第27話 来年もまた、この日を
「何が食べたい?」
友希さんに手を引かれながら、わたしはその言葉を何度も頭の中で繰り返した。
簡単な質問のはずなのに、すぐには答えが出てこない。
「まだ時間もあるし、ゆっくり行こっか」
悩んでいることに気づいたのか、友希さんの足取りは緩やかになった。
わたしの好きなものって何だろう?
まだわたしが、わたしを理解していない。
水色の携帯電話を選んだときと同じように、直感的に好きだと言えるもの。
誰かに言われたからでもない。
何でもいいからでもない。
わたしが食べたいもの……あっ。
「……あの」
「決まった?」
「はい、その……ハンバーグが食べたい……です」
「ハンバーグ?」
わたしは首を縦に振る。
でも、それだけでは終わらなかった。
「それと……シチューと煮物も……」
1つ言えたからなのか、もう少しだけ欲張ってみたくなった。
好きだった物を羅列していく。
言葉にするたび、胸の奥がむず痒くなる。
こんなにお願いしてもいいのだろうか。
けれど、友希さんは嫌そうな顔をするどころか、嬉しそうに笑った。
「良いね。何なら、牛肉100%のハンバーグを作ろっか」
「さ、流石にそこまでは」
「何言ってるの。今日は雪ちゃんの誕生日だよ?」
その言葉を聞くだけで、楽しみが溢れてくる。
1人じゃないって思えるだけで、わたしは嬉しかった。
「それじゃあ、材料買って帰ろっか」
「はい」
それから2人でスーパーへ寄り、必要な食材を買って家へ戻った。
「ただいま」
「ただいま……です」
靴を脱いでリビングへ向かうと、友希さんは買ってきた袋をキッチンへ運んでいく。
長い髪をてっぺんで束ね、エプロンを着ける。
「よし!じゃあ、夕飯までまだ時間あるし、下ごしらえを」
「あの、友希さん」
「ん?」
「わたしも……一緒に作っていいですか?」
友希さんが少しだけ目を丸くする。
「今日は雪ちゃんが主役なんだから、座っててもいいんだよ?」
「いえ」
首を横に振る。
「一緒に作りたいんです」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
けれど友希さんは、いつもの優しい笑顔を浮かべる。
「良いよ」
そして、エプロンを1枚わたしへ差し出した。
「一緒に作ろっか」
「……はい!」
16歳になったわたしの誕生日は、まだ始まったばかりだった。
食事の準備を終えると、夕食を取るにはまだ早い時間だった。
わたしはエプロンを畳み、事前にテーブルの用意をする。
テーブルの用意を終えて一息ついた時、部屋の隅に置いた紙袋を見て思い立つ。
掘り出すように、紙袋から携帯電話を取り出し、友希さんの元へ駆けつける。
「あ、あの、友希さん」
「ん?」
友希さんは、使った調理器具を洗っているところだった。
今言うべきでないとわかっていながらも、勇気を振り絞って言う。
「れ、連絡先を教えてくれませんか?」
水音だけがわたし達の間に響く。
友希さんは少し考えている様子だった。
少し自惚れかもしれないけど、すぐに返事が来ると思っていた。
「……最初が私でいいの?七条さん達じゃなくて?」
何故、友希さんがそう言うのか、今なら少しだけわかる。
でも、これはわたしが決めたことだから。
「友希さんが良いんです」
友希さんは水を止め、ポケットに手を入れた。
携帯電話を取り出すと、いつもの笑顔を向ける。
「じゃあ、交換しよっか」
「……はい!」
携帯電話の電源を入れ、パスワードを打ち込む。
画面をポチポチと触る度に、これが自分の物だと言う実感が湧いてくる。
触って間もない携帯電話の操作に、悪戦苦闘しながらも友希さんと連絡先を交換した。
「ありがとうございます」
画面に表示された『雪華友希』の名前を見ると、勇気を出して良かったと思えた。
「そうだ、コレも渡しとくね」
そう言った友希さんは、ポケットから猫のキーホルダーがついた鍵を取り出す。
「これは……」
「この家の鍵だよ」
「……鍵?」
友希さんの掌に置かれた小さな鍵を見る。
猫のキーホルダーが、わずかに揺れていた。
「今日みたいに私が家にいるとは限らないし、これから学校とかで帰る時間もバラバラになるでしょ?」
「でも……わたしが持っていてもいいんですか?」
「当たり前だよ。だって、雪ちゃんの家でもあるから」
「わたしの……家」
ここは友希さんの家。
わたしは、そこに置いてもらっている。ずっと、そう思っていた。
でも、友希さんは違った。
わたしが帰ってきてもいい場所。
自分の意思で扉を開けていい場所。
……わたしの家。
「必ず……大事にします!」
その鍵を受け取る。
わたしは今日だけで、どれだけたくさんのものを貰っただろう。
『何も返さなくてもいいの』
さっき言われた言葉が頭をよぎる。
それでも、いつか何かを返したいと思ってしまう。
返さなければいけないからではなくて、いつかちゃんとありがとうを伝えたいからだった。
しばらくして、夕食をテーブルに並べる。
ハンバーグ、ビーフシチュー、煮物など、わたしの好きな料理がテーブルの上へ次々と並んでいく。
並び終えると、テーブルの上には2人で食べ切れるか不安になる程の料理が乗っていた。
「ちょっと作り過ぎたね」
「でも、特別感はあります」
「それなら成功かな」
友希さんは満足そうに笑うと、わたしの向かい側へ座った。
ハンバーグからは湯気が立ち、ビーフシチューからは濃厚な香りが漂っている。
煮物もいつもより少しだけ豪華に見えた。
どれも、わたしが食べたいと言ったもの。
その事実だけで、胸の奥がむず痒くなる。
「じゃあ、改めて」
友希さんが両手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
