閑話 4
――その日、あたくしはカイルとレントンを連れて、数年ぶりに王都屋敷を訪れたわ。
カイルとレントンが騎士学校へ入学する為に、スクォールがお父様に後見人になって欲しいと頼んでくれて、それが認められたの。
ふたりをお父様に紹介して、領地からの旅の疲れもあるだろうから休むように勧めるお父様の言葉に従って、あたくしは自らふたりを客間に案内しようとしたわ。
そこで――ああ、思えばアレが……あの時が、あたくしの運命の分かれ道だったのかもしれないわね……
エルザの知識で言うならば、運命論――人生の岐路説ってやつだわ。
あたくしはふと、お父様がスクォールも王都屋敷に留まって、学園入学を迎えるあたくしに魔道指導をして欲しいと頼んでいるのを思い出してしまったのよ。
孤児院の子供達と一緒に、あたくしもスクォールから魔法を教わっていたわ。
だから、彼が引き続き指導を請け負ってくれるのに依存はなかった。
でもそうなると、孤児院の子供達に魔法を教えてくれる人がいなくなってしまうって思い出したの。
もう領屋敷で侍女見習いとして働き始めてるロゼや、年長のダニーやベッキーは特に魔法を覚える事に熱心になっていたわ。
他の小さな子達も、希望者はスクォールに魔法を使えるようにしてもらって、嬉しそうに風を起こしたり、水を顕現させたり……きらきらした誇らしげな笑顔で、それをあたくしに披露してくれてたのよ。
庶民の中でも、特に弱い立場にある孤児達でも、魔法が使えるなら未来が開けるわ。
カイルとレントンが騎士学校に入学できるまでになったのが、なによりの証明よね。
あたくしはあの子達の為にも、スクォールが王都に残るなら、代わりの教師を用意してもらえないか、お父様にお願いしようと思ったのよ。
……思ってしまったの……
使用人にカイル達の案内を任せ、あたくしはお父様の執務室へと引き返したわ。
――そして……
「貴様らが小癪にも隠しておったカイルが見つかった今、計画を動かそうと思うのよ」
執務室のドアから漏れ出て来た声に、あたくしはドアノブに伸ばした手を止めた。
いつも柔らかな声色のお父様からは、想像もできない――冷たく、そして他者を見下したような口調。
なにより、その声が告げた言葉があたくしの手を止めさせたのよ。
――カイルが見つかった?
混乱するあたくしをよそに――
「……レオン翁……なのですか……?」
ドアの向こうでスクォールが訊ねた。
――お祖父様? どういう事?
ますますあたくしは混乱したわ。
「――おうさ。うまいものだろう?
長らく、こやつの内から無能の様を見せつけられたからな。フリをするなど造作もなかったわ!」
ドアから漏れ出てくるその声は、お父様のもののはずなのに、まるで別人のもののように感じられたわ。
お父様は決して、あんな風に人を嘲るような笑い方をしない。
あの時のお父様の声色は――あたくしに接するお兄様達のものによく似ていたように思えたわ。
だからこそ……あのふたりの傲慢な兄達を育てたという、お祖父様がお父様に成り代わっているのだと――わかる……わかってしまった……
ふたりの会話からだけじゃない。
お父様のスクォールに対する口調そのものが、今、スクォールと話している相手がお父様ではないのだとわかったわ。
だって……お父様もスクォールも互いを親友と呼んで、尊重しあっていたもの……
……なのに今――
「……いいか? 貴様を生かしておくのは、まだ使い道があるからだ。
おかしな真似をするなら、貴様もまたあの魔女のように呪具で縛り上げてやるぞ?」
お父様は低い声色でスクォールを脅している。
その声は直接向けられたわけじゃないのに、あたくしの心臓まで縛り上げるようで、あたくしは知らない間に冷たい汗をかいて、その場に立ち尽くしたわ。
「……魔女の魔道器官を移したアイリスとカイルをかけ合わせ、血の純化を以て次世代種――ワシの次なる肉体を生み出す」
唸るような――そしてどこか狂気を孕んだ声色に、あたくしはその言葉の意味をすぐに理解できなかった。
――そしてスクォールが……あたくしにとって、決定的で衝撃的な一言を口にする……
「……血の……純化? ふたりは腹違いとはいえ姉弟ですよ!?」
――は?
頭がまっしろになった。
――あたくしと……カイルが……きょうだい?
頭を後ろから殴られたみたいな衝撃だった。
――な、なら……あたくしがカイルに抱いていた気持ちは……この感情はどうなるの?
ドアの向こうからは、今もなにかふたりが言い合っていたみたいだけれど、あたくしの思考はたった今スクォールが発した言葉を反響させていたわ。
そんなあたくしを現実に引き戻したのは、一際大きなお父様の――いいえ、お祖父様の叫びだったわ。
直後、ドサリという音――後の状況を考えれば、お父様が倒れた音だったのでしょうけど――がして、足音がこちらに向かってくるのがわかったわ。
あたくしは咄嗟に向かいにある応接室に身を隠して――
「――誰か! リグルドが倒れた! 医者を呼んでくれ!」
廊下からスクォールの声が聞こえて、使用人達が集まってくる足音が聞こえる中、応接室のカーテンの中に隠れたあたくしは、震えながら必死に考えたわ。
――お父様はお祖父様に成り変わられていて、それを知っているスクォールはお祖父様の手下って事?
