に詰まってしまった。
(なんて綺麗な人なの……)
透き通るような白い肌に、こぼれんばかりの大きな瞳。金色の巻毛も美しく、そのうえ女性らしい豊かな体つきに、女性の私でもうっとりと見とれてしまいそうになった。
(まるで花の女神様みたいだわ。それに比べて私は……)
ドレスだけは良質だけれど、じっくり見れば肌も髪も荒れているのがわかるだろう。そして痩せ細った私の体は、きっとみすぼらしく見えるはず。
(……みじめだわ。自分が恥ずかしくなってくる)
それでも落ち込んではいられない。私は情けなく思う気持ちをぐっと胸の奥に押し込め、目の前の女性の返事を待った。もしかしたら罵られるかもしれない。そう思って少し身構えていたのだけど、カリナ様は表情を変えずに話しだした。
「もしかして、あなたが聖女スカーレットなのですか?」
「えっ……」
カリエントまで私の名前が知られているわけはない。きっとシモン様が手紙に書いたのだろう。それでも自分から「聖女です!」と自己紹介をするのは気が引けるものだ。
(そもそも私と婚約の契約をしたのを、この方は知っていらっしゃるの? シモン様は私のこと、なんて説明したの?)
彼に聞きたいことは山ほどある。それでも女の闘いに先手を打つべく、私はにっこりと微笑んで彼女の質問に答えた。
「はい。わたくしが治癒の力を持つ聖女です!」
「まあ! やはりあなたが!」
堂々とした態度でそう言い切ると、カリナ様は驚愕の顔で私を見ている。そしてズンズンと私のもとに向かってきて、ガシッと肩をつかんだ。
「ではあなたが、シモンと婚約の契約を交わしたのですね!」
「――っ!」
(こ、怖い! 迫力のある美人ってこんなに怖いの?)
今まで妹のように可憐な女性しか近くにいなかったから、カリナ様の威圧感のある美しさに圧倒されそうだ。私は半分泣きそうになり、あっという間に「悪女」の仮面が取れてしまった。
「そ、そうです! でもわたくしは、側室の末席でいいと思っております! それで十分ですので、シモン様の妻の一人として、どうかここに置いていただけ――」
「待て待て! スカーレット! いったい君はなにを言っているんだい?」
「えっ? でも……」
あわてた様子のシモン様が、カリナ様から私を奪い取るように抱きしめる。そして近くの椅子に私を抱えたまま座ると、まるで小さい子に言い聞かせるように話し始めた。
「なにを勘違いしているのかわからないが、君は私の唯一の妃になるんだ。この国は一夫多妻じゃないし側室も取らない。なぜそんな悲しいことを言うんだい? 私を嫌いになった?」
そう言って子犬みたいな顔をすると、シモン様はカリナ様のことを気にする様子もなく、私をぎゅっと抱きしめる。こうなってしまうと、今度は私があわてる番だ。涙がこぼれないよう必死に我慢しながら、私はずっと考えていたことを口にした。
「あの、でもカリナ様はシモン様の婚約者なんですよね? それにカリナ様はあんなに美しくて、わたくしでは見劣りしますわ。わたくしはあなたに、救ってもらえただけで十分なんです。だから……」
「スカーレット、君って本当に……」
シモン様は顔を赤くして、頭に手をあてている。私はなにか変なことを言ってしまったのかもしれない。すると今度は私たちの様子をじっと見ていたカリナ様が、話し始めた。
「ちょっとお待ちになって! スカーレット様はシモンがお嫌いなのですか? もしかして彼に無理やり婚約者にされたので、今、遠回しに断っているということかしら? それならわたくしが、シモンの魔の手から救ってあげますけども?」
「えっ?」
「おい、カリナ! 余計なことを言うな!」
(シモンの魔の手? 私を救ってあげる? カリナ様はシモン様とどういう関係なのかしら? これじゃあ、まるで敵みたいだわ)
突然のカリナ様の言葉にポカンとしていると、彼女は私の前にひざまずき頭を下げ始めた。
「ご挨拶が遅れまして、大変申し訳ございません。わたくしターナー侯爵家の娘、カリナと申します」
床に直に座り頭を下げるカリナ様に、私はあわててシモン様の膝から降りて駆け寄った。
「カリナ様。そんな頭を下げないでください。わたくしはもう貴族ではなく――」
「カリナと呼び捨てで結構ですわ! スカーレット様。わたくしはこれから、あなた様の侍女になるのですから、何なりとご用件をお伝えください。それではまず、シモンをこの部屋から排除いたしましょうか?」
「え? え?」
私の手をぎゅっと握り、カリナ様はにっこりと微笑んでいる。その顔はさっきとは違い、どう見ても好意的だ。ううん。それどころか、好きでしょうがないという表情をしていて、私はオロオロと戸惑ってしまう。
