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第13話 次の約束

 廊下に出た瞬間、空気が変わりました。

 ワックスの甘い匂いと、遠くから混じる掛け声。

 夏休みのはずなのに、どこか張り詰めた匂いがします。

 わたし達の靴音だけが、大きく反響します。


「こちらです、雪さん」


 霧宮先生の背中を追いながら、わたしは無意識に友希さんの姿を目で追いかけた。

 友希さんがどんな表情を浮かべているのか、気になってしまったのです。


「……大丈夫。案内だけだよ」


 わたしの視線に気づいたのか、友希さんは小さく笑って、わたしの手を包みます。

 けれど、その指先の温度さえも、今は心許なかった。

 色んな不安が交差し、解けない糸のように絡み合い、わたしの体を締め付けます。


 廊下の角を曲がった先で、急に視界が開けた。

 体育館の扉が少しだけ開いていて、内側の光が廊下にこぼれていました。

 床を打つ音と、笛の鋭い合図。胸がきゅっと縮んだ、その時でした。


「……友希先輩?」


 呼び止める声。振り向くと、ジャージ姿の女性が立っていました。

 汗で濡れた前髪の奥、目だけが真っ直ぐ友希さんを捉えていました。


「え!何でいるんですか!?」


 彼女は抱きつく勢いで、友希さんに近づきます。

 

「ええーっと、貴方は確か……凛ちゃん……だっけ?」

「覚えててくれてたんですね!」


 そして、わたしと目が合います。


「そちらは友希先輩の……従姉妹さん?」

「まあ……そんなところかな」


 彼女はわたしを品定めするように、頭から足先までじっくりと見つめます。


「へぇ、何か……メチャクチャ可愛くないですか?」

「でしょ」


 友希さんはドヤ顔でそう答えます。何だか恥ずかしいです。

 凛と呼ばれていた女性は手を差し出してきます。


「あたしは3年生の島村凛って言います。貴方は?」

「わたしは……い、1年生のゆ、雪華雪と言います」


 そう答えて、わたしは凛さんの手を握ります。


「雪華雪……へぇ?」


 凛さんはわたしと友希さんの顔を交互に見ます。

 鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くさせ、凛さんは言います。


「同じ名前なんですか!?」

「……まあそう言うことだから、雪ちゃんのことよろしくね」

「はい!もちのろんです!」


 そう言って、凛さんは敬礼ポーズを取ります。


「と言っても、あたしは3年生なので、あんまり関わる機会がないような……」

「……まあ時間があれば、顔を見せてやって欲しい。暇でしょ?」

「先輩!あたし、今年受験生なんですよ!」

「アハハッ、ごめんごめん、冗談だよ」


 子供っぽく無邪気に笑う友希さん。

 知らない友希さんの顔がそこにはありました。


「霧宮先生……友希さんはこの学校ではどんな人だったんですか?」


 わたしは友希さんのことを知りたい。

 友希さんがどうしてわたしに優しくするのか。

 だから、昔の友希さんを知っている人に聞けば、何かしらの手掛かりになるはずです。


「そうですね……とても頼りになる人……でしたね」


 そう答える霧宮先生の顔は、どこか嬉しそうに感じました。


「わたくしも、友希さんにはお世話になりました。何度も助けていただいて『本当にこの子学生?』と疑ってしまうくらいには、大人びていましたね」


 何だか、現実味がなくて怖い。

 生徒ならいざ知らず、先生にまでそのような評価をされるとは。

 そんなふうに語られるほどの人を、わたしは何も知らない。

 友希さんのことがより一層、わからなくなって来ました。


「そうだ!友希先輩、お願いがあります!」


 凛さんが体育館の扉を指さして、息を弾ませた。


「ほんのちょっとでいいんです。昔みたいに……あたしと1on1してください!」


 友希さんはすぐに答えなかった。

 代わりに、わたしを見る。

 その視線だけで、胸の奥がきゅっと縮む。

 嫌だと言えば、迷惑をかける。いいと言えば、置いていかれる。

 どちらも怖くて、喉が動かなかった。


「……ごめんね。今日は無理」


 その言葉に息が詰まりそうでした。


「えぇ~!? なんでですか!」

「まず、体育館シューズ持ってない。あと、今日の目的は雪ちゃんの案内。寄り道したら、迷子になるのは私だから」


 それを聞いた凛さんは顔を赤くして頬を膨らませる。


「……その子が……大事なんですね」

「当たり前でしょ。従姉妹なんだから」


 友希さんは笑ったまま、わたしの手を軽く握り直した。

 その小さな力が、わたしの中のざわめきを少しだけ静める。

 凛さんは唇を尖らせたまま、でも諦めきれないみたいに一歩近づく。


「じゃあ……次はいつ会えるんですか?」


 その言葉だけで、凛さんにとって友希さんがどれだけ大事な人だったのか……わかる気がしました。

 まるで子供が母親との別れを悲しむように、凛さんも寂しさを感じているようです。


 友希さんは一拍だけ置いてから、静かに頷いた。


「うん。次に来るのは……今週の土曜日かな。その時なら、いくらでも時間作るよ」

「……ほんとですか?」

「ほんと。だから、凛ちゃんも……首洗って待ってろ」


 凛さんの顔がぱっと明るくなる。

 さっきまでの不満が嘘みたいに消えた。


「はい!そっちこそ!首洗って待ってろ……です!」


 霧宮先生がくすりと笑った。


「島村さん、まだ部活中でしたよね?続きはまた今度に」

「はーい!雪ちゃんも、また!」


 凛さんはわたしにも手を振った。

 その笑顔に、胸の奥が少しだけ痛む。

 わたしは、あの『また』にこんな風に笑って返せるだろうか。

 凛さんが体育館へ戻っていく背中を見送っていると、霧宮先生がこちらへ向き直った。


「では、案内を続けましょう。雪さん、こちらへ」

「……はい」


 返事をした声は少し乾いていた。

 さっきの短いやり取りだけで、わたしは知ってしまった。

 友希さんは、この場所でも誰かの記憶の中でも、ちゃんと友希さんだったのだと。


 わたしの知らない時間。

 わたしの知らない顔。

 それが怖いのに、同時に……少しだけ、羨ましい。


 霧宮先生の後を歩きながら、わたしは握られた手の温度を確かめるみたいに、指をそっと動かした。

 友希さんは気づいたのか、何も言わずに、ほんの少しだけ握り返してくれた。

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