10話 近づく二人
「スカーレット、大丈夫か?」
「……わ、わたくし……えっと……」
「婚約の契約をしたのだが、流した魔力が強すぎたようで倒れたんだ。すまなかったな。体調を考えるべきだった」
汗ばんで額に張り付いた髪の毛を、シモン様が優しく整えてくれている。彼にとっても予想外だったようで、心配そうに私の顔をのぞきこんでいた。
(婚約の契約……。そうだったわ! 私シモン様のプロポーズを受けて、それで、口づけを……)
思い出すと、かあっと顔が熱くなってくる。妃教育と聖女としての務めを果たす毎日で、婚約者だったオーエン様とだってこんなことしていない。それなのにいきなり他の男性とキスだなんて、きっと頭に血がのぼったのも原因ね。恥ずかしいわ……。
「それにしても、スカーレットは軽いな。魔力を結界に流しすぎだ。魔力の流れが悪いと、栄養をうまく取り込めないから痩せる一方だぞ」
「やっぱり軽いですか……? 私も昨夜、自分の体重の変化に気づいて――えっ! シ、シモン様! これは……!」
「こら、倒れたばかりなんだ。あまり暴れるな」
「で、ですが! あの、この体勢は……」
ぼうっとしていたせいで、シモン様に横抱きにされているのに気づかなかった。二人で長椅子に座り、私は彼の膝の上で横になっている。あわてて降りようとするけれど、その度に膝下にあるシモン様の腕が、私を持ち上げてしまう。
「シ、シモン様。恥ずかしいのですが……」
「カリエント国では婚約者を奪われないように、いつもこうやって移動するんだ。今から慣れておくといい」
「えっ! そうなのですか! で、では、頑張って慣れます……」
「ああ、いい子だ」
そう言うとシモン様はにっこりと微笑み、私を抱え直す。そしてさっきよりも強く抱きしめた。
(なにごとも慣れよね! そう、慣れるのよ、スカーレット!)
ぶつぶつと心の中で呟いていると、シモン様がクスリと笑って私の頬をふにっとつまんだ。まるで子供扱いね。きっとシモン様にとって女性とのこんな触れ合いは日常茶飯事なのだろうけど、私は時間がかかりそうだ。
はあ……とため息をつくと、シモン様がなだめるように私の頭をなで、また話し始めた。
「そうだ、スカーレット。三日後にはカリエントに帰るから、荷物の準備をしておいてくれ」
「えっ! み、三日後ですか? そんなに早く?」
予想以上に早い展開に、落ち込んでいた気持ちも吹き飛んでしまう。顔を上げシモン様を見つめると、彼は真剣な表情で説明し始めた。
「ああ、君が考えている以上に早く、王宮に戻れと連絡が来るはずだ。それまでに全ての準備を終わらせておかないとな」
「え? なぜですか? きっと妹はドレスの準備をするでしょうし、教会からの反発を恐れてすぐには婚約発表をしないと思うのですが……」
ドレスを仕立てるにしても時間がかかる。それになるべく二人で過ごしたいんじゃないかしら? そう思って首を傾げていると、シモン様は首を横に振って否定した。
「君の妹が厳しい妃教育に根を上げる時間は? あの派手好きが黒いヴェールをずっとかぶっているとでも?」
「あ……」
たしかにそうだわ。言えば願いが叶うと思っているシャルロットが、ずっとヴェールをかぶっているわけないわね。文句を言って止まらない妹の妃教育の先生として、王宮から迎えが来るのも時間の問題だわ。
頬に手を当て、ふうっと大きなため息を吐くと、シモン様が私の頬を指でツンとつついた。
「ぼうっとして後手に回ったら、相手に振り回されるぞ。なんでも先手を打って、こちらがかき回していかなくてはな」
ほんの少しからかうようなその言い方に、緊張がほぐれていく。落ち込んでる場合じゃないわね。シモン様の言うとおり、相手の出方を予想して先に行動しなくては!
「……はい。胸に刻んでおきます」
シモン様は「よしよし」と言って、私の頭をなでている。まるで躾けている最中の犬になった気分だ。それでも私より策略家の彼に従って損はないはず。決して! 褒められるのが嬉しいからじゃないわ……。
「とりあえず今日は、教会に行って魔力を注ぐフリをすればいい」
「でもフリでは司教様にわかるのでは……」
「……それもスカーレットの目で、確かめてくればいい。今日はいろいろ気づくことが多いはずだ」
含みのある言い方が気になるけど、教えてくれそうな雰囲気じゃない。きっと行けばわかるのだろう。シモン様は少し眉を下げて微笑むと、私の手を取って立ち上がらせた。
「屋敷の前に停めてある馬車を使ってくれ。支払いは済ませてあるから、戻ってくるのにも同じ馬車を使うといい。私は君の叔母上に事情を説明しておこう」
「いいのですか?」
「ああ、そのほうが早いだろう。彼女に聞きたいこともあるしな」
なんだか隠し事がある様子だけど、もう彼に任せてしまおう。普段なら教会に行っている時間だ。司教様たちに変に思われて計画が台無しになるのだけは避けたい。私が素直にこくんとうなずくと、シモン様は優しい表情で笑った。
そして一歩私に近づくと、彼の大きな手が私の頬にふれた。
「君のことは一生、私が守る。安心して行ってきてくれ」
「――っ!」
その瞬間、ばくんと心臓が跳ねた。彼の瞳から目がそらせない。耳の奥に心臓の音が響いて、体が固まってしまったみたい。
「あ、あの……」
シモン様の指が、少し開いた私の唇にそっとふれる。つうっと下唇をなぞり、彼の指先がほんの少し割り入ってくる。
(も、もう私には無理!)
「わ、わ、わたくし! 行ってまいります!」
グルンと勢いよくシモン様に背を向け、外に出た。背後で彼の笑い声が聞こえたけど、そのまま振り返らず馬車に乗り、出発する。
(シモン様って色気がありすぎるわ! あれは何人の女性を夢中にさせてきたんだか……気をつけなきゃ!)
振り返ったってそこにシモン様はいないのに、私はずっと彼に見られているような気持ちで熱い頬をずっと押さえていた。
しかしそんな熱に浮かされたような気持ちも、教会の前で待ち構えた人の姿を確認すると、あっという間に消えていく。
「スカーレット! いつもより遅いですよ! いったい何をしていたのです!」
(ああ、そうだったわ。この人も私を都合よく利用していたんだった……)
彼の姿を見たとたん、あんなにのぼせていた頭がスッと冷静になる。私は数回深呼吸をし馬車を降りると、ヴェールの中から私の教育係を睨みつけた。