すると突然私の体がひょいっと宙に浮き、肩にかつがれるようにシモン様に抱き上げられた。
「おい、ふざけるな。おまえをスカーレットの侍女にするわけないだろう!」
そのままどこかに私を運ぼうとするシモン様を、すぐさまカリナ様が追いかけてくる。進行方向とは逆を向いている私には、走ってくるカリナ様の鬼気迫る表情がよく見えてものすごく怖い。
「なんですの! その態度は! スカーレット様を独り占めするつもりですか! シモンはわたくしがどんなに聖女様を待ち望んでいたのかわかりませんの?」
ギリギリと歯ぎしりをしながら走るカリナ様は、あっという間にシモン様に追いつき、服を強引に引っ張る。
「おい! 危ないだろう! スカーレットが落ちたらどうするんだ!」
「じゃあ、わたくしを侍女だと認めなさい!」
「あ、あの、ちょっと……お、お二人とも……」
二人の口喧嘩を止めようとするけれど、まったく声が届かない。それどころかシモン様の体がグラグラ揺れるので、だんだん気持ち悪くなってくる。私は二人が大声で言い争うなか、頑張って声を張り上げ助けを求めた。
「シ、シモン様! カリナ様! お願いですから降ろしてください! わたくし、は、吐きそうです……」
疲れている状態で馬車に揺られ続けたのも良くなかったのだろう。私はうっぷと呻き声を出し、口元に手を当てた。
「す、すまない!」
「シモン! こちらの長椅子に横になってもらいましょう」
「そうだな!」
こんな時ばかり息がピッタリの二人によって、私はようやく落ち着いた環境で座ることができた。カリナ様が用意した冷たいお水を飲むと、安心してホッと息を吐く。
「すまなかった。今日は疲れていたのに騒がしくしてしまったな」
「わたくしも侍女ですのに、主人に対してとんだご無礼を……」
「おまえ……はあ~」
シモン様はあきらめたようだ。自分を私の侍女だと譲らないカリナ様を呆れたように見ると、「わかったよ」と呟いた。それを聞いたカリナ様は嬉しそうに私の顔を冷たいタオルで拭いたりと、甲斐甲斐しく世話を始める。
(それにしてもこの二人はどういう関係なんだろう。恋人の雰囲気はないけど、家族みたいな親しさはあるようだし)
そんな困惑した気持ちが顔に出ていたのだろう。シモン様は汗ではりついた私の髪の毛をやさしく整えると、優しい表情で話し始めた。
「最初から説明しよう。私たちは表向きは婚約者だったが、スカーレットにしたように契約はしていない。もちろんそういう話が持ち上がったことはあるが、私たちは絶望的に相性が悪いんだ。それにカリナを異性として意識したことは一度もない!」
きっぱりと言い切ったシモン様に、私のほうが戸惑ってしまう。それなのにカリナ様は「わかりますわ!」と言っては何度もうなずいている。
「結婚相手にするには性格が似すぎているのです。私にとってシモンは弟みたいなものなので、彼と口づけの契約をするのは無理ですわ!」
カリナ様は最後に「気持ち悪くて」と小さく付け足すと、苦しそうに胸を押さえている。しかしそんな失礼な言葉を言われたのにもかかわらず、シモン様は「私も同意見だ!」と頷いていた。
「でも周囲はそれを許してくれませんからね。とりあえず時間稼ぎをしようと二人で話し合った末、婚約しているフリをしたのです」
「私は他国に行くことが多かったから、なおさらだ。王女やその国の令嬢を娶ってくれないかと申し出がたくさんあってね。断るのが大変だから、婚約者がいるということにしたんだ」
二人は当時のことを思い出したのか、ふうっとため息を吐いている。
(どちらも美男美女ですものね。縁談を断るよりお互いを盾にしようと考えるのも無理ないわ……)
でも事情がわかって本当に良かった。やっぱり一夫多妻はちょっと、ううん、かなり悲しいもの。もちろん私がこの国の王妃にふさわしいとはまだ思えないけど、聖女として頑張れば認めてくれる人も出てくるはずだわ!
私は二人の説明にホッと胸をなでおろす。するとカリナ様が私の髪をじっと見ているのに気がついた。
「どうされましたか? わたくしの髪、変でしょうか?」
ドタバタとしていたから、おろしていた髪がボサボサなのかもしれない。そう思って聞いたのだけど、カリナ様はハッとした顔で首を振った。
「いいえ。ただ、シモンからの手紙にはスカーレット様の髪の色は『黒』だと聞いていましたから、なぜ『銀髪』になっているのかと不思議で……」
「えっ!」
あわてて自分の髪を見ると、たしかに黒かった髪が「銀色」に変わっていた。




