閑話 1
「――お嬢様、サムスウェイ男爵がお越しです」
取り次ぎの為に部屋に訪れた侍女のロゼに礼を言い、あたくしは部屋に通すように告げた。
ほどなくして、緑髪の背の高い糸目の男――ロバート・サムスウェイが侍女に案内されてくる。
「アイリス! 会いたかった!」
開口一番、そう告げて両手を広げる彼に――
「……んんっ!!」
――ロゼが咎めるような視線と共に咳払いをする。
「おっと、失礼! 王妃殿下」
ロバートはそう言い直すと、胸に手を当てて跪礼した。
それでとりあえずは納得したのか、ロゼはあたくしに一礼すると、お茶の用意の為に隣室の給湯室へと向かう。
ロゼはあたくしがまだ幼い頃、あたくしの専属侍女とするためにお母様とサントス執事長が、あの孤児院から直接採用して教育した侍女よ。
……確か今年で二十三歳だったかしら?
あたくしなんて放っておいて、さっさと結婚でもすれば良いのに、そんな素振りはまるで見せずにいまだに独身を貫いているわ。
あたくしが目的を果たすのに巻き込みたくなくて、サントス同様に領屋敷勤務にしていたのだけれど、今回のグランゼス領出征をどこで聞きつけたのか、あたくしの世話をするのだと、直接、このローゼス領屋敷にやって来たの。
……学生時代の――真実を知ってしまったあの日から、巻き込まないようになるべく遠ざけて来たというのに、ロゼは変わらない忠誠を示してくれている。
その事実に感謝する自分と、愉悦を感じる自分がいるコトに、あたくしは深く呼吸して感情を押し殺す。
……あたくしはアイリス・コートワイルよ。
心の中で、強く自分にそう言い聞かせる。
「……サムスウェイ男爵、どうぞお掛けになって」
と、対面の応接ソファを示すと、彼は首を傾げる。
「――え、そっち? それになぜロバートと呼んでくれないんだい?」
言いながら彼はあたくしの隣に腰を降ろし、腰を抱こうとした。
以前のあたくしなら……コートワイル侯爵家令嬢としての立場しか持ち得なかった、弱く愚かなあたくしなら、秘めた目的の為に……彼の行動を受け入れていたでしょうね。
でも、今のあたくしは――以前も望んでそうだったわけではないけれど、それ以上に彼に……いいえ、他者に触れられる事そのものに嫌悪感を感じる。
どうやらあたくしに超常の魔道と、世界の真実の姿をもたらした大賢者――ドクター・エルザは生前から、過敏なまでに他者との物理的接触を嫌っていたみたい。
その記憶を前世として持つあたくしもまた、その性質に影響されているのでしょうね。
「――サムスウェイ男爵、あたくしの言葉が聞こえなかったのかしら?」
――トン、と。
ローテーブルを指先で叩き、あたくしは〈念動〉の魔法を喚起してロバートを縛り上げると、そのまま向かいのソファへと彼を運んだ。
「……おまえだって、そういうつもりで私を呼んだんだろう?
それなのに、いまさら淑女振ろうっていうのか?
おまえが寝台の上でどんなだったかを、あの成り上がりの坊やに教えてやっても良いんだぞ?」
いやらしい笑みを浮かべるロバートに、あたくしはさらにトンとテーブルを鳴らした。
「――ガッ!?」
途端、ロバートの周囲に〈防護膜〉が顕現する。
その中の空気を抜いてやれば、彼の顔色は見る見る青くなり、その両手が〈防護膜〉を破ろうと宙を掻いたわ。
「……わきまえなさいよ。
たかだか周囲の空気を消された程度でそうなってしまう低能が、あたくしを脅そうと言うの?
