11話 スカーレットを守るもの
教会に着いて一番最初に出迎えたのは、長年私の教育係をしている男性だ。司教様に忠実で、いつも私を見張っている。男は私がヴェールをかぶっていることに驚いた顔をしていたが、すぐにキッと睨みつけ、文句を言い始める。
「スカーレット! あなたは結界の重要性をわかっていないのでは? こんなに遅くにやってきて、どういうつもりですか!」
自分が上の立場なのだと知らしめるようなその言い方に、私はヴェールの中から睨み返す。結界の重要性なら私が一番知っている。この男は魔力もなく、結界だって見えていない。なにひとつ役に立っていないのに、なぜこんなに偉そうにできるのだろう。
(……昨日までの私なら、ここで謝っていたのよね。子供の時からそうやって過ごしていたから気づかなかったけど、曲がりなりにも私は聖女。しかも侯爵家の人間だわ。このような言い方に我慢する必要はなかったのよ!)
きっとこれがシモン様の言っていた「教会に行けば気づくことが多い」ということなのね。一度自分のことを大事にしようと決意すると、どれだけ虐げられてきたかが見えてくる。
私はカツンと靴音を大きく鳴らし、男のほうに一歩踏み出した。いつもの態度と違うせいか、彼も戸惑うようにキョロキョロと辺りを見回している。父かオーエン殿下が一緒ではないか探っているのだろう。なんて小さい男だ。
「いつもより遅いですが、教会に来る時間は決められていないはずです。あなたに文句を言われる筋合いはありませんわ」
ピシャリと言い返すと、男は目を丸くして私をじっと見ていた。本当にいつものスカーレットなのか疑っているのだろう。じろじろと不躾に見ては、後ろから王族が来るのではないかとビクついている。それを無視して私が横を通り過ぎると、彼は焦ったように私を追いかけてきた。
「そ、その態度はなんですか! あなたにはお説教部屋が必要だと司教様に言いますよ!」
その言葉に私はピクリと眉を動かし、足を止めた。男も同時に立ち止まり、私のほうをニヤニヤと見つめている。
(……ああ、忘れてたわ。私が少しでも教会に意見すれば、あの薄暗い物置に閉じ込められてたわね)
泣いてごめんなさいと叫んでも、まだ反省が足りないと突き放された。それを父に言っても「おまえが悪いからだ」と取り合ってもらえなかったわね……。
そして今も。この男は、私が自分に許しを請うと思っているのだわ。
(虫唾が走る……。十歳の子供だった私に、この国はなにもしないどころか、痛めつけるばかりだった)
きっと今まで考えるのを止めていたのだろう。一つ思い出すと、連鎖するようにいろんな出来事を思い出す。この事だってそうだ。オーエン様に慰めてもらおうと、お説教部屋のことを相談したことがある。
父が駄目なら、婚約者の彼が教会に注意してくれると期待したのだ。しかし涙目で訴える私に浴びせられた言葉はこうだった。
「それはスカーレットが愚図だからだ! 私は一度もそのような罰を受けたことがない! もっとしっかりしてもらわないと、私の妃として恥ずかしいぞ!」
救いを求めて差し出した手は無残にもはね除けられ、私はその日から必死になって勉強や聖女としての仕事を頑張るようになったのだけど……。
(結局みんなに利用されただけだったわね。慰めて抗議してくれたのは叔母様だけ)
心の奥底に閉じ込めていたつらい記憶が、ふつふつと怒りの感情を呼び起こす。私は爪が食い込むほど手を握りしめ、心を落ち着かせるために深呼吸をして振り返った。
「無礼者! わたくしはじきに王太子妃となる身です。気安く話しかけてはなりません!」
(この国の妃ではないけれど、嘘は言っていないわ。それにこの男になんの権限があるっていうのよ!)
