閑話 3
――深夜のフォルス大樹海の深い闇の中、ゆっくりと〈天体制御樹〉の本体である巨神が、幹の中から立ち上がる。
――その足元。
肩にエレーナを乗せた雷奏童子が、〈天体制御樹〉の幹に両手を押し当てて巨神の貌を見上げていた。
『――頼むぜ。スクォール先生、土地神様よ……』
ロイドの言葉に巨神はうなずく。
『任せてくれ。カリーナ姉さんの生きる、この世界を守らなくてはな』
ロイドが声を出して笑った。
『――お熱い事で!』
「もう、ロイド様! 茶化しちゃダメですよ!」
エレーナが苦笑してロイドをたしなめる。
『君らの婚約ももうじきだろう? 次期領主様の為にも、全力を尽くすよ』
暗雲が晴れて、真っ白な月が天頂に現れる。
『――さ、みんな! 続きは勝利してからっスよ!』
ウェザーが促すと全員が頷き、エレーナは表情を引き締めて杖を振るった。
風切り音が笛の音を奏で――
「――形成せよ、〈仮想砲身〉」
樹海の中に高く伸びる〈天体制御樹〉の幹の上空に、巨大な多重魔芒陣が連ねられていく。
『――慣性制御器、喚起!!』
ウェザーの言葉と同時に、巨神が陽炎に包まれる。
『オオオオオオォォォォォォ――――ッ!!』
雷奏童子が紫電の化身となって〈天体制御樹〉の幹を螺旋の軌跡を残して駆け上って行き――
『――行くぞ! 破壊神!!』
巨神が身を屈めると、その衝撃だけで大地が〈天体制御樹〉の中ほどまでもある巨大な土砂津波を引き起こし、樹海の木々を薙ぎ倒して行く。
巨神は遥か空の彼方を目指して跳び上がった。
電磁力と魔道回廊による一八〇メートル余りの構造物の超加速。
突き破られた大気が黒雲と嵐、稲妻を呼んで、フォルス大樹海を根こそぎ吹き飛ばした。
慣性制御器によって、初速を維持したまま巨神はまたたく間に成層圏に達する。
「――そうそう。私の予見を駆使しまくって、わざわざ青ババア――セイラ・モノベに〈託宣〉を降ろしてまで、この瞬間を整えたんですよねぇ」
〈流転法姫〉が〈創象咆姫〉の頭にアゴを乗せ、くたびれた様子を漂わせつつ球体の周囲の三人を順繰りに見回す。
「……狂魔道科学者ドニールの目論見阻止。
同時にイリーナ・ベルノールとスクォールを接触させる事で、スクォールを主駒の座へと導く事に成功しました」
〈事象錬決姫〉が目を伏せながら告げる。
「邪神の目はドニール討伐を成したミハイル・ローダインに向けられており、その後のフォルス大樹海での侵災調伏からも、彼が主駒だと思わせる事に成功したと言えるでしょう」
〈時象判潔姫〉の言葉に、さらに〈伝霊姫〉が続ける。
「だからこそ、ミハイル・ローダインは呪具によって早逝させられたわけですが……」
「……〈伝霊姫〉姉様は、そのままミハイルを主駒に引き上げての、巨神調伏案を推してくれてたもんね」
〈創象咆姫〉が苦いものが混じった笑みで告げると、〈伝霊姫〉は静かに首を横に振った。
「ですが、私もまた最終的には、スクォール――ユニット:〈亜神殺し〉の使用を承認しました。
敵主駒がなんであったとしても、巨神討伐はこの盤面を動かすため、必須でしたから……」
〈伝霊姫〉が伏せたまつ毛をわずかに震わせて応える間にも、投影された映像は進む。
およそ三時間ほどかけて衛星――月の上空域へと到達したスクォールを出迎えたのは、数万を超える火閃と電閃の雨だった。
『――そんなもの、ベルノール姉妹や師匠との特訓を思えば!』
〈天体制御樹〉が右手を握り込み、胸の前にかざす。
『――空間掘削器……喚起!』
『――目覚めてもたらせっ!』
スクォールの喚起詞と同時に、巨神が右手を一閃した。
ただそれだけで亜光速で迫っていた光条は、まるで描かれた絵画が破り取られたかのように、その背景ごと引き裂かれ、次の瞬間には霧散する。
『――あ、しまったっス!』
『どうした、ウェザー!?』
慌てた声をあげた相棒に、スクォールが問い返す。
『今ので、月が三〇メートルほど接近しちゃったスよ』
その答えに、スクォールは苦笑めいた笑いを漏らす。
『年間離脱距離を考えれば誤差だ。千年前に戻ったと思えば良い!』
そんな風に軽口を叩き合い、さらに繰り返される攻撃を掻い潜って、二人はさらに巨神を進める。
『――捉えた! 狂魔道科学者の探査艦っスよ!』
前方中央――地上から見て月の影に当たる位置取りで、その船は停泊していた。
『狂魔道科学者をイリーナとサリュートが抑えてる今が、カオスを叩き潰す最大のチャンスっス!』
光学兵器による攻撃が無駄と悟ったのか、探査艦から無数の武騎が吐き出されてくる。
『敵艦載騎はオレっちに任せるっスよ!』
〈天体制御樹〉の胸部装甲、そして肩部装甲の裏に設けられた開口部が口を開けた。
『――多重電磁加速路……喚起!』
ウェザーの唄に応じて開口部から多重魔芒陣が縦列する。
『目覚めてもたらせ、〈天象軍〉!!』
紫電に包まれた〈天象騎〉が、次々と撃ち出され多重魔芒陣によってさらに加速し、瞬く間に陣形を組んで、敵武騎との戦闘を開始する。
『――今日、この日の為に、主にめちゃくちゃシゴかれた指揮者能力を見せてやるっス!!』
〈天体制御樹〉の巨大な仮面の前に、青年姿のウェザーの光体が出現し、両手を広げた。
ゆっくりと頭上に掲げ、振り下ろす。
〈天象軍〉の陣形が組み替わっていく。
ウェザーの手指の動きに従って、〈天象軍〉はまるで一個の生き物のように蠢き、着実に敵武騎の数を削りとった。
いつしか探査艦を護るように展開されていた、分厚い武騎の防壁にぽっかりと穴が空く。
『――射線確保完了! 距離一〇万! 今っス! 相棒!』
ウェザーの言葉に強く頷き、スクォールは〈天体制御樹〉の両手を組んで前方に伸ばす。
『……師匠、今こそお借りします!
