9話 シモンの提案
「い、いったい何をおっしゃっているのですか? からかっているのなら――」
「からかってなど、いない」
「ですが……」
シモン様の胸を押し返す私に、彼は怒るでもなく、むしろ優しい瞳で見つめている。朝日に照らされた彼の金色の髪はキラキラと光り輝き、透き通るような青い瞳の奥には好奇心が見え隠れしている。
(この態度、からかってるようにしか思えないのだけど……)
「ほらほら、そんな顔をしないでくれよ。私は本当に真剣な話をしに来たのだから」
無意識に顔の口角が下がり、素の表情が出ているのに気づく。いつもこうだ。シモン様と話していると、つい令嬢としての仮面が取れて喜怒哀楽を知られてしまう。
「君は昨夜、オーエンと婚約破棄をしただろう? 書類上はまだだが王宮を出ているし、いずれそうなる。それになぜか妹のシャルロット嬢が黒いヴェールをかぶって、王宮の君の部屋にいるようだしね」
シモン様はクスッと笑うと、私の手を引き、椅子に座らせる。普段の彼はもう少し王族の雰囲気を隠しているのだが、今日はなぜか大国カリエントの第一王子の振る舞いだ。人を跪かせる威圧感がある。
(まるで陛下と話をしてるみたいだわ……)
「そして、君は叔母の屋敷に身を寄せている。昨夜の君は口がうまかったね。あんなこと普段は言わないのに、演技をして王宮から逃げ出した。まあ、最後はさすがに助けに行こうかと思ったけど、まだ時期尚早かと思って止めたけど」
「最後……ですか? ああ! あれですか! オーエン様とのやりとりを見ていたのですか? それにどこまで知っているのです? 誰がいったい――」
「ちょ、ちょっと待ってよ。この話の出処は言えるわけないだろう? 国際問題になるし、それに今の君はそんな国家間の秘密に首を突っ込みたくはないはずだ」
「それはそうですけど……」
余裕の笑みで私をなだめるシモン様は、お茶を一口飲むと「そんなことより本題だ」と言って、私のほうに身を乗り出した。
「それで? カリエントの王妃になりたくないの?」
「なりたくありません!」
即答どころか、やや食い気味に返事をした。それでもシモン様は私のその態度も想定内といった様子で、ニコニコして首をかしげている。
「え~? どうしてなんだい? あいつらを見返すチャンスじゃないか? スカーレットだって自分を利用したやつらに仕返ししたいと思ってるんだろう?」
本当にこの人はどこまでお見通しなのだろうか? 私の心の中までしっかりと把握していて、思わずシモン様をジロリと睨んでしまう。そんな私を見て彼はクツクツと笑っていて、この人に取り繕うだけ無駄みたいだ。
(もういいわ! それなら、とことん素の私に戻ってしまおう!)
私はフンと鼻息を荒くすると、シモン様に向けて人差し指を立てた。
「まず第一に、先ほども言いましたが国家間の問題に巻き込まれる立場はもう嫌です。わたくしがカリエントの王妃になったら、それこそ国を挙げて大騒ぎになります。それに父を喜ばすこともしたくありません!」
さっき言ったなかでは、特に父が喜ぶことが一番腹立たしい。「よくやった」と褒める言葉すら聞きたくない。私はそんな未来の父の姿を消すように頭を左右に振ると、今度は二本の指をシモン様に突きつけた。
「次に二つ目の理由です! カリエントの王妃になるというのは、つまり……あなたと結婚するということですよね?」
「そうだよ? それが?」
「あなたには婚約者がいらっしゃるでしょう? わたくしは誰かを傷つける未来などいりませんわ! それに……」
「それに?」
シモン様の目からは、からかうような動きが消えた。真剣に私の話を聞き、見つめている。私は立ち上がると自分の腰に手を置き、高飛車な態度で彼を見下ろした。
「わたくしは自分が利用される生き方はもう選びません! ですから、同じ様に善良な誰かを利用する生き方もしたくはありませんの! 結婚はお断りいたします!」
(こんな無価値の私を王妃にしようと思うのは、なにか意図があるのでしょうけど。それでも私を救うという理由もあるはずだ。その気持ちを利用して、あの人たちに復讐したって意味がないわ!)
宣言するようにプロポーズを断った私を、シモン様は目を丸くして見ている。まあ、そうだろう。嘘か本当かわからないけど、大国の王妃になれるかもしれないのだ。そのチャンスを逃したいと思う貴族令嬢は少ない。
言うだけ言って私が椅子に座ると、シモン様は私に失望したような顔で首を振り、口を開いた。
「スカーレット、そんな甘い考えでは逃げられたとしても、すぐに捕まってしまうよ。そして王族と教会に利用されるだけの人生に戻る。いや、もっとひどいかもね。逃げた者に対して容赦するヤツなどいない」
「……どういうことですか?」
ぞっとするような低い声。さっきまでは陛下と話してるみたいだなんて思っていたけれど、この威圧感はそんなものじゃない。シモン様はスッと音もなく立ち上がると、私の椅子の肘掛けに座った。
「君はとてつもない力を持った聖女なんだよ。それこそこの国を出た瞬間に、各国が攫おうとするくらいのね」
シモン様の手が私の髪を、ゆっくりとすいていく。優しくさわる指先が、よけいにぞっと背中を冷たくさせた。
「わ、私の聖女の力がですか?」
「ああ、君は自分の力を過小評価しているよ」
私の能力は初代聖女が作った結界を守る力だけだ。教会にある水晶に魔力を注いで、もろくなった結界の修復をしている。本当にそれだけ。
そのうえさほど力が無いせいか、魔力を注ぐといつも倒れてしまう。
(司教様だって私の力は弱いと言っていたのに。そんな私の力を各国が狙うかしら……?)
