閑話 2
――アイリス・コートワイルは愚かで傲慢な令嬢である。
あたくしがそう呼ばれているのを知ったのは、アルベルト王子の友人を作ろうと開催されたお茶会での事だった。
当時のあたくしはお母様を亡くして、王都屋敷で暮らしていたわ。
お父様は外交官として家に居ることはほとんどなくて、ビクトールお兄様は学園の領に入っていたから、あたくしはレオニールお兄様を唯一の家族として過ごしていたわね。
だから、あたくしはお兄様達の振る舞いこそが貴族の子供として当然なんだって、無邪気に信じ込んでいたわ。
――屋敷の使用人が粗相をしたなら厳しく罰を与え、常に敬われなくてはいけない。
レオニールお兄様に怒鳴りつけられてた侍女を庇った時、あたくしはお兄様に殴り飛ばされて、そう教えられたわ。
お父様の子であるあたくし達は、ローダイン王族の血とアグルス帝国天帝の血を引き、さらにお母様は勇者認定されたお祖父様の娘。
平民である使用人達に、敬われて当然の存在なのだと……お兄様はお祖父様にそう教えられたそうよ。
お祖父様亡き後、レオニールお兄様はお祖父様に代わって、あたくしにコートワイル家の娘に相応しい教育を施すのだと息巻いていたわね。
領屋敷でお母様から教わった事と真逆の姿勢。
そう反論すれば、お兄様はお母様が貴族としての立ち振舞を知らないだけだと嘲笑したわ。
勇者の血を誇っていながら、お母様やお祖父様が平民の出だという事をバカにする矛盾。
幼いあたくしでもおかしく感じる矛盾を指摘すると、お兄様は顔を真っ赤にしてあたくしを鞭打ったわ。
……ああ、そうか。
あたくしはその時に理解したわ。
……この人は、自分が正しいと思い込みたい為に、あたくしもそう育てようとしているのね……
その根幹にあるのは、アイツ……祖父レオンに対する畏敬――いいえ、今ならそれが畏怖だったのだろうと理解できるわ。
レオニールお兄様にとってレオンの教えは絶対であり、間違いなどあってはならない。
そうじゃなければ、アイツに育てられた自身をも否定する事になってしまうから……
だから、あたくしはその日からレオニールお兄様の望むよう、お兄様達の性格を模倣して過ごしたわ。
結果、お兄様の所為で入れ替わりの激しい王都屋敷の使用人達は、次の勤務先でコートワイル屋敷の悪評を吹聴して周り、あたくしはすっかり傲慢令嬢として同年代に認識される事になったみたいね。
王城に招かれたお茶会で、あたくしは同年代の子供達から避けられて、ひとりでお菓子を突きながら、そこらを駆け回る子供達を眺めていたわ。
男の子は生け垣迷路に挑み、女の子はそれを応援したり、生け垣の草花を集めて冠を作ったり。
なにがそんなに面白いのか、ケタケタと意味もなく笑い転げてる子もいたわね。
――本でも持ってくるんだった……
そう思ったのを、よく覚えている。
本は良い。
特に物語の本は……
ここではない何処かへ、空想の中だけだけど連れ去ってくれるから。
お兄様は女に学など必要ないと言って、あたくしが本を読んでいると不機嫌になるのだけれど、あの無位無官で低能な兄は、学園を卒業してからも王城に参代するでもなく、かといって侯爵家嫡男として領政に携わるでもなく、似たような低能な連中とつるんではサロンに入り浸っていた。
だから家庭教師の時間を除いて、あたくしは屋敷の書庫から本を部屋に持ち込んでは読書に没頭するようになっていたのよ。
表向きはお兄様が望むような、コートワイル侯爵家令嬢に相応しい振る舞いをしつつも愚かな小娘を演じて。
けれど、あのお茶会で、あたくしは自分が同年代の子供に比べて、随分と成熟しているのだと認識できたわ。
それだけが収穫だったわね。
だって……男の子達が絶賛していたグランゼス公爵令嬢アリシアや、女の子達が黄色い声をあげていたアルベルト王子でさえ、そこらの子供と同じようにバカみたいに駆け回っていたんだもの。
あのふたりの評判は、屋敷から出た事のないあたくしにも、使用人やお兄様を通して届くほどだったわ。
優秀な両親を持った期待の子。
けれど、実際に見たふたりは、そこらの子供と変わりないように見えた。
お茶会でふたりと親しくなるようお兄様に言われていたけれど、とてもじゃないけれどそんな気持ちにはなれなかったわ。
お人形みたいに可愛いアリシアとは、お友達になりたいって気持ちがなかったわけじゃないけれど、アルベルト王子を引っ張り回して男の子みたいに走り回る姿を見て、そんな気も失せちゃったのよね。
早く終わったら良いのに……
退屈を持て余したあたくしの願いが通じたのか――アリシアがアルベルト王子と取っ組み合いのケンカをしたとかで、お茶会は時間より早くお開きとなり、帰宅後のあたくしは空いた時間を読書に当てられてご機嫌になった。
――それからほどなくして、あたくしはサントスと共に領屋敷に戻る事になった。
お父様が外務大臣となって、以前ほど屋敷を空ける事が少なくなった事で、お兄様と家庭教師による教育と称した虐待まがいが発覚したのが原因ね。
お兄様は大学に入学させられ、あたくしは領屋敷でお母様の側近だったサントスに教育される事になったのよ。
……そして、あたくしは運命の出会いを果たしたの。
――カイル……
淑女教育の一環として訪れた、領都郊外の農村にある孤児院に彼は居たわ。
アルベルト王子とそっくりとみんなは言うけれど、彼はあんな風に人を威圧するような目つきをしていないし、むしろ見る人を安心させるような優しい目をしているわ。
その青い瞳に――初めて出会ったあたくしは一発で陥落したわ。
恋愛小説で運命の人に出会った時、見つめ合うだけで自然とそれがわかるのだという描写があったのだけど、まさにそれだったわ。
正直なところ、そんなのは文学的な比喩で、実際にはありえないって思ってた。
でも、カイルと出会った時、あたくしははっきりとわかったわ。
……ああ、あたくしは彼と出会う為に生まれて来たんだ、って――
そして、会う回数が増す程に、その気持ちは強くなっていったわ。
その頃には……領都の庶民の間で流れるあたくしの噂は、王都のそれと真逆になっていた。
――アリシア・コートワイルは孤児や百姓にも分け隔てなく接する、心優しい令嬢である、と。