――星海に響くその唄を……ここに顕せ、〈竜核〉……』
〈天体制御樹〉の背後に管楽器を寄せ集めたような、巨大な構造物が現れる。
『論理演算炉、接続! 事象干渉場展開!』
ウェザーの声に応じて、〈天体制御樹〉の突き出した両腕が陽炎のように揺らいだ。
両肩の装甲の内側に、激しい紫電が発生する。
〈竜核〉が真空の宇宙にラッパの咆哮を響かせた。
『……永久の眠りより目覚め――唄い奏でよ!』
〈天体制御樹〉が中腰となって、力を込めるように両手を右脇に引く。
『――高魔動検知!』
ウェザーの警告と、探査艦の前部甲板が開くのは同時だった。
探査艦の上に迫り出したのは、深紅の紋様に鎧われた特型巨神カオスだ。
カオスは〈天体制御樹〉の攻撃を迎え撃とうと、右拳を突き出してすでに発射体勢に入っていた。
『――目覚めてもたらせ、〈星砕き〉』
『――貫け!〈界面穿孔器〉っ!!』
宙間戦闘において、一〇万という距離は極近距離である。
二騎の巨神が放った拳は一瞬にして激突し、周囲に閃光を撒き散らす。
ぶつかりあった膨大な魔動は空間を歪め、月を砕いて――
――と、その時。
『――え?』
スクォールは視界の隅で巨大ななにかが蠢くのを感じて、そちら――月面へと顔を向け……そこで彼の意識は途切れた。
「――まさか〈三女神〉たる姉上達が、こんなポカをやらかすとはのう……」
〈転魂姫〉が呆れ混じりの笑みで、球体を取り巻く三人を見回す。
映像の中では、崩壊した月から巨大な――月の半分ほどもあるように見える巨大な竜属が、その身をもたげていた。
〈天体制御樹〉はもちろん探査艦やカオスも、両者が放った渾身の一撃による魔道事象さえもが、その巨大な顎に呑まれていた。
ボロボロと周囲に散らばる、かつての月を見下ろして竜属は緩やかに首を左右に振り、それから青い星へと咆哮を放った。
人類が艦船の主砲などに用いてきた、魔道科学による再現ではない、正真正銘の竜咆だ。
――惑星は虚空を駆け抜けた閃光の中に、影となって消失した。
「――不本意、と返答します」
三人は普段は抑揚のないはずの声に、言葉通りに不満の色を滲ませて、揃ってそう告げた。
「――我々はあくまで『人類の守護者』であり……」
「――大霊脈の『運営管理者』にして……」
「――対邪神局面執行者なのです」
三人が順に応えると、〈転魂姫〉は肩を竦める。
「……わーっとるよ。だから、竜属を含む異界の者――異星起源種由来の存在には姉上達の権能も通じないとな」
「そういえば〈転魂姫〉姉様がこの座に喚ばれたのも、そもそもが異星起源種遺跡をどうにかしようとして、でしたっけ?」
〈流転法姫〉の問いに、〈転魂姫〉はうなずいた。
「ついでに、妾が喰らった竜属の因子を識りたかったってのもあったようだがな。
そのくせ肝心な時に、その竜にしてやられてるのだから、ホント、あの時は笑わせてもらったわ」
「――ティナとの……人との盟約に応じて眠りについていたのに、人の側からそれを破ってしまったのだから、月竜がブチキレるのも仕方ないよね……」
〈創象咆姫〉は困ったように薄く笑って……再び球体へと手を伸ばす。
「――肯定。
我々は竜属が盟約にかける重さを甘く見ていたのでしょう」
「――結果、この盤面は流局として、この界面軸は永久凍結されるはずでした」
「――邪神もまた、竜属の介入にあった為、同意を示していました」
〈事象錬決姫〉の言葉を、球体の左右の〈伝霊姫〉と〈時象判潔姫〉が引き継ぐ。
「――ですが……」
と、三人は揃って〈創象咆姫〉を見つめる。
「そこに待ったをかけた者が居た為に、我々は〈流転法姫〉の権能によって、再度、この盤面に向き合う事にしました」
〈創象咆姫〉は頷く。
「――あの時はホント、驚いたよ。
まさか人の身で――ってさ」
「――イリーナ・ベルノール……ユニット:〈創珠巫女〉か……」
「この座まで潜れるなんて、ホント、あの娘はなんなんですかね?」
〈転魂姫〉も〈流転法姫〉も苦笑を浮かべ、球体の中……すべての先端を失くしたはずの水晶の枝を見つめる。
なにもなかったはずのそこに、ゆっくりと若芽が盛り上がり、芽吹こうとしていた。




