閑話 3
――思えば……あの頃が一番、幸せだったかもしれないわね。
お母様がいらした頃も幸せだったけれど、あの人はいつもなにかに怯えた様子で、あたくしを常に見える所に置きたがっていたわ。
大事にされていたといえばそうなんでしょうけど、大きな音に反応して時折見せるお母様の鬼気迫る表情は、正直なところ幼心に怖かった。
だから、あたくしが心から幸せだと思えるのは、領に戻ってカイルと出会った、あの頃の事だわ。
仲良くなれたきっかけは、カイルとレントンが当時頭を悩ませていた畑づくりを手伝った事ね。
植物についてはあたくしも知識があったけど、育成そのものをしたことはなかったから、屋敷の書庫にある本を調べたり、庭師を孤児院に連れて行って助言してもらったりしたわ。
カイル達はおやつで出た果物の種を育てようとしてたんだけど、どうやら畑に直播きしてたのがよくなかったみたい。
鉢で育てて、苗になってから畑に植え替えるようにすると良いという庭師の助言を受けて、あたくしは孤児院の子供達の数だけ鉢を用意したのよね。
そして子供と一緒に、種を鉢に埋めたわ。
あの時の子供達のわくわくが抑え切れないって表情は、今でも忘れられないわね。
畑に植え替える時は、あたくしも一緒にやらせてもらったわ。
きっと王都の貴族令嬢達からしたら土いじりなんて考えられない行動でしょうけど、お母様もご実家では畑の世話をしてたってサントスが言ってたもの。
娘のあたくしが同じことをしたって、不思議じゃないでしょう?
それがきっかけであたくしは、カイルや孤児院の子供達と打ち解けていったわ。
そして……半年くらい経った頃かしら。
――僕はアイリスお嬢様を守る騎士になりたい。
まっすぐな青い目で、カイルがそう言ってくれたあの日の思い出は、あたくし一番の……ぴっかぴかの宝物……
あたくしはカイルと同じように、父親の仇を取る為に強くなりたいというレントンの願いを叶える為に、彼らに指導できる人を探すようサントスに頼んだわ。
そうして冒険者ギルドから、アリーが紹介されてやってきた。
ずっと甲冑姿の変な人だったけど、その技量や魔動の強さはあたくしにもはっきりとわかるほどだったわ。
さすが上級冒険者というだけあって、いろんな経験をしてきたみたいで、彼女が話す冒険のお話はカイルやレントンだけじゃなく、あたくしまでわくわくして聞き惚れたわね。
当然、孤児院の子供達もすぐに懐いたっけ。
あの人の厳しくも優しい指導のお陰で、カイルとレントンはめきめきと武術の腕を上げていったわ。
ふたりが十二歳で冒険者登録試験を突破できたのは、アリーのお陰に他ならないわね。
この年齢で登録できたのは、半年ほど前にどっかで登録した少女だけって話で、ギルドの受付嬢も今年は当たり年かもしれない――なんて驚いてたっけ……
アリーがふたりを冒険者にしたのは、コートワイル領に点在する遺跡で魔獣戦闘を経験させる為だったわ。
当時はなぜ山野に生息する魔獣じゃなく、わざわざ冒険者になってまで遺跡に潜って魔獣の相手を――なんて思ってたけど、エルザの記憶を得た今なら、アリーのその判断がひどく合理的だったってわかるわ。
遺跡に住み着いた魔獣は山野のそれと違って、拠点防衛用の攻性生物やその子孫だったのよ。
両者の違いは、縄張りの差ね。
自然の魔獣の性質が野生の獣に近いのに対して、遺跡に生息する魔獣――攻性生物は番犬に近いのよ。
定められた防衛領域から、大きく移動する事がほとんどなく、縄張りに忍び込んだ者が居ても、領域から逃げ出すのならそれ以上は追わない。
アリーはきっと経験則からそれを識っていて、いつでも逃げ出せる攻性生物を相手にカイル達に実戦経験を積ませたのね。
騎士になる為にめきめきと力をつけていったカイルとレントンだったけど、やがてアリーでもどうしようもない――ふたりの生まれついての障壁が立ちはだかる事になったわ。
――ふたりは騎士になるには、決定的に魔動が弱いんだ……
アリーがあたくしに告げた、あの悔しげな声色を今でも覚えてる。
庶民の生まれのふたりは、生まれつき魔道器官から発せられる魔動が弱いのだ、と。
騎士となるには兵騎と合一できなくちゃいけないのに、ふたりは騎士見習いや一部の強い衛士でも合一できる、要求魔動が少ない軽奏兵騎ですら合一できなかったらしいわ。
……本当に世界は理不尽だと思った。
部屋で独りになった時に、〈三女神〉を罵ったりもしたわ。
なんの努力もしていない、あの愚かな兄達はお父様や家の力で、のうのうと目的もなく日々を過ごしている。
幼い頃に王城で見た、アルベルト王子やグランゼス公爵令嬢のアリシアもそう。
優秀な両親に恵まれて、生まれ持った才能で世間に持て囃されてて……
カイルとレントンはこんなに努力しているのに、生まれつきの体質の所為で彼らの足元にも及ばないってなぜっ!?
