第12話 借りものの雪華
見上げるほど高い校門だった。
鉄製の門柱には校名が刻まれ、朝日を受けて鈍く光っている。
ここが……『ホーリー女子高等学校』……ですか。
わたしは制服の裾をギュッと握ります。
学校へ行くと聞き、身構えていました。
てっきり、菊の花学園に戻るのだとばかり思っていたから。
でも、違う。
知らない場所、知らない空気。
胸の奥がザワザワと落ち着きません。
「雪ちゃん、ボーッとしてるけど……どうしたの?」
「い、いえ……何でもありません」
夏休みと言うこともあって、校舎内は閑散としており、学校本来の賑わいは潜めていました。
「雪ちゃん、コッチだよ」
友希さんはわたしの手を握り、校舎内を歩き始めました。
友希さんの足取りには迷いがなく、まるで慣れ親しんだ道を歩くみたいに、スムーズに進んで行きます。
そして、着いた先は応接室でした。
扉をコンコンコンと叩くと、「どうぞ」と声が掛かります。
中に入ると、スーツを着た若い女性がソファに腰掛けていました。
「失礼します」
「……し、失礼します」
友希さんは緊張した様子を見せず、堂々とソファの方に歩いていきます。
わたしもそれに続き、女性の座る対面側のソファで立ち止まりました。
「初めまして、先日お電話した雪華友希と言います。本日は転校の件でお伺いしました」
友希さんは落ち着いた声でそう言いました。
迷いも、震えも、何もありません。
向かいに座る女性の先生は、にこりと微笑みます。
「……初めまして、私は霧宮薫と言います。要件は伺っております。どうぞ、お掛けください」
そう言われて、わたし達はソファに腰をかけます。
そして、友希さんは鞄から書類を取り出し、話を始めます。
わたしは黙って話を聞きながら、机の上の紙に目を落としました。
在籍証明書、転学照会書……見慣れない文字が、行儀よく並んでいる。
綺麗なはずなのに、どこか怖い。
紙の上の文字が「あなたは大丈夫ですか」と、静かに問いかけてくる気がして。
指先がじわりと冷えました。
それでも友希さんは、淀みなく答えていきます。
迷いがない。わたしだけが、置いていかれそうになる。
「これで記入いただきたい書類は全部です。後は学力把握テストと面接ですが……土曜日に実施しようと思います。ご都合はよろしいですか?」
テスト……面接……その言葉だけで、胸がキュッと締めつけられます。
「……雪ちゃん、どうしたの?」
気づけば、友希さんがこちらを見ていました。
「わ、わたしは……その」
い、言えません。
わたしが……高校の勉強をまともにやれてこなかったことを。
このままでは友希さんに迷惑をかけてしまいます。
言わなければいけないのに……怖い……なんて。
「大丈夫です」
隣から、優しい声が落ちてきました。
「私が付いていますから」
迷いのない声でした。
肩の荷が降りたように、スッと心が軽くなります。
その様子を見て、先生がふと懐かしそうに笑います。
「まあ、友希さんがいれば問題ないですね」
柔らかい言い方に、ただならぬ信頼を感じました。
「形式的な挨拶はこれくらいにして……お久しぶりですね、友希さん」
「はい、薫先生もお変わりないようで」
空気が変わります。
さっきまでの手続きの場から、急に昔を知っている人同士の距離に変わりました。
「ニュースで見ました。ご両親のこと……悲しい出来事でしたね」
「……はい」
初耳でした。
思わず横を見るけれど、友希さんの表情は崩れていません。
むしろ、真っ直ぐと視線が前へと向いています。
「心配しました。でも、あなたなら大丈夫だと思っていました」
「はい……色んな人に助けてもらいましたから」
微笑む友希さん。
きっと、わたしの知らない時間がある。そう思うと、背筋が伸びた。
それに比べてわたしは……まだ引きずってばかりです。
「そう言えば」
先生が書類から顔を上げて微笑んだ。
「雪さんと友希さん、同じ姓で、しかもお名前も同じなんですね。書類上はどちらも雪華になっていて……今後どうお呼びすればいいか迷ってしまって」
わたしの胸が、ひゅっと縮む。
雪華……その文字は、わたしのものじゃない。
わかっています。わたしは名目上は養子でこの姓は、借りているだけです。
勝手に名乗れば、友希さんに失礼になる。そう思ってしまう。
「そうですね」
友希さんは書類に視線を落としたまま、淡々と笑います。
「この際ですから、先生には私のことは雪華と呼んでください。当時の生徒さんみたいに」
「それは……慣れないですね」
照れ臭そうに笑う先生。
「でも、わかりました。雪さんは雪さんのままで、友希さん改め、雪華さんとさせて頂きます」
先生が決めるように言って、場の空気が少しだけ軽くなる。
けれど、わたしの中の重さは消えなかった。
これから雪華と呼ばれるたびに、借り物の服を着せられているみたいで……息が詰まります。
その時、友希さんの指が、そっとわたしの手を包んだ。
何も言わない。だけど、握る力だけが「大丈夫」と言っている気がした。
「そうだ雪さん」
「は、はい」
「この後、学校の案内をしたいのですが、お時間は大丈夫ですか?」
わたしは一瞬、友希さんの方を見ます。
許可を待つみたいな自分が、嫌でたまらないのに……体が勝手にそうしてしまう。
友希さんは小さく頷いて、わたしの手をそっと握ります。
「大丈夫。嫌だったら、途中で帰ろう」
その一言で、胸の奥の固さが少しだけほどけました。
「……お願いします」
先生が立ち上がり、扉へ向かいます。
「では、行きましょうか。雪さん、こちらへ」
廊下に出ると、ひんやりした空気が肌を撫でた。
わたしの靴音だけが、やけに大きく響く。
この先に、わたしの居場所はあるのでしょうか?