やっぱりからかっているのだろうかと怪訝な顔でシモン様を見上げると、彼はふふっと意味深に笑っていた。
「まあ、聖女の力については今はいいだろう。すぐにわかることだ。それより、君は俺のプロポーズを断って、どこに逃げるつもりなんだい?」
「そ、それは……」
正直にいうと、身一つでこの国を出ていけばいいと思っていた。近隣諸国だって貧しいわけじゃない。働き口もあるだろうし、平民の女性は一人で暮らしている人もいるくらい治安が良いのはわかっていた。妃教育で培った語学力もあるからどうにかなると思っていたのだけど……。
(やっぱり世間知らずで無計画すぎるわね……)
言葉に詰まる私を見て、シモン様はさらに続ける。
「平民として暮らしたことがない君が慣れない暮らしで疲労するよりは、貴族として生きたほうがいいと思うよ。それに君は逃げるにしても一人で行くのかい? さっきの優しそうな叔母様はどうするの?」
「そ、それは……」
私の大事な叔母様。体が弱く子供を産めないということで未婚で暮らしてきた叔母様を、私は置いていけるはずがなかった。
「スカーレット、君はわかっているはずだ。魔力を注がなくなった結界はいずれ壊れる。そうなった時、この国に訪れる災害は想像できるだろう?」
結界が壊れたら他の国同様、流行病や毎年発生している暴風雨の被害が出るはず。私は関係のない国民までも見殺しにしようとしているのかしら……。そう思うと、ずしりと肩に重圧がかかってくる。
「ふっ。君はこれからこの国の王族を言い負かさないといけないんだよ? もっと自分の欲に正直にならないと。あの時は上手にできていたじゃないか」
「あ、あれは、妹の真似をしただけで……」
「そう、それだな! 君は強欲な妹の真似をするくらいが丁度いいよ!」
そう言うと、シモン様の指が、私の胸の上をトンと突いた。
「もっともっと、心のままに。欲深く生きるんだよ、スカーレット。残された者のことは考えず、自由を勝ち取れ。平和ボケしている連中を、慌てさせるのはきっと楽しいぞ」
彫刻のように整った顔に影がかかり、シモン様は不敵な笑みを浮かべている。私がシモン様にしか見せない顔があるように、彼もこのような表情をこの国で見せるのは私だけみたいだ。私は思わずクスッと笑い、彼を見上げた。
「……あなたも悪い顔するんですね」
私のその言葉に、シモン様は眉を上げる。そしてニヤリと笑うと、私の顎を掴んで顔を上げさせた。
「ああ、君もこれからこういう顔をする。この国の悪女になるのだからな」
「あ、悪女……わたくしが?」
「ああ、きっとヤツらは結界が壊れた後、そう罵ってくるだろう。この国の民を見捨てるのか? お姉様は国民が苦しむのに罪悪感を持たないのですか? ひどい! なんて女だ! そう言ってくるだろう」
(たしかにあの人たちなら言いそうだわ……)
結界が壊れ災害に対処できなかったら、きっとあの人たちは私を責めるだろう。その時にまた感情を乱され、傷つくのはもう嫌だ。
「この国が平和なのは、スカーレットの力じゃない。そう言われたのだろう。それならばスカーレットも背負いすぎるな。他国はみな聖女の力無しで、国民を守っているのだ」
「……はい」
シモン様は私の心の奥底まで見えているかのようだ。不安も戸惑いも、そして未来の私の気持ちも。やっぱり私の考えは甘いのだろう。私はぎゅっと拳を握り、目をつむった。
――それならば、私もこの国の悪女になろう
散々この国には尽くしてきたのだ。誰かを傷つけずに利用せずに復讐を遂げるのは、きっと難しい。ならば彼の言うとおり、最後は悪女の顔で笑えばいい。
「シモン様。わたくし、先ほどのプロポーズお受けいたします」
彼の瞳を見つめ、私はスッと手を差し出した。シモン様は無言で私の手を取り、立ち上がらせる。
「よく決断してくれたね。必ず幸せにするよ」
「わ、わたくしも! シモン様を幸せにしますわ!」
フンと鼻息荒くそう答えたけれど、彼の顔を見てしまうと気持ちが揺らぎそうだ。だって目の前の彼は、本当に美しく私には不釣り合いだ。頭には昨夜の自分のボロボロの体が浮かび、思わず彼から離れようとした。
しかしシモン様はそんな私をすかさず自分の胸に引き寄せ、力強く抱きしめる。そのうえ、彼は思考停止するような言葉を口にした。
「では、カリエント流に、婚約の口づけをしようか」
「えっ! く、口づけ? そんなことするのですか?」
「そんなことって、婚約するんだから恋人と同じだよ? それを了承したのはスカーレットで――」
「わかりました! わかりました! さあ! どうぞ!」
シモン様の言うとおりだ。しかも私は彼に協力してもらう立場なんだから、彼の母国のカリエントのしきたりに倣うのは当然よね! 決して! 決して! 口づけに興味があるとかじゃないわ……。
言い訳じみた言葉を飲み込み、私はぎゅっと目を閉じる。耳がカッカと熱くなり、きっと顔も赤いだろう。頬にふれるシモン様の大きな手がひんやりと心地よく、ほんの少し緊張がほぐれる。
「少し力を抜いて。唇を少し開けてごらん。そう、上手だ……」
促されるまま、力をこめていた唇を緩める。するとそっと柔らかいなにかが、唇にふれた。一度離れ、また角度を変えてお互いの唇がふれ、そして深くなっていった。その時だった。
舌にピリッとした痛みが走り、そして全身に一気に広がっていく。
(な、なにこれ……!?)
そのまま私の目の前はぐにゃりと曲がり、真っ暗になっていった。




