第14話 ペンを置いた日、また握った日
机の上に置いたノートは、何も書いていないのに重かった。
昨日、学校で聞いた「テスト」という言葉に押しつぶされそうになる。
友希さんから頂いた教科書は、まるで魔術書のように、何が書かれているのかわからなかった。
わたしが出来ないとバレたら……迷惑をかける。失望される。捨てられる。
そんな考えが勝手に並んで、頭の中がうるさくなる。
「さて雪ちゃん……勉強に関して何だけど……どう?」
心臓が弾ける音がしました。
裁判の証言台に立たされて、断罪の時を待つかのような気持ちです。
正直に話すべきだとわかっているのに、言葉が喉につっかえて出てきません。
「……大丈夫。一緒にやっていこっか」
わたしの手をそっと握り、大丈夫と諭してくれる。
その手の暖かさはすごく心地よくて、安心感を与えてくれた。
「とりあえず、目標を決めようか」
そう言って、友希さんは机の上に数枚の紙を置きます。
「これは……ネットで見つけたテストなんだけど、これを8割以上取れるように、一緒に頑張ってみようか」
「は、はい!」
その言葉が怖さを少しだけ薄めた。
ノートを開く手が震えたままでも、逃げなくていい気がしました。
友希さんに言われるがまま、わたしは教科書に視線を落とします。
テストは国数英の3科目のみ。
科目が少ない分、出来る限り時間をかけて勉強をしたいのですが、そうは言ってられません。
数学1をやっていますが、テスト範囲が教科書1冊の半分にまで達しています。
他の教科も同じくらいの範囲をしている為、時間はあまり無いようです。
「結構範囲広めだけど、大丈夫。私が絶対に出る箇所を教えてあげる……とその前に」
友希さんはそう言って、テスト用紙とは別の紙を2枚、わたしの目の前に置きます。
2枚とも練習問題と書かれた紙でした。
「まずは、雪ちゃんがわからない部分を知りたいから、簡単な練習問題をやってみよっか」
「は、はい……が、頑張ってみます」
「制限時間は30分。もし、わからなければ飛ばしても良いし、これ以上は出来ないと思えば、ペンを置いてね」
「わ、わかりました」
「それじゃあ……スタート!」
その掛け声と共に、わたしは紙に視線を落とします。
問題は数学。
1問目の問題を見た瞬間、ペンを持つ指が止まる。
問題自体はかなり優しい。問題文の中に公式が入っており、通常ならば解けやすいようになっています。
ですがそれは、使い方や意味を知っていればの話です。
わずかにペンを動かします。何となく『こうだった』と公式にそれっぽく数字を当てはめていきます。
しかし、どんな『解の形』にすれば良いのか思い出せません。
……少し期待してました。最初の問題くらいは自力で解けると。
しかし、現実はそう甘くありません。
思い出そうとすると頭の奥が白くなる。
そこだけ、切り取られたみたいに。
指先が動かなくなって、わたしはペンを置いた。
「……すみません……もう……限界です」
声が震えていました。
顔を上げられない。友希さんがどんな顔をしているのか、見るのが怖かった。
でも、怒鳴られる気配はありませんでした。
代わりに頭にそっと手が置かれて、撫でるみたいに一度だけ指が動きました。
「うん……ありがとう」
……何に、ありがとうなんでしょうか?
わからない。でも、その一言が胸を温かくした。
熱を下げるみたいに静かで、その静けさがわたしの胸を少しだけ軽くした。
そして、友希さんの指がわたしの前にあるプリントの端をそっと整えた。
「ね、今日は解く日じゃなくて、読めるようになる日にしよっか」
「……よ、読める……ですか?」
「そう。問題を見て、何を聞かれてるかが分かれば、それだけで前進」
読めるだけで……前進……そんなので許されるのでしょうか?
不安と疑問が消えないまま、わたしは再びペンを持ちました。
「じゃあ、最初の1問を一緒に見てみよっか」
友希さんは1問目の問題を指差します。
「この問題なんだけど、すごく良いところまで解けてるよ」
わたしの書いた解の過程を指でなぞりながら、友希さんは言いました。
「後は答えを求めるだけだけど……もう一度やってみよっか」
「わ、わかりました」
そう言って、友希さんはノートを開き、わたしの手元に置きました。
「まずは、この問題で何を求めたいかわかるかな?」
「……はい、このXです」
「そうだね。じゃあ、この子が何者なのか突き止める為に、ヒントになるものに丸をつけてみよっか」
わたしは恐る恐る問題文の中の数字に丸をつけた。
不要な部分がなくなったことで、問題が何を言いたいのか少し見えた気がした。
「それで、このXさんの正体を探る為に、とある力を借りようか」
「……公式……ですか?」
「そうそう。じゃあ、この公式の使い方だけど、このAとBの文字に数字を代入すれば、答えが出るんだよ」
友希さんは公式の横に、AとBの文字を書きます。
「今度は、この文字の数字を考えてみよう。どれがAで、どれがBかわかるかな?」
「……えっと……丸をつけた……こちらがAで、こちらがB……ですか?」
「正解。ここまで来れば、答えはもう目の前……だけど、今日は読んで形にする日」
友希さんは教科書を開き、赤ペンで教科書の練習問題に丸を書いていきます。
「今日は、ここまで出来たら、数学は終わりにしよっか」
友希さんが丸をつけたのは、同じ型の練習問題が並ぶページだった。
「最初の一問は一緒に。残りは同じ手順でいけるよ」
「わ、わかりました」
ペンを握る指に力が入ります。
問題文を読み、ヒントになる部分に丸をつけ、公式に当て嵌め、ノートに写して行きます。
しかし、言うは易し行うは難し。最初はサクサクと進みましたが、後半になるほど指が止まる時間が増えていきます。
でも、友希さんの助言を思い出しつつ、わたしは確実に一問一問、問題を形にしていく。
そして……。
「……でき……ました」
指定された問題を形にし終えて、ペンを置きます。
「ゆ、友希さん!ど、どうでしょうか?」
わたしはノートを友希さんに見せます。
友希さんは何も言わずに受け取り、ノートをマジマジと見つめます。
「うん、すごい!全部合ってるよ。よく頑張ったね」
その言葉で喉の奥が熱くなった。
叱られると思って固めていた肩が、遅れてほどけていく。
捨てられない。
やるべきことをやっただけなのに、そんなことまで思ってしまう自分が少しだけ怖い。
でも、怖いのに……嬉しかった。
「この調子で他の教科もやってみよっか」
「……はい」
返事をした声が、昨日より少しだけ、ちゃんと部屋に響いた気がした。




