第6話 52
「――我は遥か彼の地にて今も微睡む、夢穹の乙女が奏でた音なり……」
四季演舞にも用いられるその唄は、王族祭祀のはじまりを告げる口上でもあって……
初めて見た時に唄っていたのは爺様だった。
次の年から父上に替わり、あのやたら光り輝く国宝の聖剣を手に演舞する父上の姿は、いまでも俺のまぶたに憧憬として焼き付いている。
目前に迫った深紅の刃紋様群。
『――捉えた!』
エリスが歓声をあげる。
「……そんなわけないでしょう?」
それを打ち消すように静かに、けれど凛然とリディアが俺の背後で言い放った。
「――それともあなたは、格納庫の統御中枢で、ずっとドクター・エルザに眠らされていたから、気づけずにいたのかしら?」
杖が振るわれ、風切り音が笛に似た音色を奏でた。
「――〈舞い唄う詞〉をあなたに施し、扱えるようにしたのは、他ならぬドクター・エルザなのよ?
……あの用心深い彼女が、自らの分け御霊に――いいえ、自身の魂の複製だからこそ、なんの対処も用意しないワケがないでしょう?」
そうして笛の音色で独特な旋律を奏でながら、リディアは喚起詞を唄った。
「目覚めてもたらせ……〈静かなる狂乱の詞〉」
俺達の周囲を〈舞い唄う詞〉によく似た白銀紋様が駆け抜け、半径五メートルほどの球状魔芒陣を描き出す。
〈舞い唄う詞〉同様に、込められた意味はわからなかったが――
『――ウ、ソ……』
リディアが描いたその魔芒陣は、確かに深紅紋様の群れを受け止め――それどころか触れた先から〈舞い唄う詞〉を燐光に分解していた。
「……あのマッドサイエンティストは、ハクレイ様を〈書庫〉として使っていましたから……」
と、俺にだけ聞こえるように抑えた声で、そう説明するリディア。
そういえば、白ババアは脳と魔道器官だけ摘出されて、魔道器にされてたんだったか。
……ワケ知り顔でアレコレ指図してくるから、ついつい反発的な態度を取ってしまっていた。
「とはいえ、借り物の〈書庫〉をさらに借りてる状態なので、未熟なわたしでは、そう長くは……」
俺は首肯で応え、震脚の要領で足を振り下ろす。
不思議と地面を踏み締める感触が返って来て、周囲に太鼓にも似た打音が響き渡る。
『あ――』
『ふ――』
『ほ――」
大気が震えて波紋を広げ、単音の三重唱が紡がれる。
それを全身で浴びるように両手を左右に広げ――
「あらゆる嘆きを消し去る者よ……
――あらゆる痛みを癒やす者よ。
我は汝に像を与える……」
胸で輝く〈伝承宝珠〉が、魔道器官を通して俺に詞を刻ませた。
――それはアリシアの記憶の中で、叔母上が世界に響かせた喚起詞。
伸ばした左手を前に振るえば、リディアの杖のように手刀が風を裂いて笛の旋律を奏でる。
「――それは忘却の彼方に繋がりし『誰か』……
それは『いつか』を繋ぎし夢……
我は汝に名を与える」
〈伝承宝珠〉から色とりどりの光球が溢れ出し、俺達の周囲を埋め尽くしていく。
万雷にも等しい鈴の音が響き渡り――
『――ウソ!? ウソでしょう!?
駄犬ごときが――こんなグローバル・スフィアからも隔絶された、辺境の退化人類が、なんでそれと繋がれるのよ!』
エリスが泣き叫ぶような声音で、俺達に左手を伸ばしてきた。
――だが……
遥か彼方から光条が駆け抜け、エリスの巨腕を焼いたかと思うと、直後に紫電をまとった強襲揚陸殻が、今度はバラける事なくエリスの灼熱して溶け出した装甲に突き刺さり、エリスはその巨体を仰け反らせた。
「――エレーナお姉様とロイド様ですっ!」
リディアが開いてくれた光盤の中で、化生が解けて顔中に汗を浮かべて跪くロイド兄と、同じく汗まみれになりながらロイド兄に肩を貸そうとしているエレ姉が見えた。
その後ろでは、杖で肩を叩くババアが……
さらに向こうには、焼け野原と化したフォルス大樹海から逃げ出そうとする魔獣や、それを追って来たであろう魔物の対処をしている騎士達の姿もあった。
「――失われし刻を超え、『いつか』と『誰か』を繋ぐ為――」
俺は右手で〈伝承宝珠〉を握り締める。
あれほど鳴り響いていた鈴の音が止んで――不意に静寂が訪れる。
大気が織りなす三重唱さえ、俺の言葉を待つように沈黙を守った。
「……イリーナ叔母上。あなたの祈りは確かに受け取った……」
続く喚起詞が、胸の奥から湧き上がる。
イリーナ叔母上がアリシアに託し、スクォールが生涯を賭けて組み上げた大魔法が刻まれた〈伝承宝珠〉。
いまの……周囲の霊脈を通して、今も〈双子女神〉の補助を受けている俺なら、そこに込められた魔法だって喚起できるはずだ。
――〈神殺し〉
アリシアの〈青の旋風〉と同じ意味を持った大魔法だ。
「――だが!」
その喚起詞を無視して、俺は世界に高らかに叫ぶ!
「俺はすべてを救うと言った! 全部だ!」
――ああ……それでこそだよ!
……そんな声が聞こえた気がした。
――なら、君の奥の手も組み込んじゃおう!
カチリと、手の中の〈伝承宝珠〉が歯車が噛み合うような音を立てた。
突如、そこに込められていた魔法も、それを生み出す喚起詞も変わって――
――三重唱が再開される。
明らかに拍子が早くなり――どこからともなく弦楽器と管楽器の合奏までもが響き渡った。
周囲の精霊光が金一色に染まって、軽やかに舞い踊る。
俺は〈伝承宝珠〉の中に、新たに生まれた魔法を読み取り――
……できる気がした。
みんなが望んでくれたありのままの俺が、思い描いたままに――
「――応えろ! 〈世界の法則〉っ!!」
周囲を取り囲んでいた金色が波引くように左右に割れて、花道を形造る。
――宙を蹴って、俺はそこへ飛び出した。
『イヤ――っ!! 来ないでっ! まだ死にたくない!! 死にたくないのよっ!!』
悲鳴をあげるエリスに、俺はそうだろうな――と、そう思った。
だからこそ、俺は駆ける脚に力を込める。
もう狂える土地神の中枢――合一器官は目の前だ。
俺は〈伝承宝珠〉を握る右手を引き絞り、渾身の力を込めて咆える。
「――奇跡をもたらせ! 〈伝承宝珠〉ッ!!」
「――アル、ありがとう……」
深紅に染まった合一器官で、諦めの微笑を浮かべるウェザーが、ゆっくりと目を伏せる。
『ヤダヤダヤダ! 妾は――あたしはただ自由が欲しかっただけなのにっ!!』
エリスは迫る俺の拳に悲鳴をあげて――
「――掴めっ!! 〈神封じ〉ォォォォォ――ッ!!」
――俺の拳がヤツの仮面を叩き割った!