お祖父様はスクォールの魔道技術を使って、あたくしにもなにかしようとしていて……そして――ああ、サティリア様……血縁同士での交合で子供を作らせて、その子に成り代わろうとしている……
……近親婚という〈三女神〉のどの宗派でも禁忌としている行為を破ろうとしている、お祖父様の狂気に恐怖を覚えると同時に――それに従えば。カイルと結ばれるのだろうか、と……少しでも考えてしまった自分にもまた、ひどい嫌悪感を覚えたのを覚えているわ……
どうしたら良いのかわからないまま……屋敷中が大騒ぎになったのに紛れて、あたくしは自分の部屋に戻って――
お医者に過労と判断されたお父様の意識は戻らず、実に一ヶ月寝込む事になったわ。
三日経っても意識が戻らないお父様に、お医者は別に理由があるかもしれないっていぶかしんだけど――
――リグルドはここ数年、働き詰めだったし、起きたらまた無理をして働こうとするだろうから、この際、ゆっくりしてもらう為に深い眠りに就いてもらってるんだ――なんていう、スクォールの説明を信じちゃったみたいね……
その間にカイルやレントンは騎士学校の入学日を迎えて、領屋敷から寮へと移っていって……正直なところ、あたくしはふたりが屋敷を離れてくれて安心したわ。
――これでふたりが害される心配はなくなるって……
もはや結ばれる事は叶わなくても、カイルはあたくしの大事な人よ。
お祖父様の思惑通りにはさせない……そう考えてた。
その手始めに――あたくしはスクォールをクビにして屋敷を追い出した。
お父様が王都屋敷で過ごすようになってから、以前、あたくしに意地悪してた使用人達は全員クビにされて、あたくしにもちゃんと令嬢として接してくれるようになってたから、屋敷の使用人を味方にするのは簡単だったわ。
恋愛小説のヒロインみたいに、涙ながらにスクォールに乱暴されそうになったって訴えたら、あたくしが昔、使用人や家庭教師から虐待まがいの行為をされてたと知らされている使用人達は簡単に騙されてくれたのよ。
スクォールは使用人達に取り押さえられながらも、必死になにか言い訳してたけど、あたくしは耳を貸さなかった。
――アイツはウソがうまいもの。
カイルとレントン、そして孤児院のみんなの将来に、選択肢を増やしてくれた人だって……ずっとずっと信じてた。
でも、それはきっとあたくしを信用させる為にやっていたんだわ。
そうとも知らずにあたくしは……本当に愚かな娘だったのね……
――一ヶ月後、目覚めたお父様は別人のようになっていた。
声色はお父様のものだったけれど……どこかお兄様達に似た態度が見え隠れするようになり、自分の事もそれまでの私や僕ではなく、ワシと呼ぶようになっていたわ。
――あたくしは思ったわ。
今のお父様は、完全にお祖父様に成り変わられているんだって……
それをしたのはスクォールでしょうね。
一ヶ月もお父様が眠っていたのは、それを完成させる為だと考えたわ。
だから、あたくしが勝手にスクォールをクビにした事を責められるかと思ったのだけれど、なぜかそうはならなかった。
……不思議に思ったけれど――それを追求して、お祖父様にあたくしがあの日、スクォールとの会話を聞いていた事を知られたくなかったから、あたくしは疑惑を抱えて怯えたまま過ごす事になったわ。
――だから、というのは言い訳に聞こえるかしら?
あの頃から、あたくしはお祖父様に成り変わられたお父様と顔を合わせるのが嫌で……あれほど蔑んでいたレオニールお兄様のように、パーティーやサロンを渡り歩くようになったわ。
かつて幼い頃に家庭教師やクビになった使用人が広めていた噂も手伝って、あたくしが悪女だという噂が王都に再燃するのはあっという間だったわね。
そんな中、お父様の姿をしたアイツが……事もあろうに、王太子となったアルベルト王子とあたくしの婚約を決めてきた……
アルサス陛下も認めた婚約だそうで、あたくしの意思など関係なく――あたくしに知らされた時にはもう、すべてが決まった後だったわ。
――わたくしはせめてもの抵抗というように、ますますアイツと距離を置くようになったわね……
……なぜこうも、なにもかもが理不尽なのだろう?
王都に戻って来てから、ずっとずっとあたくしが願った真逆に、世界は進んでいるように思えたわ。
……ああ……カイル……
彼に助けを求められたなら、どんなに良いだろう。
でも、彼は――今も夢を追い続けているあの人だけは……そのまま輝き続けて自分の道を進んで欲しい。
それだけが絶望に沈んだあたくしの、唯一の願いになっていたわ。
――その為なら……彼が輝き続けられるなら、あたくしはどれだけ汚れても構わない……
それは――天啓のような思いつきだったわ。
――そう……いっそこの身を穢してしまえば良いんだわ……