努力は正当に報われるべきでしょうっ!?
納得いかなかったわ。
その気持ちをそのままぶち撒けると、アリーも同意してくれた。
――だから、あたしとは別に魔道士の指導者を募ろう?
魔道士独自の視点からならば、自分とは違う解決方法が見つかるかもしれないと、アリーはあたくしを励ましてくれた。
アリーがふたりの成長を諦めずにいてくれた事が心から嬉しくて、こっそり涙を拭ったわ。
そうして二人でサントスに相談して――スクォールがやってきたのよね。
あたくしのスクォールの第一印象は、『人生に倦んだ学者』だったわ。
くすんだよれよれのローブを着て、伸ばしっぱなしの髪を紐で無造作に束ねた、くたびれたおじさん。
でも、あたくしを見る目がひどく嬉しそうで、優しかったのを見て……あたくしはあいつを信用してしまった。
……それが……あいつを信じた事が、あんな事に繋がるなんて、当時のあたくしは想像もしていなかったわ。
スクォールが提案した魔道的な施術によって、あたくし達を悩ませていた問題――カイルとレントンの魔動の弱さという障壁はいとも容易く取り去られたわ。
当時のあたくしはスクォールの説明をまるで理解できず、アリーがカイルとレントンの安全を確認するのに任せてしまっていた。
けれど、エルザの記憶を得た今なら、スクォールが……あの大魔導が大霊脈から隔絶されたこの世界で、どれほど慮外の技術を持っていたのかがわかるわね。
――この世界の人類は、魔道器官の機能の一部が封じられている。
それは自然なものではなく、人為的な処置によるもので、親から子へと遺伝する性質を持っていたわ。
いつからそうなのかはわからないけれど、たぶんサティリア教会の聖典にある『魔王の呪い』というのが、魔道器官が封じられた事を端的に示した逸話なんだと思う。
そしてそんな世界規模の魔道的な処置を施せる者なんて、この閉ざされた世界ではひとりしか居ないはず……
――大銀河帝国賢者委員会が誇る、七賢者が青……ドクトル・アジュア。
エルザの記憶と照らし合わせたなら、聖典にある魔王とは彼女なのだと想像できる。
<大戦>以前の既知人類圏で、我が――いいえ、エルザの師であるドクター・サイコパス主導で行われていたA.T.C計画。
当時の先生の資料によればそれは、自然発生に任せるしかなかった上位人類――ハイソーサロイドを越える、次世代人類を人工的に生み出すというものだった。
かつて人類がまだ〈母星〉や、その星系を居住圏としていた時代。
人類の大半は魔道器官を持たない、旧人類と呼ばれる種属だったのだという。
その旧人類すべてに対して、〈三女神〉を生み出して、その加護という形で魔道器官を広めたのが、現行人類史最古のマッドサイエンティスト、ドクター・ヒロシ・マツド。
彼はいわば、旧人類を進化させた立役者というわけね。
先生――じゃない、ドクター・サイコパスはその古い古い……〈母星〉時代まで遡る逸話をモデルにして、人類のさらなる進化を促そうとA.T.C計画を進めていたのよ。
より強靭で魔道事象制御に長けた種属の人工創出――つまりドクトル・アジュアはその計画の成果物ってわけね。
数十年前に出港したドクトル・アジュアが、なぜ数千年前の――この星の聖典に載るような時代に、魔王として登場するのかはわからないけれど、なにせ相手はドクター・マツドの愛弟子にして、A.T.C計画の生き残り。
そしてなにより、あの〈万能機〉の建造にも携わっている人物よ。
エルザの同級生の〈嫉妬〉によれば、最前線から帰還した〈万能機〉一番基の進化速度を考えれば、いずれは――今は『論理上は可能』というだけで、誰も実現できていない――〈時間遡行〉さえ可能としていたはずだったのだそうだ。
ドクトル・アジュアは〈万能機〉一番基が遺した資料から、この星で〈時間遡行〉を実現したのかもしれないわね。
どんな思惑があって、青の賢者が時間を遡り、この星の人類の魔道器官を制限下に置いたのかはわからない。
けれど、今のあたくしならあの封印ごと取り去る事もできるし、それどころか母船を通して大霊脈に接続する事で、この星の人類特有の欠陥――魂の欠落を埋め合わせて、正常に回帰させる事もできるわ。
でも、スクォールと出会った頃のあたくしにはそんな知識なんてなくて、彼の施術によってカイルとレントンの魔道器官が強くなったのを、ただただ純粋に喜んでいたのよ。
――そして、あの日がやってきたわ……




