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第26話 今日は、わたしの誕生日

 それは、廃れてしまったものだった。


 3人だけで過ごす唯一の時間。

 3人でテーブルを囲み、年齢の数だけケーキに蝋燭を立て、火を消す。

 10本立った時は、花火のように綺麗だったのを覚えている。

 プレゼントを貰って、みんなが笑顔で、フワフワした気持ちで溢れた。


 だから、その日の眠る時間が嫌いだった。

 明日になれば、いつもの日常に戻る。

 そう考えるだけで、寂しい気持ちになった。

 でも、また来年、3人で居られると思えば、寂しい夜も乗り越えられた。

 毎年咲いていたこの時間が、最後の一輪になるとも知らずに。


 1本の蝋燭がわたしの顔を照らす。

 酒気の漂う部屋に、蝋燭の匂いは少し心許なかった。

 大好きだった時間も、今は1人で過ごす時間に変わってしまった。

 暗い部屋が現実から目を逸らすようだった。

 時折聞こえる怒号が日常となり、それにビクつき、顔色を伺う毎日。

 それでも、この日だけはと願っていた。

 でも……もう限界だった。


 どこで壊れてしまったのだろう。

 もっとお話しできていれば違っていたのかもしれない。

 もっと自分に力があれば、お役に立てたかもしれない。

 もしものお話を思い浮かべるけど、それももう遅い。


 今日が嫌いになった今日。

 嫌いだから、忘れた。

 嫌いだから……最後の火を消した。


 なのに……。


「……誕…生…日?」


 口からこぼれた言葉は、自分でも驚くほど小さかった。


「……どうして」

「だって、雪ちゃんの大事な日だから」


 迷うことなく返ってきた言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


「でも……これ……」


 袋の中には、さっき選んだ水色の携帯電話が入っている。


「わたしなんかに、こんな高価なもの……」

「雪ちゃん」


 友希さんが、わたしの言葉を遮った。


「『わたしなんか』は禁止」

「……え」

「それに……お友達出来たんでしょ」


 そう言って、友希さんは袋をわたしへ渡してくる。

 袋の重さから、友希さんの思いが伝わってくる気がした。


「ゆ、雪ちゃん、どうしたの?」

「……え?」


 頬に熱いものが伝った。


「あーえっと、ご、ごめんね!スマホじゃ嫌だった?」


 珍しくあたふたする友希さん。

 その様子を見て、わたしは袋で目元を隠した。


「ち、違うんです。これはその……」


 この感情を言葉にするのは難しかった。

 だけど……。


「なんで……友希さんはこんなことをするんですか?」


 それは、ずっと心のどこかにあった疑問だった。


 どうして、学校に行かせてくれるのか。

 どうして、毎日ご飯を作ってくれるのか。

 どうして、わたしに選ばせてくれるのか。

 どうして……わたしの誕生日なんかを覚えてくれていたのか。


 友希さんはわたしに何も求めない。


 働けとも。

 尽くせとも。

 役に立てとも言わない。


 それなら……わたしは何のためにここにいるのだろう。

 目元を拭い、友希さんを見つめる。


「……雪ちゃんは今の生活……苦しい?」

「い、いえ……ただ……」

「私はね、雪ちゃんが喜んだ顔が見たいの」

「……どうしてですか?」

「どうしてって……」


 友希さんは優しく微笑んだ。


「うーん……そんなに大した理由じゃないよ」

「……え?」

「学校に行って、今日あったことを話して、美味しいってご飯を食べて、それで……ときどき笑ってくれる」


 何ら変哲もない日常。

 だけど、わたしにとっては特別なことだ。


「それだけで十分」

「でも……わたしは何も……」

「何も返さなくてもいいの」


 ……どうして。


「役に立とうとしなくてもいい。何かを返そうとしなくてもいい。雪ちゃんがここにいてくれるだけで、私は嬉しいから」


 その言葉に、わたしは少し肩の力が抜ける。


「雪ちゃんが求める答えじゃないと思うけど、これが私の本心だから」


 そう言って、ハンカチを差し出してくる。


「……ダメかな?」

「いえ……ありがとうございます」


 胸の奥がずきずきと痛んだ。

 けれど、嫌な痛みではなかった。

 今までずっと固く結ばれていた何かが、少しずつほどけていくような……そんな痛みだった。


 差し出されたハンカチを受け取り、目元へ押し当てる。


「……っ」


 一度こぼれた涙は、なかなか止まってくれなかった。


 恥ずかしい。

 友希さんを困らせたくないのに。

 そう思えば思うほど、また涙が溢れてくる。


「ご、ごめんなさ……」

「謝らなくていいよ」


 優しい声だった。


「待ってるから」

「……」


 友希さんは、それ以上何も言わなかった。

 慰めようとも、理由を聞こうともせず、ただ隣にいてくれた。


 風が頬を撫でる。

 少し離れた道路から、車の走る音が聞こえる。

 そんな何でもない時間の中で、わたしはしばらく泣き続けた。


 どれくらい経ったのだろう。

 ようやく涙が落ち着いた頃には、借りたハンカチが少し湿っていた。


「……すみません」

「また謝った」

「あ……」


 反射的に口元を押さえる。

 すると、友希さんが小さく笑った。


「まあ、それはゆっくり直していこっか」

「……はい」

「じゃあ」


 友希さんは少しだけ明るい声を出した。


「せっかく誕生日なんだし、夜は何か食べに行こっか」

「食べに……?」

「うん。雪ちゃんの好きなものでいいよ。お寿司でも、焼肉でも、何でも」

「……」


 好きなもの。

 今日だけで、何度目だろう。


 好きな色。

 やりたいこと。

 食べたいもの。

 今までなら、きっと「何でもいい」と答えていた。

 けれど……。


「あの……」

「うん?」

「お願いを……してもいいですか?」

「もちろん。何が食べたい?」


 喉の奥が少しだけ詰まる。

 それでも、今度はちゃんと言葉にしたかった。


「友希さんの手料理が……食べたいです」

「私の?」

「はい」


 友希さんは目を丸くした。


「いいけど……本当にそんなのでいいの?」


 その言葉に、わたしは首を横に振る。


「そんなのじゃないです」

「……え?」

「わたしは……友希さんのご飯がいいんです」


 言ってから、急に恥ずかしくなった。

 視線を落とすと、友希さんはしばらく黙っていた。


「……そっか」


 顔を上げる。

 友希さんは、少し照れくさそうに笑っていた。


「じゃあ今日は、雪ちゃんの好きなもの全部作っちゃおうかな」

「ぜ、全部は……」

「誕生日なんだから遠慮しない」

「そんな……」

「じゃあ改めて……何が食べたい?」


 そう言って、友希さんはわたしの手を引く。

 まだ陽は地面を明るく照らしている。

 でも、今晩のことを考えるだけで、胸が弾んだ。

 今日は、わたしの誕生日なのだから。

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