最初に箸を伸ばしたのは、ハンバーグだった。
一口分を切り分け、口へ運ぶ。
柔らかい。
噛んだ瞬間に肉汁が広がり、ソースの甘さと混ざり合う。
「……美味しい」
「ほんと?」
「はい!」
思わず大きな声が出た。
友希さんは一瞬驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「よかった。牛肉100%にした甲斐があったよ」
「これが牛肉100%……初めて食べました」
ハンバーグを食べて、シチューを食べて、煮物を食べる。
いつもなら何気なく食べていた料理も、今日は少しだけ違って感じた。
きっと料理が特別なのではない。
この時間そのものが、特別なのだ。
「雪ちゃん、シチューおかわりいる?」
「いただきます」
差し出したお皿に、友希さんがシチューをよそってくれる。
昔も、こんなふうに3人で食卓を囲んでいた。
その記憶が、一瞬だけ頭をよぎった。
胸の奥が少しだけ痛む。
でも、不思議と嫌ではなかった。
思い出してしまったのではなく、思い出せた。
そんな気がした。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
お腹が苦しくなるほどいっぱいなのに、テーブルの上にはまだ料理が乗っていた。
「さすがに作りすぎたね」
「でも、明日も食べられます」
「それもそうか」
友希さんは残った料理を保存容器へ移していく。
わたしも食器を片づけようと立ち上がると、友希さんに肩を押され、座らされた。
「今日は座ってて」
「でも……」
「今日は主役なんだから、遠慮しない」
「……はい」
少し前なら、申し訳なさで落ち着かなかったと思う。
けれど今は、ほんの少しだけ。
誰かにしてもらうことを、そのまま受け取ってもいいのかもしれないと思えた。
しばらくすると、食器を片づけ終えた友希さんが冷蔵庫の前に立った。
「それじゃあ、最後はこれ」
「最後?」
冷蔵庫の扉が開く。
そこから出てきたのは、白い箱だった。
友希さんが箱をテーブルの上へ置き、蓋を開ける。
「……ケーキ」
箱に入っていたのは、2つのカットケーキだった。
白い生クリームの上に、色鮮やかな果物が並んでいる。
「本当はホールケーキにしようと思ったけど……流石に2人だと多いと思って」
「……」
「雪ちゃん?」
言葉が出なかった。
嬉しい……そう思ったはずなのに。
友希さんが取り出した2本の細い蝋燭を、それぞれのケーキに1本ずつ立てる。
ケーキの上に蝋燭が立つ。
あの日の光景と重なった。
1人きりの部屋。
酒の匂い。
揺れる1本の火。
最後に、自分で消した光。
「……雪ちゃん?」
友希さんの声で意識が戻る。
「大丈夫?」
「……はい」
胸の奥はまだざわついている。
でも、逃げたいとは思わなかった。
目の前にあるのは、あの日のケーキじゃない。
ここは、あの部屋でもない。
それに……今は一人じゃない。
「せっかくだから、火もつけよっか」
「……はい」
友希さんが小さなライターを取り出す。
カチッと乾いた音のあと、小さな火が灯った。
その瞬間だった。
「……?」
友希さんの手が止まった。
ライターの火を見つめたまま、何かを忘れてしまったように動かない。
「友希さん?」
「……え?」
呼びかけると、友希さんは我に返ったように瞬きをした。
「あ、ごめんね。ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
いつもと同じ笑顔。
だから、わたしもそれ以上は聞かなかった。
友希さんは蝋燭へ火を近づける。
小さな炎が移り、ゆらゆらと揺れ始めた。
けれど、ライターの火が消えた瞬間、友希さんがほんの少しだけ息を吐いたように見えた。
気のせい……だろうか。
「よし」
友希さんは何事もなかったようにライターをテーブルから離す。
「電気、消すね」
「はい」
部屋の明かりが消えた。
暗闇の中、蝋燭の火だけがわたし達を照らしている。
揺れる、小さな火。
昔と同じはずだった。
あの頃は、この火を消すことが嫌だった。
消してしまえば、楽しい時間までなくなってしまう気がしたから。
そして最後には……もう二度と見たくないと思って、自分から消した。
「雪ちゃん」
でも今は違う。
2つの小さな火が、わたしと友希さんを照らして
「お誕生日、おめでとう」
「……」
今日、何度目だろう。
それなのに、不思議だった。
初めて聞いたときよりも、ずっと素直にその言葉を受け取れた。
「……ありがとうございます」
声が少し震える。
今日も、明日も、その次の日も。
こうして一緒に過ごせたらいい。
目を閉じて、小さく息を吸った。
「……ふぅ」
蝋燭の火が消えた。
一瞬、部屋が真っ暗になる。
でも……怖くなかった。
「……おめでとう」
パチッと明かりがつく。
そこには、さっきまでと何も変わらない友希さんがいた。
火を消しても、何もなくならなかった。
今日が終わっても、明日が来る。
明日になっても、わたしには帰る場所がある。
そんな当たり前のことが、今はどうしようもなく嬉しかった。
ふと見ると、友希さんも小さく息を吐いていた。
どこか安心したような顔に見えたけれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「……友希さん」
「ん?」
「今日……楽しかったです」
口にした瞬間、胸の奥が温かくなる。
友希さんは少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「私もだよ」
昔、嫌いになった今日。
忘れようとした今日。
もう二度と好きになることはないと思っていた。
でも……来年もまた、この日を迎えたい。
初めて、そう思えた。