おまえごときを消すのに、あたくしが躊躇すると思った?」
ロゼには聞かれたくないから、周辺に〈防音〉魔法を施すのも忘れない。
今、ロゼが戻ってきたとしても、彼女にはロバートが気分が悪くしているようにしかみえないはずよ。
「――とはいえ、よ」
パチンと指を鳴らせば、ロバートの周囲を包んだ簡易結界は消え失せる。
彼は喘ぐように口をパクパクさせて肺を空気で満たしたわ。
「おまえにはまだ、それなりに使い道があるって気づいたのよ」
ロバートのように道具として使えそうなヤツ以外の、以前のあたくしが関係を持っていたゴミ共の大半は、あの施設に送ってあげたわ。
特に戦力として考えてたヤツは、そのままよりあそこに送った方が役立つって気づいたのよ。
今のあたくしなら、アイツが施す呪法刻印だって解除できるもの。
アイツがアレを生み出せば生み出すほどに、あたくしの手駒は増えていくってわけね。
「……使い道、だって?」
怯えた表情を浮かべ、むせて掠れた声で訊ねるロバートに、あたくしは微笑みを浮かべたわ。
「そうよ。ソルニール商会を遺してくれた、おまえのお父様に感謝する事ね」
元々あたくしはそのソルニール商会を利用する為に、ロバートと交流を持ったのよ。
女好きな彼は、あたくしが身体を開いて見せれば、容易くあたくしに入れ上げた。
ロバートのようなヤツは雰囲気でわかった。
だって、お兄様達がそうだったんだもの。
女を所有物と考え、自分の肉欲と他者への優越感を満たす為の道具と考えてる愚物。
だから、ちょっと甘い言葉を囁き、独占欲を満たしてやれば、あたくしを穢した男達はみんなあたくしの願いを叶えようと躍起になったわ。
「――レントン……騎士団長が散々訴えていたというのに、現在、大侵災調伏の最前線のこのローゼス領には、まるで物資がないのよ。
信じられる? 今や前線を支える騎士達は飢えを凌ぐ為に、調伏の合間に猟をしなければいけない有様なの」
お兄様達が亡くなって臥せっていた一時は、アイツは確かにお父様だったように思えたけれど……カイルの再生処置を施した時に見たアイツは、やっぱりお父様ではなく……リグルド・コートワイルというお父様の抜け殻だったわ。
だから前線を支えている騎士達の事なんて、まるで省みる事なく、彼らの為に使われるべきお金や物資をあの施設に注ぎ込んでいる。
きっとリグルドは……アイツは、騎士による調伏なんてアテにしていないんだと思う。
あの施設で産み出している戦力を完成させて、大侵災調伏の勢いそのままに本来の目的――アグルス帝国への侵略を果たしたいんだわ……
騎士達はそれまでの繋ぎなのよ。
あそこまで妄執に囚われ、意思によって自身の在り方まで魔道的に書き換えた存在は、エルザの記憶でも珍しい。
似たような症例は〈大航海〉時代末期の記録にある、自身を異世界転移者だと思い込んだ強化種がそうなのかしらね?
彼は異星起源種の遺跡の力で、肉体と〈魂〉を改造されて、惑星破壊規模の災厄となったそうだけど……
「……つまり、おま――貴女は私にその物資を都合しろと?」
ロバートの発言に、あたくしは思索を打ち切った。
エルザの記憶を得てから、どうも思考が脇道に逸れがちだわ。
知らないはずの事を知っている為に推測や思考が以前に比べ、より深度を増していて、あたくしの思考が追いつかないのね。
「ええ、そう。輜重隊にリストを用意させるから、とりあえず商会の倉庫にあるものを放出なさい」
「そ、その……支払いは?」
「愚図な大臣達宛の手紙を用意するから、貴族院に出させなさい」
聖女とあたくしを褒め称えていた今のあいつらなら、あたくしに媚びる為にすぐに用意するでしょうね。
「その後はヴィスターブ領の備蓄をかき集めて来て」
「で、ですが、それをすると国家備蓄が空になるのでは?」
「もうじきベルサンス領から、今年の収穫が送られてくるはずだから、どのみち倉庫は空けるでしょう?」
あたくしが物流を理解しているとは思っていなかったのか、ロバートは明らかにたじろいだわ。
そうよね。あたくしはそうやって周囲に愚かな女だと印象づけて来たもの。
「王都や他領への物資が不足するのでは?」
「大臣どもが押さえた物資があるでしょう?
あたくし、知ってるのよ? 大臣達は救護院への物資を中抜きしてるし、子飼いの諸領から賄賂ももらってるって」
言いながら、あたくしは〈小箱〉にしまっておいた、書類束を取り出してテーブルに広げる。
王宮で官僚がゴミ箱に捨てていた書類よ。
これを見つけたのは、エルザの記憶を得たばかりの頃かしらね。
あの時期はエルザとの境界が曖昧で、日々が朦朧とした感覚だったけれど、あたくしの直感がなにかに使えると感じたのか、ちゃんと拾っていたのよ。
「誰が調べたのか知らないけど、これにはしっかりと大臣達が国庫備蓄を利用して横領しているとあるわ。
金に変えたなら、その流れを追えば物資の行き着いた先も追えるでしょう?
――グズ達には責任を追求して、それを買い戻させなさい」
アイツの所為で宮廷がグズばかりの今、カイルが目覚めた時に治めるべき国を守るのは、あたくししかいないのよ。
「――わ、わかりました」
素直に頷くロバートに、あたくしは満足してうなずき――丁度よく、ロゼがお茶の用意を終えて戻ってきたわ。
あたくしは〈防音〉を解除して、ロゼがテーブルに用意してくれたお茶へと手を伸ばす。
対面で、震える手でカップを掴み、怯えた目を向けてくるロバートが可笑しかった。