私はフンと鼻を鳴らし、わざと大きく靴音を響かせ歩いていく。私に恫喝され取り残された男は、呆然と立ち尽くしていた。しかし長年、聖女の私を下に見ていた彼のプライドは、かなり頑固だったようだ。
結界の部屋に続く奥の廊下に足を踏み入れた時、ふいに後ろから叫び声が聞こえてきた。
「こ、この……偽聖女が! よくも私に生意気な口を!」
その声に振り返ると、教育係の男が顔を赤くしてワナワナと体を震わせていた。血走った目で私を指差すその姿は、とても聖職者とは思えない。
「司教様だっておまえの力なんて信じちゃいない! 結界なんてあるものか! おまえはただお飾りの聖女で、王族から金を引き出すための道具なんだよ!」
男は思い知ったかという顔をしているけど、今さらだ。司教様くらいには見えているかと思ったけど、この国ではどうやら私以外魔力もなく、結界も見えてなかったみたい。
(傷つくよりも、一気に疲れがやってくる感じね……)
自分でももう少しショックを受けるかと思っていたけど、さほど心は動かなかった。
――君のことは一生、私が守る。
付き合いはまだ浅いのに、なぜかシモン様の言葉は信じられる。いっそ騙されてても幸せだと思うほど、私の心をあの言葉が守ってくれていた。
「話はそれだけですか? わたくしは急いでいますので、もう話しかけないでくださる?」
ゼエゼエと息を荒げ私を見ていた男は、その言葉にカッと目を見開いた。そしてゆらりと体を左右に動かし、顔を上げる。その顔はおぞましく、大切なものを奪われたような表情だった。
(しまったわ……私も怒りで言動を見誤ったかもしれない)
そう気づいた時には遅かった。男の気持ちを逆なでする言葉を言い過ぎたせいで、彼は私を捕まえようとこちらに駆け寄ってくる。中途半端な時間だからか、周囲には誰もおらず助けを求めることもできない。
(それに呼んだって教会の人が助けてくれるわけないわ! 逃げなきゃ!)
私はスカートをつまみ上げ、一目散に結界の部屋に向かって走っていく。あの部屋は私しか入れないようになっている。時間稼ぎにしかならないけど、きっとシモン様が助けに来てくれるはずだ。
(あと少し……!)
ようやく結界部屋の前にたどり着き、扉の取っ手を握った。その時だった。
「捕まえたぞ!」
「きゃあ!」
成人男性と体力のない私では勝ち目はなく、あっという間に腕を掴まれてしまった。男の手を引き剥がすように体を振ると、すぐさま胸ぐらをつかまれる。そしてもう片方の腕が振り上げられ、男はニヤリと笑い叫んだ。
「聖女様だなんて持ち上げられて勘違いしたのか! この詐欺師が!」
男のあざ笑う声と、ヒュンと腕が振り下ろされる音がした。
(殴られる!)
そう思って必死に身構えた、次の瞬間。
ドオンという爆音とともに、目の前にいた男の姿が消えていた。遠くからは「何事だ?」と騒ぐ人の声。周囲はもうもうと土煙が立っていて、私は思わず目を閉じた。
(い、いったい何が起こったの?)
しばらくすると煙は一陣の風に吹かれ、少しずつ周囲の様子が見えてきた。埃臭い廊下で口元を押さえ、そっと目を開ける。
すると廊下の奥に、横たわる人影があった。
「う、嘘でしょう……」
恐る恐る近づいてみると、そこに倒れていたのは、私を襲おうとしたあの男だった。苦しそうにうめき声をあげ、服がボロボロになっている。
(私たちが居た場所より、かなり遠くで倒れているなんて。吹き飛ばされたってこと? それにこの壁……)
一瞬で目の前から消え、男は壁にぶつかったらしい。私は彼がぶつかったであろう壁をじっと見つめ、ゴクリと喉を鳴らす。その嘘みたいな景色は、何度見ても変わらない。
「なにが起こったの……?」
ひゅうっと吹き込む風が、汗ばむ私の体を冷やしていく。そこにあるのは、壁に空いた大きな穴。その穴からは裏の森の木々が見えている。
私はただただ、信じられない思いで壁に空いた大穴から見える外の景色を見つめていた。




